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レディバード:13(神楽side)


 神楽は深い海のような瞳で夜の街を歩いていた。沖田には用事があると言って別れたのだが、本当はお登勢に頼まれた用事などなかったのだ。ただあの部屋を出る口実として嘘をついただけであった。理由は自分でもくだらないコトだと分かっている。だからこそ沖田には知られたくなく、こうして飛び出して来てしまった。

 フラフラと宛もなく歩く神楽は食事もまだだった事を思い出すと、目についた一軒の飲み屋に入ったのだった。

「お金はあるから、適当にお願い」

 神楽はカウンター席に着くと店の大将に料理を注文した。

「どこのお嬢さんかと思えば、万事屋グラさんか」

 そう言ってお通しを出した大将は、神楽のことを目を細めて見た。

「よく銀さんが通ってくれてねぇ、御代はいいよ。食べてってくれ」

 そう懐かしんで話す大将に神楽は僅かに笑顔になると礼を言った。銀時のことを忘れずに覚えていてくれる人がいる事は嬉しいのだ。だが、今日はそんな喜びもすぐに消えてしまい神楽の表情は浮かないものであった。

 先ほどまで神楽は沖田と愛し合っていた。その身を全て委ね、快楽に酔いしれて。誰にも見せたことのない場所まで見せて、誰にも許したことのない場所まで許した。それは愛し合っているもの同士であればごく普通の事なのだろう。だが、神楽は一つだけ引っかかっている事があったのだ。それは――――

「さぁ、食べてくれ。御茶漬けが好きなんだろ?」

 そう言って大将は神楽の前に鮭茶漬けの丼を置いたのだった。神楽はそれには驚いた。何故神楽の好物を一度も来たことのない店の大将が知っているのかと。

「はははっ、何で知ってるんだって顔だな。実はよく銀さんが言っていたんだ……ウチの神楽が鮭茶漬け好きでよォってな」

 どうやら銀時は飲み屋をはしごして、最後に辿り着くのがいつもこの店だったようだ。そしてシメに御茶漬けを注文するのが決まりとなっていた。

「酔っ払ってはいたが、いつもあんたの名前が出て来てなぁ……大事に想ってるとは思っていたが、こんな美人なら納得だな」

 大将は機嫌がいいのか饒舌に話すと、昔の賑やかだった店内を思い出しているようであった。

「そうアルカ、銀ちゃんが……」

 神楽は自分が銀時にとってちゃんと大切な存在だった事が嬉しかった。言葉で直接何か言われたことはなかったが、銀時が神楽や新八をいつも想っていることは分かっていたのだ。言葉がなくても繋がっていて、信頼し合える関係。いつだって万事屋は固い絆で結ばれていたのだ。銀時がいなくなるまでは……それを思い出すとまた胸が苦しくなった。だが、今は一人ではない。沖田がいる。沖田はこれからも側に……?

 本当に沖田には感謝していた。側にいてくれたからこそ、新八との別れも受け入れることが出来たのだ。だが、今は少しだけ引っかかることがある。会えばキスして肌を重ねて……そんなことを繰り返している内に、沖田が身体しか求めていないような気がしたのだ。好きなんて言葉などない。愛してるなんてもっとない。沖田に言葉など期待するのが間違いなのかもしれないが、一度くらい言ってくれても良いのにと神楽は思っていた。だが、一ヶ月が経過してもまだ一言もないのだ。そのわりに身体を重ねる回数だけは増えて行き、今日も何の躊躇いもなく全て中に吐き出されてしまった。正直言えば、別にそんなに嫌じゃない。乱暴にされる中にも優しさや愛しさは……感じなくもないのだ。それでもやはり神楽はこういう行為をする仲が何なのか、ハッキリさせたいと思っていた。でも、尋ねてもし自分の思っている関係と違ったら? それを怖いと思っていたが神楽が真に怖れているのは――――別にそうであっても良いと思う自分の心であった。身体さえ愛されればそれで、気持ちいいことを二人で出来るならそれで……そうやって快楽に溺れて沈んでいく事が何よりもの恐怖であった。キスをするとそこから作業的に触り合って、体の疼くまま悦楽に負けて擦り合わせる。終わってみればなんと虚しいことか。いつも布団の上で神楽は暗い気持ちになるのだった。

