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賽は投げられた:01

 

「来週から水泳の授業だ。水着忘れんじゃねぇぞ。忘れたら素っ裸で泳いでもらうからな」

 

今日の体育の授業の終わりに、突如として宣言された水泳の授業。

神楽は教科担任である松平の言葉に我が耳を疑った。

受験生だというのに、まさかの水泳。

神楽は断固拒否すると放課のチャイムの後も松平に引っ付いて抗議をしたが、なら単位はやれねぇとの一点張りだった。

結局、どうにもならなかった神楽は職員室から真っ青な顔で出てくると、ドアの前に立っている銀八に気が付いた。

神楽は泣き出しそうな顔で銀八を見上げると、情けない声を出した。

 

「ぎんちゃーん」

「何騒いでたんだよ?俺に面倒掛けんじゃねーぞコラァ」

 

神楽は眼鏡を外すと、目をゴシゴシと擦った。

嫌なものは嫌なのだ。

去年、一昨年の水泳の授業を思い出すと、今でも悔しさが込み上げてくる。

泳げない訳ではない。

プールが嫌いな訳でもない。

じゃあ、何がこんなに嫌なのか。

それは――いつまで経っても成長しない胸のことだった。

一昨年はまだ同じくらいの子がいた。

去年もギリギリ仲間がいた。

だけど、今年はどういうことか、あのお妙ですら夏服を大きく押し上げる胸を携えていたのだ。

しかし、神楽の胸も全くないわけではなかった。

ないわけではなかったが、大きいとは決して言えなかった。

きっとそんな自分に向けられるのは哀れみの視線だけだろう。

学生生活最後の夏が、暗く重く神楽にのし掛かかるのだった。

 

神楽はハァとため息を吐いた。

銀八に言ったところで、理解してもらえる筈がないと思っていた。

何よりそれよりも自分の悩みを聞けば、馬鹿にしたように笑われるに決まってる。

そんな風に考えた神楽は、銀八の目を見るばかりで打ち明けられずにいた。

 

「あ?なに?」

 

神楽はブンブン首を横に振ると、やっぱり言ってしまおうかどうかと悩んでいた。

今まで神楽は、銀八には色々と相談をしてきた。

売店に酢昆布を置いて欲しい時や、家庭科の調理実習を増やして欲しい時。

他にも早弁の承諾や昼食時のピザの出前許可等々。

今思えば食べ物絡みばかりだと、神楽は苦笑いを浮かべた。

だが、いつだって銀八は頼りになった。

だったら、今回の事もなんだかんだ言って解決してくれるかもしれない。

もしかすると松平に掛け合って、特別に水泳の授業を受けなくて済むようにしてくれるんじゃないか?

銀八にそんな淡い期待を寄せた。

 

神楽は銀八の腕を取ると職員室から離れ、校舎の端の人通りのない階段にまで連れ出した。

そしてそこで銀八の腕を離すと、声を潜めて打ち明けたのだった。

 

「銀ちゃん、ちょっと相談アル」

「なんだよ。わざわざこんな所に……え?告白?」

 

神楽は冗談じゃねーヨと銀八の足を蹴った。

そんなふざけた事を言う銀八に神楽の調子は狂ったが、気を取り直して話を続けた。

 

「来週から水泳の授業が始まるアル!なんとか単位落とさずに授業受けない方法ないアルカ?それと補習も受けたくないアル!」

 

そんな不真面目な事を言う神楽のデコを銀八は叩くも、神楽の肩に手を回すと先ほどの神楽以上に不真面目な事を言った。

 

「そりゃ、アノ日で通しゃいいダロ。補習も含めて全部な」

 

確かに!

神楽はカッと目を見開いた。

嘘とバレはするだろうが、確かめようはないはず。

ただ心証は良くないだろう。

単位をもらえるかも正直微妙だった。

 

「ちょっとグレー過ぎないアルカ?もっと確実な方法ないネ」

 

銀八は神楽の肩に腕を回したままウーンと唸ると、あっと小さく声を上げた。

その様子に何か閃いたのかと、神楽は銀八の方へ顔を向けた。

 

「いやさ、お前アレだろ?水着、着たくねぇんだろ?」

 

銀八の意表を突いたその言葉に神楽は口をポカンと開けた。

なんでバレたのか?

