[MENU]

レディバード:11(沖田side)


 髪を短く切り揃え、誰かの真似した羽織は捨てた。それでもまだ元に戻れない気分なのは、隣で眠る女――――神楽のせいだった。前までならこうじゃない。神楽が安心して眠るのは自分の隣ではなかった。それが居ない誰かを思い出させてやはり傷つくのだが、溢れ出る愛しさに喜びも感じていた。

 旦那はもうどこにもいない。

 そんな事を真夜中に目覚めた沖田は心で呟くと、彼女の長い髪にそっと口付けをするのだった。俺が護ってやると、ずっと側に居てやると想いを込めて。


「起きろヨ。いつまで寝てるアルカ!」

 翌朝、先に目を覚ましたのか神楽の声で起こされた沖田は、枕元の時計に目をやった。時刻は既に午前九時を回っていた。

「まだ良いだろ。寝かせてくれ」

 真選組が解体されてからと言うもの、沖田は浪人として何にも縛られずに生活していた。とは言え収入がないと生活は成り立たない。寂れた町だが商売をやっている店も多く、沖田は何軒かの用心棒を務めていた。しかし、基本的に夕方までどこも店は閉まっていて、出来れば昼頃までは眠っていたかった。なのに先に起きた神楽が不健康だと言って沖田に馬乗りになるのだ。

「ほんっと誰かさんみたいアル。このままだとお前も天パになっちゃうネ!」

 あれから神楽は真紅のチャイナドレスへと装いを戻し、口調もカタコトを貫いていた。しかし、大きく育った胸元は昔とはすっかりと変わっていて、沖田は布団から腕だけ伸ばすとその膨らみを鷲掴もうとした。

「朝から何してんだヨ!」

 しかし昨夜あんなにねだった彼女も陽が昇ればそうはいかないようだ。沖田は手をパチンと叩かれると、仕方ないと布団の中へ引っ込めたのだった。

「万事屋なんざ今も昔も仕事がないのが常だろ。早起きして何になるんでィ」

 昔は昔で怠けて仕事がなく、今も今で人が減り仕事がないように思えた。だが、神楽は毎日のように早起きして夕方まで走り回っているのだ。沖田はそれが不思議で仕方なかった。

「……色々やることがあるアル」

 神楽はあまり明るくない声でそう言うと沖田の上から下りたのだった。それには沖田も遂に布団から顔を出すと、掛けているアイマスクをズラして神楽を見た。やはりそこにあったのは声と同様にあまり明るくないものであった。

「てめぇこそ何でィ。朝っぱらから湿気たツラしやがって……」

「まだそんなに上手く笑えるわけじゃないから」

 泣き出しそうな顔で微笑んだ神楽に沖田の眠気は一気に覚めた。分かっていた筈なのにどうしてだろうか。自惚だと沖田は自分の失言に珍しく反省した。神楽が自分と居れば過去を忘れ、心から笑えると思っていたのだ。そんな簡単に気持ちの切り替えが出来ないことなど誰よりも知っているにも拘らず。

「じゃあ、またネ」

 何か声を掛けようと思っていたのだが結局言葉が紡がれる事はなく、沖田はアパートに独りとなった。真選組が解体してからずっと一人でやって来たと言うのに、どういうワケか言い知れぬ寂しさに襲われた。それにはさすがに参った。陽が昇るまでこの身はハッキリと神楽の熱を感じていて、白い肌から伝わる息遣いも全てこの手にあると信じていたのだ。なのに実際は簡単にすり抜けて行き、神楽はもうこの室内にもいない。それが不確かな二人の関係を物語っているようで沖田は喉の奥が詰まるような気分であった。いくらこの腕に抱いても神楽が明日も自分を求めるとは限らない。そんな不安に襲われたのだ。

 正直、自分が銀時や新八の代わりであるのだろうと思っていた。だがそれ自体は別に構わないのだ。神楽の中で万事屋は命と同じだけ重要なものであるのは知っていた。沖田の近藤への忠誠心のように。だからその事に関して何か言うつもりはなかったが、もしその代役が誰にでも務まるものだとしたら――――心穏やかではいられなかった。少しのミスが命取りになるだろう。

 沖田はジッとしていられなくて布団から出るとシャワーを浴び、出かける用意をしたのだった。


 神楽がどこへ向かったのかは分からない。ただ人が住んでいる地域は限られており、騒ぎがあれば直ぐに分かるはずだ。だが、賊が暴れている情報もなく沖田は目立つ真選組の隊服姿で江戸の街をぶらついていた。もしかすると神楽はかぶき町の自宅に戻ったのかもしれない。しかし宛てはないし、会ったからと言って何をいうわけでもないのだが沖田は神楽を捜したのだった。

