剥離/桂神:01(神楽side)
居間の開け放った窓から風が通り、男の長い黒髪を揺らす。その男の正面に座る少女もまた二つに束ねた長い髪を揺らし、静かに瞬きをする。
昼下がりの万事屋。暇を持て余していた神楽は、留守の銀時を訪ねて来た桂小太郎とオセロゲームを始めようとしていた。
「今日は何を賭けるか? リーダー」
そう言って神楽の対面のソファーに座る桂が問えば、神楽は脚を組み替えてううんと唸った。
その瞬間、落ち着きを無くした桂の視線を見逃しはしなかった。
神楽のミニ丈のチャイナドレスから伸びる生脚。その色艶の良さと肉付きは、すっかりと大人の女を思わせるものだ。しかし、どこかウブな赤ん坊のような肌質が決して触れてはいけない無垢な存在だと思わせた。
きっと桂もそう思ったに違いない。神楽は僅かに口角を上げると、桂の顔をわざと覗き込んだ。
「そうアルな、何がいいと思うネ?」
だが、桂は涼しい表情で神楽を見つめ返した。少女の挑発的な態度など食えぬといった風だ。神楽は思わず子供じみた表情をして唇を尖らせた。
堅物で真面目でからかいがいのない男。新八とは真反対だと神楽は常々思っていた。だが、北斗心軒の女主人・幾松と何やら親密な関係を築いていると風の噂で聞いていた。その風と言うものは、もっぱら銀時のことなのだが……
神楽は不思議であった。この堅物な男がどう間違えると女を愛するのかと。例えば、女と口づけを交わすことなどあるのだろうかと純粋に疑問に思っていた。
長年共に暮らしている銀時や新八ですらそう言った姿は想像が出来るのに、この目の前の男に至っては全く頭に浮かばない。
一体どんな風に女を抱き寄せ、どんな風に見つめ合い、どんな風に唇を重ねるのか。しかし、いくら桂を見つめてもその答えを得られる事はないのだった。
「リーダー、んまい棒10本と言うのはどうだろうか?」
桂は何も言わなくなった神楽に気を遣ってかそんな提案をした。しかし、神楽はんまい棒よりも勝者に相応しい“賞品”を思いついたのだ。
「そんなもんよりも良いこと思いついたアル。ヅラ、私が勝ったら私のお願い1つ聞いてヨ」
神楽はそう言うと桂の返事も待たずに白いオセロをボードに置いた。
ヅラじゃない桂だ……そんな小さな呟きが聞こえた以外、桂の口から言葉は出ず、パチンパチンとオセロを置く乾いた音だけが万事屋に響くのだった。
あれから数十分後、その勝負はオセロだけに白黒ハッキリとついた。ボードの上の色と神楽の顔色。どちらも白く無垢な存在を思わせた。黒い汚れなど1つもない。神楽の圧勝だ。しかし、神楽は喜びに微笑むこともなく、ソファーの上でだらりと座り桂を見ていた。
今から自分が桂に何を言おうとしているのか、それを知っているからだ。
そんな神楽に見つめられている桂は静かにオセロを片付けている。普段ならもう一度と勝負を挑んでくるのだが、今日はやけに大人しい。
平穏にも近い春の終わり。だらけきった気候の中に神楽も桂も、どこか緊張を求めているのかもしれない。
神楽は意を決したように髪を揺らしソファーから背中を離すと、背筋を真っ直ぐに伸ばした。そして、桜色の唇から少しだけ大人びた声を出した。
「さっき言ったデショ? 勝ったらお願い1つ聞いてヨって」
桂は片付けてオセロをテーブルの端へ寄せると、目を閉じて腕を組んだ。
「……俺はその条件を飲み込んだとは言っていないぞ。頼みごとなら銀時にお願いすると良い」
確かに桂は肯定も否定もしなかった。だが、神楽の中では受け入れられたと思っていたのだ。
「じゃあ、もしお前が勝ってたらどうしたネ? 私にお願いしたんじゃねーアルか?」
桂はその言葉にフッと笑うと首を左右に振った。
「俺がリーダーに頼みごとなどあるわけがない。何も望むことはない」
だが、神楽は知っていた。この男が本当は何を欲しているかを。
もちろん年頃の早熟な神楽……ではない。その隣の床で静かに寝息を立てて丸まっている“白い獣”だ。