違うと早く否定しなきゃ。

だが、そんな神楽の思考よりも早く、銀八の口が開かれる方が早かった。

 

「だよねー小さいもんねー。お前の胸小さ……」

 

そこで銀八の言葉は途切れた。

いや、それ以上口にすることが出来なかったのだ。

 

 

 

神楽は保健室にいた。

あれから30分程が過ぎ、校舎の中はあちらこちらが赤く染められていた。

そろそろ陽が沈みそうだ。

だが、目の前のベッドの中の銀八はまだ目を覚まさない。

神楽はこのまま放って帰ろうとも思ったが、自分の頭突きでこうなったのだからと、せめて最終下校時刻までは残ろうと思っていた。

 

銀八は少し額が赤くなってるものの、気絶する程の怪我には見えなかった。

もしや脳にまでダメージが?

冷や汗を掻いた神楽は、早く目覚めるようにと銀八の額を軽く擦ったのだった。

 

少したんこぶが出来ている。

神楽はそこを丁寧に撫でながら、銀八の眠ってる顔をまじまじと見つめた。

普段は眼鏡を掛けていてあまり素顔を見る機会がなかったが、こうしてみると少しだけカッコイイ顔に見えた。

 

「ンナ顔すんなら止めときゃいいのに」

 

目を覚ました銀八は神楽の腕を掴むとそう言った。

急の事に神楽は驚いたが、それよりも銀八が無事に目を覚ました事にホッとしていた。

 

「……銀ちゃんが悪いアル!じゃあナ!私はもう帰るネ」

 

神楽はまた胸の事を思い出すと、恥ずかしさのあまり不機嫌になった。

そして、銀八の腕を振り切ろうと体を捻った。

 

「待て待て」

 

銀八は半身を起こすと、逃げようとする神楽をグイっと引っ張った。

軽い神楽の体は簡単に銀八に引き寄せられると、逃げるのは無駄だと思ったのか神楽は抵抗をやめたのだった。

 

「……要はデカくなりゃ、お前は水着を着て授業を受けるんだな?」

「う、うるさいネ」

 

神楽は顔を真っ赤にすると下を向いた。

他人に胸の話をされるのはとても苦痛だった。

ましてや相手は男性だ。

いくら銀八とは言え、恥ずかしくて仕方がなかった。

しかし、そんな神楽に構わずに銀八は話を続けた。

 

「神楽、方法ならあんだけど」

「だから、うるさいって!」

 

神楽は自分でそう言った癖に、直ぐにえっ!?と驚いてみせた。

そして、ようやく腕を離してくれた銀八に思いっきり身を乗り出すと、上気した顔で訊ねたのだった。

 

「本当アルカ?でっかくなるアルカ?」

 

銀八は嗚呼と頷くと、枕元に置いてあった眼鏡を掛けた。

 

「1週間ありゃ余裕だな。神楽、毎日俺に胸を揉ませろ」

 

神楽は心臓がドキンと飛び上がった。

そして、身体中がムズムズしだす。

何言ってんダヨ。

そう口にしようと思うのに、喉がカラカラに渇いてるせいか言葉が出ない。

胸を揉ませろって……

頭の中で銀八の言葉がグルグルと回り、釣られて目まで回ってしまいそうだった。

 

「別にやましい気持ちで言ってんじゃねぇからな。マッサージだよ、マッサージ。お前に足りないのはそれだろ」

 

神楽の耳には銀八の言葉はどうやら届いていないようで、ただぼーっとして真っ赤な顔で銀八を見ているのだった。

 

皆の胸が大きくなったのも揉まれたから?

神楽は今までお風呂の中で揉んだりと色々試してきたが、一向に効果が出なかった。

それは自分でするからなのか。

銀八に揉まれたら別の刺激を受けて成長が促されるのだろうか。

未知ではあるが、やってみる価値は充分にありそうだった。

ただ1つ問題があった。

羞恥心だ。

やはり胸を男性に揉まれるのは、例え正当な理由があったとしても恥ずかしかった。

 

「……皆はやってたアルカ?」

「は?あぁ。ヤりまくりだったんじゃねぇの?」

 

神楽は悩んだ。

恋人でも何でもない関係なのに、触らせていいものか。

だいいち、銀八じゃなければダメなのか? 

