[MENU]

レディバード:14(神楽side)


 音など遠くの方で誰かが笑っている声が聞こえるくらいのもので、穏やかな時間が流れていた。もう酔いなどすっかり覚めてしまっている気がするのだが、頭はまだハッキリとしない。土方の浴衣から覗く胸に頬を付ければ熱く、そのせいで神楽の体温も下がらなかった。

 このまま眠ってしまいたい。そう思うほどに安心できて、だけどここで一晩過ごすということがどういう事なのか神楽はその意味を分かっていた。何も知らなかったでは済まない。今のこの状況ですらアウトであった。沖田が知ればどう思うのか。そんな事は考えなくとも分かっている。なのに神楽は土方から離れることが出来ずにいた。

 それは己の弱さのせいなのか? 神楽はこうして一ヶ月ほど前にも同じ胸で自分の弱さについて考えたことを思い出した。

 あの夜、弱さを認めて前に進もうとした筈なのに、またこうして悩んでいるのだ。沖田とのことなんて解決策は見えているにも拘らず、神楽はそれを避けていた。たった一言口にすれば良いだけである。思っているままの気持ちを行為ではなく言葉で伝えるだけなのだ。そうすれば自ずと沖田から望む言葉が引き出せるだろう。

 神楽は自分の心に耳を傾けた。何を伝えるべきなのか。その言葉はもう喉まで出かかっているのだ。

「……好きアル」

 思わず言葉を零した。そして自分の犯した罪に気付く。今は土方の腕に抱かれていて、側にいるのは沖田ではないのだと。神楽は土方の顔を仰ぎ見ると土方も同じような顔でこちらを見ていた。瞳が激しく揺れている。

「今……なんつった?」

 神楽は違うと首を振った。だが否定する言葉が出てこない。胸が熱くて喉の奥が灼けそうだ。

「ち、違う……違う……」

 なんとか声を絞り出したが神楽の頬は紅く、言葉と態度がチグハグであった。

「そう言うことにしてやる」

 だがそれは土方にも言えることで、そんな言葉を吐き出した癖に顔がグッと神楽へ近付いた。息が詰まる。心臓も止まりそうだ。さっき出た言葉は土方に向けて言った言葉ではないのに、まるでずっと伝えたかった想いのような気がするのだ。

「あ……違うアル……練習……」

 神楽は言葉を繋げることが出来ずに単語を並べる。それで土方に伝わるとは思わなかったが、神楽は必死にそれを繰り返した。

「まだ総悟に言ってねェのか?」

 神楽はようやく意味が通じたと首を縦に振った。だが土方の顔はすぐ間近に迫っていて、鼻先が擦り合ってしまいそうだ。土方は細めた目で真っ赤な神楽を見ると口角を僅かに上げた。

「俺相手にンな顔してる内は一生言えねェだろうな」

 神楽は土方から逃れようと顔を背けたが、そのまま後ろに倒されると畳の上に寝かされてしまった。覆い被さる土方は神楽の脚を膝で割って入ると、真面目な顔でこちらを見下ろした。

「もう一度言ってみろ。練習なんだろ?」

 神楽は逃げ出さなきゃと焦っていたが、その焦りもイミテーションであることに気付いてしまった。飾りでしかないのだ。逃げたいなどとは最早思っておらず、仮に思っているのだとしてもそれは沖田への罪悪感ではなかった。心の底から好きだと言ってしまいそうな恐怖心からであった。

「……き……す、好き……アル」

「なんつー顔してんだ」

 土方はそう言って微笑むも表情は辛そうであった。それを見ているとラクにしてあげたいと思わずにいられなかった。神楽にはその方法が分かっていて、きっと土方も知っているのだ。だが、それは出来ない。これ以上してしまうと――――胸の高鳴りが最高潮に達してしまった。

「好きアル」

 遅かった。震える神楽の声が部屋に響いて……土方の唇が神楽へと下りて来たのだ。重なる唇。それはどこか懐かしく、だが新鮮であった。触れるだけの静かなキス。なのに神楽の身体は痺れてしまい、卒倒しそうになっていた。こんなに優しいキスをされると揺れるくらいでは済まないのだ。何もかもを捨て去って、この唇の為だけに生きてしまいそうで。