神楽は横目で定春を見ると小さく呟いた。
「……定春にムギュってさせてあげても良かったけどナ」
桂はその言葉を聞くと瞼を開け、やや興奮気味な息遣いで定春を見つめた。
「そ、それは……」
神楽の頭に一瞬良からぬ考えが過った。もしかすると桂は人間の女に欲情するのではなく、獣に――――ブルッと体を震わせると神楽は腿の上で握りこぶしを作った。
勢いで言ってしまおう。あまり深くは考えずに神楽は桂への“命令”を口にしようとしていた。お願いなんて可愛い言い方をしたが、実際は勝者が敗者へと下す命令なのだ。
「お前、私を口説いてヨ」
それは真っ直ぐと桂へ届く。思いがけなかったのか桂はハッとした表情で神楽を見つめた。動揺を隠せない瞳は揺れたままだ。
無理もないだろう。神楽が口説かれたがっていたなど予想できる事ではないのだ。
「リーダー……本気か?」
神楽は頷いた。本来なら桂が女を口説く所が見てみたいと言ったものだが、それよりは自分が口説かれる方がてっとり早いだろうと思ったのだ。
「本気アル」
「そうか」
神楽の濁りなき眼に桂も冗談ではない事を知ったのか、ソファーから立ち上がると神楽の真横に移動したのだった。ピタリと引っ付くような距離感。神楽は思わず桂から距離をとろうとしたが、口説けと言った手前逃げられないと我慢した。
「リーダーがそのつもりなら、俺も本気で口説きにかかるぞ。良いな?」
先ほどまでとは違う態度。神楽は桂の気迫にやや押され気味であった。
「では、まずはこれを見てくれ」
そう言って桂が懐から取り出したのは1枚の紙であった。桂はそれをテーブルへ叩きつけるように置くと神楽を見た。
「単刀直入にいこう。こちらが当組織の報酬一覧だ。普通ならこのピラミッドの最下層からスタートする所だが、万事屋のリーダーならば上から二番目の幹部クラス……あがっ!」
神楽は桂の言葉を最後まで聞かずに投げ飛ばした。
「そういう意味で言ったんじゃねーアル!」
桂の取り出した紙をよくみれば“レッツ攘夷!”という文字が書かれていた。どうやら桂は神楽を攘夷志士に引き入れるように口説きにかかったようなのだ。いくら桂が堅物とは言えそんな勘違いを犯すなどと……いや、充分にあり得るのだ。真面目が行き過ぎるとこうなるのが狂乱の貴公子こと桂小太郎であった。
神楽は床に倒れている桂を引っ張り起こすと、再び隣に座らせた。そしてため息を吐くと、考えていたこと全てが馬鹿らしく感じた。この男に興味を持ったこと自体が間違いなのだ。
「あーもう! 分かったアル! お前はそれで良いネ」
桂はやはり堅物で真面目でからかいがいのない男なのだ。そんな事はとうの昔から分かっていたことなのに何を期待していたのか。神楽は平穏な日常からの脱却に桂を選んだ自分を嗤った。
なのに、それは突然やってきた。
「リーダーは俺に何を望んでいる?」
神楽の言葉に引っかかる事でもあったのか、相変わらず真面目な顔で桂はそう言った。
「俺は銀時と違いチャラついた遊びに興じる趣味はない……」
「そんなの、分かってるネ」
望んでいることなど特にない。何となくで思いついた命令なだけで暇つぶし出来ればそれで良いのだ。その相手が今日はたまたま桂だっただけで……本当にただそれだけで……
神楽は知らないうちに下唇を噛み締めると、桂の着物の袖をつまむように握った。
そんな神楽を映す桂の瞳は僅かに揺れると、すぐにその目は細くなった。
「今はまだ理解できぬことだろうが、いずれ分かる。本懐と言うものがな」
桂は諭すようにそう言うと神楽の手を袖から離すようにと開いてやった。
だが、神楽はやはり理解出来ないのだ。自分の望みには嘘偽りなどなく、本心である。なのに、奥深くに真実の望みが眠っているなどと言われ、どこか苛立ちを感じていた。
「お前は何が言いたいネ? 私は本当にお前に口説かれてみたいだけアル」