 神楽は鮭茶漬けを一杯だけ食べると箸を置いた。

「ご馳走様。今度はちゃんと御代払わせてネ」

 浮かない顔の神楽は椅子から立ち上がると、店の大将に再度礼を言って店から出た。

 暖簾をくぐって外に出れば空には満月が昇っており、夜でも明るく道を照らしていた。なのにあまりいい気分ではなく、再び沖田に会いに行きたいのにそれは心が望んでいることなのか、それとも身体が望んでいることなのか神楽は分からずに途方にくれていた。このまま帰って定春に埋れて眠るのも悪くない。そう思って神楽は一人で暮らすアパートへと向かうのだった。


 風呂に入った神楽は、一日の疲れを取ろうと湯船で肩を軽く揉んだ。しかし思いのほか穴掘り作業は体に負担を掛けたらしく、神楽にしては珍しく凝っていた。それでも土方が手伝ってくれて少しはラクになったのだ。あの夜の償いだと手伝いを買ってでてくれたから……

「別にもう良いって言ってんのに」

 だが、どこかでまた明日も手伝ってくれないかなどと考えていた。自分で決めたこととは言え、死人と半日ほど向き合っているのはあまり精神衛生上良くないのだ。誰かが隣に居てくれることは正直言うとありがたかった。

 神楽は風呂から出ると、肩の下辺りまで切った髪を乾かした。前よりもずっと早く乾く髪。鏡に映る姿に昔に戻った気分だったが――――銀時も新八もいないのだ。やはり夜を誰かと過ごすことに慣れてしまうとたまにこうして一人になると淋しさが襲ってくる。押し潰されてしまいそうだ。しかし、沖田を頼ればまた身体を結んでしまいそうで、それがイケナイ事のような気がして会いに行くのを躊躇った。

 すっかりと髪を乾かした神楽はパジャマ姿で台所の冷蔵庫に向かうと、いちご牛乳を飲もうとして……

「ないアル。忘れてたネ」

 昼間、買うのを忘れていたのだ。最近はあまり入手しづらくなったのだが、それでもまだ売っている店はあった。こんな荒廃しきった街でもコンビニくらいはあるのだ。神楽はパジャマからチャイナドレスに着替えると、髪を下ろしたままコンビニへ向かうのだった。


 無事にコンビニでいちご牛乳を手に入れた神楽はレジを済ませて店から出ようとして……山崎退に出くわした。

「あれ? チャイナさん? 今から隊長の家に?」

 山崎は赤ら顔でそう尋ねてくると、神楽はこの男が酒を飲んでいることに気がついた。

「どこで飲んでたアルカ? 誠組も随分景気がいいアルナ」

 真選組と違って仕事らしい仕事などあるとは思えなかったが、山崎はご機嫌に酔っていた。

「会館で酒盛りしてたんだけど、お酒切れちゃって」

 山崎はそういうと適当に酒を選んでカゴに入れていた。神楽はそうやって騒いでいるこの男たちが羨ましく思えた。自分には仲間と呼べるものはもう残り少ないのだ。ハメを外したくとも外せる場所などないのだから。

 そんな事を考えて見ていたせいか山崎は神楽を心配そうに覗き込んだ。

「あっれ? もしかして隊長と上手く行ってないとか? そうだよね。隊長ってワガママだし人遣い荒いし超どSだし一緒にいたら疲れるもんなぁ」

 神楽はこめかみに青筋を浮かべると山崎の頭に拳を落としたのだった。やはり惚れた男の悪口を言われるのはあまりいい気分ではないのだ。

「本当のことだけど口に出すなヨ!」

「いやいやいや! あんたも思ってるじゃん!」

 そんなツッコミを入れられると、神楽はどれくらいか振りにおかしくって笑ったのだった。

「そうだ! 良かったら今から来る? チャイナさん来てくれたら大盛り上がり間違いないし!」

 神楽は少し考える振りをすると両肘を抱いた。誰かと騒ぎたい気分であったのは間違いないのだ。ただ沖田のことが少々気掛かりではあったが、嫉妬などするような男ではないと神楽は行くことに決めたのだった。