 二人の唇がゆっくり離れると、神楽の頬に一筋の涙が流れた。それに気付いた土方は雫を指ですくうと、苦々しい表情を浮かべた。

「俺か? それともあいつか」

 この涙の理由を聞いているのだろう。だが、誰のせいでもない。胸に存在する二つの想いがせめぎ合っていて、その苦しさに零れ落ちたのだ。片方の耳では“沖田はお前に心底惚れているだろ?”と囁く天使がいて、もう片方の耳では“土方はお前を愛してくれるだろ?”とこれまたが天使が囁いている。どちらも羽根はもげていて飛び立てそうには無かったが、悪魔には思えなかったのだった。どちらにも想いはあって、どちらにも愛しさを感じる。もしかすると病気なのかもしれない。この欲張りな気持ちは、淋しさが引き起こした病なのではないかと考えた。銀時と新八を一度に失った後遺症なのではないかと。だが、そんな話で済まないことは分かっている。神楽は深呼吸をすると熱い息を吐いた。

「これで終わりにするネ。もうお前と二人で会わない。総悟との関係もハッキリさせるアル。だからもう一度だけ……キスしてヨ」

 土方は強く目を瞑ると神楽に尋ねた。

「ンな要求、俺が飲むと思うか?」

 無理な要求であり身勝手であることは分かっている。でも、もう抑えることが出来ないのだ。この気持ちは止まらない。だからこそどこかで蹴りを着けなければと神楽は思った。それは沖田の為にも土方の為にも――――何よりも自分の為であった。

「勘違いで、気のせいで終わらせたいアル。でもやっぱり後悔しそうで怖いからあと一回だけ……」

「あのなあ」

 土方は頭を振ると呆れた物言いをした。

「たかが一回のキスでテメェを手放すのは、どう考えたって割に合わねェ。せめて抱かせるくらい言えねーのか?」

「だ、抱かせるッ!?」

 神楽はまさかそこまではと思っていた。土方が自分に気があるのは分かって頼ってしまっていたが、抱く抱かれるの話など全く頭になかったのだ。それはやはり沖田がいるから。しかし、神楽は土方に抱え上げられてしまうと、どこかへ運ばれるようだった。

「ちょっ! 待てヨ! どこ行くアルカ!」

「どこって決まってんだろ?」

 土方は神楽を抱えたまま部屋から出ると二階へ続く階段には上らずに、そのまま玄関へと向かった。そうして神楽を下ろすと、どこかから煙草を取り出し口に咥えた。

「帰れ。酔っ払いの戯言に付き合ってられるか。テメェが本気なら素面の時に来い」

 そう言って土方は神楽を玄関からも追い出すと、会館の戸を閉めてしまった。

 突然ほっぽり出されて腹立つ気もしたが正直言うとホッとしていた。あまり優しくされてばかりだといつまでも土方に頼ってしまうからだ。そうなれば身体を結ぶのも……無い話ではないような気がした。

 この夜、神楽は当初の予定通り定春に埋れて眠った。それが一番気持ち良い眠り方だと、昼過ぎまで起きないのだった。


 翌日もその翌日も……その次の日も神楽は沖田に会いに行かなかった。正確には会いに行けなかったのが正しくて、だが会うのを躊躇う気持ちがあったのも事実であった。次に沖田と会った時。その時は傷付いても傷付けても、今の関係についてきちんと話し合わなければならないのだ。だから会えない、会いたくない。そうして神楽は仕事が終わると真っ直ぐ自宅へ帰る日々を過ごしていた。

 そんなつまらない日々が一週間は続いた頃だろうか。その日、神楽はお登勢に店まで来るようにと連絡を受けたのだった。まだ看板に明かりが灯る夕暮れ前。神楽は薄暗い店内へ入ると、店の中で煙草を吸っているお登勢に挨拶をした。