桂は左右に首を振った。
「違うぞ、リーダー。それは上辺の望みだ。今日はたまたまこの部屋に俺が居たに過ぎない」
神楽はその言い方にハッと息を飲むと顔を上げて桂に迫った。
「まっ、まさか、お前! 私が銀ちゃんと……って勘違いしてないアルカ?」
「勘違いも何も、リーダーの本当の望みは銀時と恋をすることではないのか?」
やっぱり。どうりで真実だ本懐だと言うわけである。神楽はそうじゃないとブンブン頭を振ると桂の両腕を強く掴んだ。
「何度も言わせるナヨ! 私はお前に口説かれみたいアル!」
神楽の頬は紅を塗ったかのように赤く、桂もさすがにそれを見れば、ことを理解するに至るだろう。
「だが、リーダー……もう口説く必要は無いのではないのか?」
やや困惑気味に桂がそう言うと、神楽は隠していたハズの己の心が剥き出しになっている事を知った。
こんなに必死に口説けと言うなど、私を愛してと叫ぶようなものなのだ。その事実にようやく気が付いた神楽は急いで桂から離れると背中を向けた。
「ばっ、バカ言うなヨ! 自惚れんのも大概にしろヨナ! この私が簡単に口説かれるわけないアル!」
すると、神楽の耳元に桂が顔を寄せた。
「ならば、俺も本気になって良いんだな?」
桂の言う本気とは何か。神楽はグルグルと回り出す視界に何も考えられなくなると、上等アルと叫んでそのまま後ろに倒れてしまうのだった。
一瞬のこと。だが、次に気が付いた時には既に体は桂の腕の中にあった。
背中に感じる高い体温。それがくすぐったくもあり、心地が良かった。
「リーダーにもこうして年相応に甘える一面があったとはな」
神楽はその言葉に急いで体を起こした。
「バカにするなヨ、べべべ別に甘えてなんかないネ」
すると桂は余裕のある表情を浮かべた。
「俺は一向に構わん」
神楽はそんな大人な態度にどこか悔しさを感じると、少しは桂を焦らせようと神楽からも仕掛けてみた。
「でも、私は犬猫とは違うアル。甘えてじゃれて……それで終わりになんてならないネ」
神楽はそう言って桂の方へ正面を向けると、いつも銀時にしてるように首に腕を回し、額をコツンと見えている額へくっ付けた。
ほら、ドキドキするでしょ? そう言わんばかりの表情だったが、それは神楽の熱い顔へと反対に投げかけたい言葉だった。
桂の鼻先に神楽の鼻先が擦れる。
「ならば、このあとどうするつもりだ?」
囁いたせいか桂の声が擦れ、神楽の心臓が大きく跳ね上がった。
どうやったってこの男には勝てない。神楽は打ちのめされた気分だった。
わざと神楽を揺さぶっているのか、それともただの天然か。何一つ全く読めないのだ。それは桂を改めて大人の男だと感じさせるのだった。
動けなくなっている神楽は、自分の愚かさを恥じた。小手先の技でどうにかしようなどと思った己の未熟さが嫌になる。だが、今更もう後にはひけないのだ。
「このあと……何してもいいアルカ?」
投げやりな言い方をした神楽に桂の眉間にシワが寄った。
「先ほども言ったが、俺が本気になっても良いのだな?」
確かにその言葉は2回目である。しかし、やはり神楽は理解出来ていなかった。桂の言う本気の意味を。
「すぐに答えられないところを見ると――俺は本気にならない方が良いらしい」
そう言って桂は神楽を急にソファーへ押し倒すと、神楽の顔に長い黒髪が降りかかった。
「なっ! 急に何ヨ!」
「覚悟のない内は俺をからかうな。頼むぞ、リーダー」
真剣な眼差しは神楽を諌めるように突き刺さった。
「覚悟……」
桂は神楽の上から退けると、何も言わずに玄関へと向かい万事屋をあとにした。
それから。神楽は桂の言った言葉の意味を考えていた。お陰で食欲もあまり出ず、今日もおかわりは3回しか出来なかった。
桂の言った覚悟とやらは、つまりは正式な交際や結婚を見据えた関係と言う事なのだろうか。やはり真面目な男だ。新八のような“可愛ければ誰彼かまわない”タイプではないと言うことなのだろう。とは言っても新八も相変わらず童貞稼業に磨きがかかっているが。