「少しだけネ」

 神楽はほろ酔いでテンションの高い山崎に付き合って、市民会館まで歩いて行くのだった。

 しかし、神楽を取り囲む男たちの顔色はあまりよいものではなく、沖田総悟の女であることに皆一様にビビっていた。

「も、もし酔って間違いでも犯したら……殺されちまうだろ」

 神楽はこれにはガッカリであった。楽しく騒げると思っていたのにとんだ誤算だ。

「なっさけないアルナ」

 神楽はもう良いと立ち上がると部屋から廊下へと飛び出した。山崎はと言うと戻って来てすぐに酒を飲まされ目を回して眠っていた。これでは楽しめないと神楽は廊下の先の玄関へ向かおうとして――――背後で戸の開く音がした。振り返って見てみれば、そこには浴衣姿の土方が立っていた。

「神楽か? 何してんだ?」

 さすがに土方も想定していなかったらしく神楽がここに居ることに驚いていた。

「あいつら私がいると楽しく酔えないって。つまらん奴らアルナ」

 神楽が頬を膨らましてそう言うと土方はフッと小さく笑った。

「総悟に怖じ気づいたか……」

「せっかく来てやったのにこの仕打ち何アルカ。お前の教育の賜物アルナ」

 神楽がそんな嫌味を言ってやると、土方は神楽の腕を強く掴んだ。ハッとして土方を見れば軽く瞳孔の開いた目が神楽を見下ろしていた。

「そうまで言うなら、代わりに副長の俺が責任取ってテメェを楽しませてやる。つうか呑めんのか?」

 神楽は酒など今まで一度も飲んだ事などなかった。どんなに格好つけても栄養ドリンクを一本飲むくらいなのだ。しかし神楽は嘘をついた。

「酒くらい……余裕アル」

「ならついて来い」

 手を引かれる神楽はこの時、胸の高鳴りに戸惑っていた。前にもこの男に感じた謎めいた震え。それが何なのか知ってはいけない感情のような気がして、神楽は心に蓋をするのだった。


 前にも訪れた部屋。会館の一番奥の部屋に連れて来られた神楽は、いつかの夜を思い出していた。フカフカの布団の上で土方に――――

「適当に座れ」

 神楽はその声に我に返ると、土方へ右頬を見せる位置に腰を下ろした。

「それで……こんな時間によくここに来る気になったな? 総悟と上手く行ってねェのか?」

 皆してどうしてそう言うのか。別に沖田と上手く行ってないワケではない。寧ろ上手く“イき過ぎて ”問題なのだ。

「余計なお世話アル。それよりもちゃんと楽しませろヨ、副長さん」

 神楽はそう言って正座している脚を崩すと横へ流した。そのせいでチャイナドレスのスリットから白い素肌が覗いた。

「ならテメェはこれでも飲んで力を抜け。さっきから眉間のシワが目障りでしょうがねェ」

 神楽は気付いていなかったがずっと怖い顔をしていたらしい。どうりで沖田と上手く行っていないのかと尋ねられるワケだ。土方から渡されたグラスには日本酒が入っており、神楽は思わず顔を背けた。

「やっぱり呑めねェんだろ?」

 土方はハァと息を吐くと軽く目を瞑った。その仕草や表情が大人の男を神楽に感じさせ、どうしてか悔しくなった。

「ち、違うアル! これで割って飲めば……飲めるアル」

 神楽はそう言うと先ほどコンビニで購入したいちご牛乳を取り出した。土方はそれを神楽から取り上げると訝しげな表情で見つめていた。

「まァ洋酒なら合うか……」

 何やら呟いた土方は部屋の奥の棚から一つの酒瓶を持ってくると、日本酒を飲み干したグラスに黄金色の酒を注いだのだった。それを半分ほど注いだところで、先ほど神楽から取り上げたいちご牛乳を注ぎ足した。

「本当に呑めんのか? 意地張って言ってんならやめとけ」

 そう言って土方は神楽にグラスを差し出すと、ようやく咥えている煙草に火をつけたのだった。

 神楽はよく分からない色に濁ったグラスを見つめていた。こんな色したものが美味しいワケないのだ。いや、納豆然り蟹味噌然り……実際に口にしてみなければ分からないのであった。