ふと疑問が頭に浮かんだ。

 

「他の人じゃダメアルカ?姉御とか」

「あーダメダメ。男じゃなきゃ意味ねぇな。それも大人の」

 

男?しかも大人?

神楽の頭にパッと浮かんだのは、自分の父親と銀八だけだった。

父親に頼むなんて論外だ。

なら、やはり銀八にこの胸を託すほかないように思えた。

 

普段ならこんな話は信用しないだろう。

眉唾物だ。

だが、今回だけは藁をもすがる思いだった。

この胸が少しでも大きくなる可能性があるのなら、それに掛けてみようと思った。

 

神楽は相変わらず真っ赤な顔ではあったが小さく頷くと、銀八に自分の胸を触らせる許可を下した。

すると、銀八はまた神楽の腕を取ると、今度はベッドに上がれと催促した。

 

「え?今アルカ?ちょっと待ってヨ」

「ほら早くしろ。この1週間に掛かってんだよ。先生の腕を持っても、テメーのは1週間でもギリギリだからな」

 

神楽は半ば無理矢理に乗せられる形でベッドへ引きずり込まれた。

銀八は騒ぐ神楽にしぃーっと唇に人差し指を当てると、神楽の体を胡座を掻いている自分の上に座らせた。

神楽は訳も分からないまま銀八に背を向ける形で座らされると、背中に感じる銀八の熱に体を震わせた。

 

「まぁ、痛いようにはしねぇから安心しろ。痛かったら意味ねーからな」

 

神楽は黙ったまま頷いた。

だが、内心は不安と恐怖とが入り交じり、今から自分はどうなってしまうのかと緊張していた。

何より胸を触られる以前に、父親や兄弟を除けばこんな近くで男性と何かをするなんて、生まれて初めてのことだった。

ましてや胸を揉まれるなんて。

ただの男女の――教師と生徒の間では、絶対にあり得ないことだった。

 

「なぁ、もう触っていい?」

「待ってヨ」

 

神楽は震える小さな声で言った。

どうしても躊躇う。

恋人でもないのに体を触らせるのは、やはり間違ってるんじゃないか?

神楽は割りきって考える事が出来ないでいた。

 

そんな神楽の想いに気付いたのか、銀八は震える神楽にこんな質問をした。

 

「お前、好きな奴でもいんの?」

 

跳ねっぱなしの心臓が更に大きく跳ねた。

痛いくらいだ。

しかし、今更好きな奴なんてどうして聞いてくるのか。

神楽は軽く首を傾げた。

何故ならば、いつだって神楽は銀八が大好きで、その事実は銀八本人にも伝わってるはずだから。

口に出して告白する気はなかったが、事あるごとに銀八に相談したり、たまに2人でお弁当を食べたり。

神楽は銀八と誰よりも親密な関係を築いていた。

もしかしてその事に気付いてないの?

神楽はやはりそれは、自分の色気のなさが原因なんだろうと悔しくなった。

 

「べ、別にいないアル」

「好きな男もいねーから、お前はいつまで経ってもお子様なんだよ」

 

銀八はそう言って神楽の体を後ろから抱き締めた。

神楽は突然の事にビクッと跳ねると、間近に感じる銀八の熱に体が痺れた。

煙草の匂いと、甘い砂糖菓子の匂いが漂う。

銀八は更に顔を神楽の横に引っ付けると、神楽の耳元で小さく囁いた。

 

「てっきり先生の事、好きだと思ってたのにな」

 

神楽はえっ!?と言おうとした。

しかし次の瞬間、口から出たのは全く別の言葉だった。

 

「先生っ!?」

 

自分の僅かばかりの胸が、銀八の大きな手によって包み込まれたのだ。

思わず目を瞑る。

触られている感覚よりも視覚から伝わる情報に、神楽はとても恥ずかしくなった。

 

「……普通じゃねぇの?この体つきからすりゃ」

 

神楽は銀八の言葉など耳に入っていなかった。

ただひたすら恥ずかしい。

自分以外が触ることのない箇所に他人の手があるのだ。

それが夏服の薄い生地越しに、神楽の胸を包み込むように動く。

それが神楽の体を熱くさせ、苦しいのか息遣いが荒くなった。