神楽はそんな事をぼんやりと考えながら、居間のソファーの上で天井を見つめていた。
桂に対する自分の気持ちが何にも分からないのだ。ただ単にときめく事がしたかったのか、それても相手が桂だからそう思ったのか。自分の事なのに少しも分からない。
「神楽ちゃん、じゃあ僕は帰るから」
夜9時を時計が指し示すと、帰り支度を済ませた新八が神楽の顔を覗き込んだ。
銀時は飲みに出ており、新八が帰れば万事屋には神楽が一人になる。
「戸締りはちゃんとするんだよ。最近は変な事件も多いから」
神楽はこの自分がそう簡単にやられるヤワな女ではないと思っているが、新八の忠告にハイハイと返事をした。
そう言えばと神楽は新八の着物を掴んで自分に引き寄せた。そんな突然の行動に新八はもちろん驚きを見せたが、神楽のふてくされたような表情にその顔はほころんだ。
「なに? 神楽ちゃん。銀さんが遅いから機嫌悪いの?」
「あのモジャ公はどーでもいいアル。それよりも、なぁ……」
神楽は確かめてみたかったのだ。桂とキスしようと思ったのは、ただの自分の好奇心なのか?
それとも――――
神楽は新八を力強く引っ張ると、近付いた唇目掛けて自分のものを押し付けた。しかし、すぐにそれは離れて新八の鼻から血が噴き出す。
神楽はソファーの上に体を起こすと手の甲で唇を拭った。
「お前は化け物とファーストキス済ませてんだろ! なに鼻血出してんダヨ! この純情眼鏡!」
そう言い放つ神楽を理不尽そうに見ている新八は、ずれた眼鏡を指で押し上げた。
「一種の暴力だよ! こんなもんッッ!」
神楽もそうかもしれないと、した後で思ったのだった。愛のないキスなど“しなければ良かった”と言う後悔しか生まないのだ。だが、それはキスをしたからこそ分かったのであって、それこそ新八とキスをしなければ気づかないことであった。そう、桂ヘの想いも全部。
「やっぱり私、あいつのこと……?」
「あいつ? あいつって?」
新八はまだ赤い顔だったが、神楽のことは既に許している雰囲気だった。
だが、神楽はそんな事はどうでも良いと言うように、全く別の事で頭がいっぱいであった。
新八とはキスをしたと言うのに全くドキドキしないのだ。むしろ、なんで新八としてしまったのだろうかと後悔すら感じていた。しかし、その後悔が更に深い気持ちへと繋がることに気付いてしまった。桂とキスがしたい。そんな想いが強く湧き上がるのだ。
「神楽ちゃん?」
神楽はようやくそこで新八を見ると、先ほど無理やりキスをしてしまった事に申し訳なさを覚えた。
「新八、悪かったな」
神楽がそう言うと新八は肩を落とし苦笑いを浮かべた。
「本当に悪いよ。でも大丈夫。無かったことにすればいいんでしょ? 事故だったって」
新八はそう言っていつもと変わらない態度で神楽の肩に手を置くと、じゃあねと言って帰ってしまった。神楽は少々意外だった。キスくらいなら無かったことに出来るほど、新八が大人になっていたのだ。
「キスくらい……私にだって出来たアル」
神楽はそう呟くと自分はもう子供ではないと強く思うのだった。
桂の言う覚悟が何なのか、それはまだハッキリとはわからないが、いざとなればテロリストの嫁くらいにはなってやってもいいと考えた。その理由は実に子供じみたものだ。真選組の沖田に対抗する組織を作り上げる為なら、テロリストくらい味方につけても良いかも、なんて現実離れした思いからであった。
次に桂に会った時、神楽はハッキリと自分の想いを告白しようと思った。お前とキスをしてみたいんだと。想いが受け入れられるかどうかは分からなかったが“もう私は子供じゃない”そんな自信が今はみなぎっているのだった。
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