「何アルカ? 美味しいもんでも食わせてくれるネ?」

 するとお登勢はフンっと鼻で笑って煙を吐いた。

「少しは食い気より色気が勝って来たと思ってたんだけど。やっぱりお前はお子様だねぇ!」

 お登勢はそう言うと、グラスに注いだ栄養ドリンクを差し出した。

「……じゃあ仕事の話?」

 神楽には見当がつかなかった。わざわざこうして呼び出されてまで何の話だろうかと。大人ぶって栄養ドリンクに口を付けたが、酒の味を知ってしまった今となってはやけに甘ったるく物足りなく感じた。

 少しは大人になったのに。お登勢の言葉に不満そうな表情を浮かべた神楽は、脚を組み替えるとカウンターテーブルに頬杖をついた。

「噂には聞いてるけど、別れたんだって? あの色男と」

 神楽は青い顔してお登勢を見るとゆっくり首を左右に振った。

「な、どこ情報ネ? そもそも私はあいつと付き合って……るかどうか分からんアル」

 身体を結んで二人でしか出来ないようなことをしてはいたが、契りを交わしたワケではないのだ。“なあなあ”の関係と言えばそうであった。好きと言ったことも言われたこともない。ただ流れで欲しがって与えて……現状はそれだけの関係であった。

「頻繁に会いに行ってたのに最近はとんと見かけないってね、常連のお客さんが言ってたのさ」

 神楽は俯くとグラスの中の栄養ドリンクを見つめた。そうは言われても会いに行くのは怖いのだ。流される自分も嫌いだし、決して愛してると口にしない沖田も嫌いだ。それをはっきりと本人に言わなければならないくらいなら、もうこのまま会えなくなっても良いなんて思っていた。また弱い自分に負けて逃げ回っているのだ。新八を失ったあの日から何も成長していない。神楽はグラスを空けてしまうと、コトンと音を立ててテーブルに置いた。

「私だって色々考えてるアル」

「そうかい? バアさんから見りゃ逃げてるようにしか見えないけどね。別れるにしても一度ちゃんと会って話しな」

 でも会いに行く勇気は出ない。道端で偶然出会いでもするかと思っていたのだがそれもない。もっと言えば沖田から会いに来ることもなかった。つまりはそう言うことなのだろう。沖田も神楽の身体が何の努力も無しで抱けるから抱いていただけなのだ。煩わしいことはせず、時間も手間も惜しんでいると言うことは沖田に神楽を想う気がない事を示していた。そんな事を考えていると腹が立って来た。どうして純潔を捧げてしまったんだろうと。しかし、沖田に抱かれた事で感じた幸せを無かったことは出来なかった。心の底から愛しているからだ。気の迷いではない。土方に惑わされてもやはり沖田の事は頭にあって、立てた操はそう簡単に破りたくはなかった。

「あいつに会いたいって思うのに勇気出ないアル。だからって電話して会いたいなんて言えないし、会ったら会ったで色々あるし……」

 そんな事を言った神楽にお登勢は笑うと、カウンターの中から出て来た。

「じゃあ、まだ惚れてんだね?」

 神楽はお登勢を赤い顔で見ると頷いた。好きなんだと。

 するとお登勢は煙草を指に挟むと煙と共に言葉を吐き出した。

「入りな」

 その言葉に頬杖をついていた神楽は背筋を伸ばすと、何事かと出入り口の戸を見つめた。

「この礼に今度、ボトルを一本入れされてくだせィ」

 そう言って入って来たのは沖田総悟であった。神楽は思わず椅子から立ち上がった。

「ちょっとバアさん喜ばしたって何にもないよ! ウチの用心棒の眼鏡と代わって欲しいくらいだね! あ、神楽。少し空けるから留守は任せたよ」

 お登勢は上機嫌にそう言うと、神楽と沖田の二人を店に残して出て行ってしまった。

 一週間ぶりに会った二人。沖田がどうして会いに来たのか。神楽はその理由や意味を探すと額に汗を滲ませるのだった。

next