「言っとくがここで潰れても、送ってもらえるなんざ甘い考えはなしだ。そこまで面倒見る気はねェ」

「こんなの平気アル。最近はなんかちょっと一本くらいじゃ酔わなくなって来たくらいアル」

 栄養ドリンクだけど……とは言えずに神楽はグラスに口を付けたのだった。鼻腔に広がる強烈なアルコールの香りとどこか懐かしい甘ったるい匂い。神楽は恐る恐る濁った液体を口に含むと一口飲み込んだ。

「うっ……」

 その反応に土方はすかさずグラスを取り上げた。

「言ってんだろ! やめとけって」

 しかし、神楽は土方からグラスを取り返すと首を左右に激しく振った。

「美味いって言おうとしただけ……だけ……アリュ! え、アリュ?」

 説得力など皆無であった。頭を振ったせいで酔いの回りが早くなり、初めて口にしたアルコールに神楽は完全に酔っ払っていた。何だか気分が高揚して来たのだ。体も火がついたかのように熱い。

「ちょっとどうなってんダヨ。お前何入れたアルカ!」

 神楽はそう言って土方に迫ると、赤い顔で頬を膨らませた。

「酒といちご牛乳しか入れてねェだろッ! ホラ、貸せ!」

 土方は再び神楽からグラスを取り上げようとして――――グラスから酒が跳ねてしまった。胡座をかいて座っていた土方の脚の付け根辺りに酒が零れている。

「ああー! 勿体無いアル!」

 すっかりと酔いが回り判断力が低下しているせいか卑しさ全開の神楽は、零れた酒を飲もうと土方の股間辺りに顔を近付けた。そして浴衣に染みた酒をチュウっと吸ったのだった。

「テメェは何してんだ!」

 そう言って土方は神楽を引き離そうとしたが、食べ物に関する神楽の執着は恐ろしいものがあった。絶対に離れようとしないのだ。そうこうしている内に神楽の唇は浴衣の下の素肌にまで到達してしまい、土方の顔に焦りの色が見えた。

「オイ……やめとけ」

 だが、神楽は舌を出してそこについている僅かな酒を舐め取ろうと赤い舌を這わせるのだった。

「美味しいアル」

 呑気にもそんな言葉を口にしているが、神楽を見下ろす土方の瞳には赤い光が揺らめいていた。しかしそんな事にも気付いていない神楽は、体を起こすと土方に笑いかけた。自分のやっている事がどういうことか全く自覚がないのだ。もちろん悪気もない。

「……総悟に連絡して迎えに来させるか」

 だが、神楽はその言葉だけは聞き逃さなかった。

「やめて」

 そう言って眉間にシワを作ると土方の腕を強く掴んだ。今夜は会うべきではないと思っているのだ。会えばまた尋ねたいことも聞けずに苦しくなって、ラクな方へと流されてしまうからだ。そうしてじっとしている神楽の手に土方は、もう一方の手を重ねると静かに言った。

「そりゃどーいう意味だ? 教えろ」

 土方の瞳が熱を帯びていて、神楽はまた胸が震えた。見つめられると勘違いを起こしそうになるのだ。それくらい向けられる視線は温度の高いものであった。触れている手だって熱い。

「べ、別に……」

「そうか。そりゃそうだな。男の部屋で酒飲んでて酔ったからつって、迎えに来てくれなんて言えるわけねェよな?」

 土方はそう言うと神楽に同情するような顔になって、そして神楽の腕を引っ張った。そのせいでフラついている神楽の体は簡単に土方の胸へ倒れ込んだ。薄い浴衣越しだが茹だっているような肌の温度が頬へ伝わる。それに惑わされそうで……いつかの夜を思い出した。特別な感情などなかったがキスをしたのだ。

「酔いが覚めるまでこうしてろ。もう余計なことはするな。堪ったもんじゃねェ」

 軽く押し込められた神楽は土方の腕の中で瞬きを繰り返していた。心が動いていくのが分かるのだ。ただ優しく抱き締められるなど久々で、最近じゃ沖田の腕はこんな風に大人しくそこにないのだから。神楽は胸の奥にじわりと広がっていくような愛情を感じていた。大量に注がれるものではないが、それは体に染み渡るように――――神楽はダメだと分かっていても土方の背中に腕を回すのだった。

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