 初めて二人で朝を迎えたのが一ヶ月前のこと。それから毎晩のように神楽は沖田の家へと“食事”を届けに来ていた。その味にすっかりと魅了され、手放すことが出来なくなった沖田は間も無く神楽との同棲を思い描いた。しかしもう既に数回はその打診をしているのだが、神楽がその首を縦に振ることはなかった。そんな事もあり沖田の不安は増す一方なのだ。

 そうして沖田がかぶき町へ向かって歩いていると、電柱の影から伸びて来た手に沖田は隊服を引っ張られた。その手の細さと体格からして女のものだと分かったが、どうやら神楽ではない。沖田は振り向くと誰だと眉をひそめたのだった。

「あなた、神楽ちゃんの彼氏でしょ?」

 そこには、どこかで見たことのある眼鏡を掛けたくノ一が立っていた。

「何の用でさァ?」

 沖田は彼氏だと言われて驚きはしたが否定はしなかった。多分、そういう間柄だろうとは思っていたからだ。

「あなた知ってるの? 神楽ちゃんが今どんな仕事してるのか。それも一人で……」

 どこか責めるような声と表情のくノ一に、沖田は少々苛ついた。何故自分が責められなければいけないのかと。

「あいつがどんな仕事してようが知ったこっちゃねぇ。あんただって良いも悪いも仕事には種類なんてないのは分かってる口だろ?」

 そう言い返してその場から立ち去ろうとしたのだが、くノ一は沖田の背中にヒステリックな声を上げた。

「最後まで話しを聞きなさいよ! これだからお子様と会話するのは疲れるのよ」

 ずれた落ちた眼鏡を指で上げたくノ一は大きな胸の前で両腕を組むと、鋭い目で沖田に言い放った。

「神楽ちゃんは道端で亡くなっていった身寄りのない人達の遺体をね……一人で埋葬してあげてるの。かぶき町の公園で。私も手伝うって言ったんだけど万事屋の仕事だからって。だからあなたには神楽ちゃんをしっかり支えてあげて欲しいのよ。銀さんも新八君も……今はもう彼女の側にいないから」

 沖田は振り返ることはしなかった。ただ軽く頷くと“そうか”とだけ言って歩き始めた。まだ何か背中へと投げつけられる言葉があったが、沖田はそれを全て無視した。耳になど入らなかったのだ。驚愕と衝撃。二つもの大きな感情に心は激しく波打っていた。どうして気づかなかったのかと言うことと、くノ一が言った最後の言葉――――それが沖田の心を一番掻き乱したのだった。

 もしこんな時代でも銀時か新八が神楽の側にいたのなら、支える役目は自分ではなかったのかもしれない。そう思えてならないのだ。それを他人から言われるとやはり皆がそう思っているのだろうと、自分のことが惨めに感じた。恋愛経験などマトモにない。他のことならどんな風に他人に言われても良いのだが、恋愛が絡むと余裕が無くなった。自信がないのがよく分かる。

「情けねェ……」

 沖田はポツリと呟くと、神楽がいるであろうかぶき町の公園を目指したのだった。


 道中もちょっと脇に目をやれば、女とも男とも区別のつかないモノが横たわっている。いつ自分の身がこうなるとも分からない。神楽だってそうだ。なのに感染原因すら分からない白詛に冒され亡くなっていた者を土に還してやっている。そうまでする理由は何なのか。沖田は神楽の考えが……神楽が全く分からなかった。

 そんな事を考えている内に神楽がいるであろう公園へと辿り着いた。公園は人の手が入らなくなったせいかすっかり茂っており、腰ほどもある雑草を掻き分けると公園の奥の方で穴を掘る神楽が見えた。だが沖田はその表情を険しいものへ変えると、木の影に身を隠したのだった。

「少し休憩しないアルカ?」

 どうも神楽は一人ではないようで、しゃがんでいる誰かに話しかけている。沖田はくノ一に手伝わせなかった仕事を一体誰に手伝わせているのか、気になって仕方がなかった。相手によっては神楽を糾弾しなければならないからだ。

 土方さんってことはねぇだろうな……土方さんってことは。

 背の高い雑草が揺れてしゃがんでいた人物が姿を現す。現れたのは沖田の想像している人物と少しのズレもなく一致した。姿を見せたのは、煙草を口に咥えた土方であった。

「あぁ、そうするか」

 土方と神楽は古ぼけたベンチに腰掛けると、近い距離になんの躊躇いもなく座っていた。そんな姿を目の当たりにした沖田は血の気が引くのを感じながらも出て行くことができず、ただ呆然と二人の姿を目に映していた。たとえば手伝っていたのが知らない男ならどうだったのか。たとえばこれが新八ならどうだったのか。全ては憶測だがこんな感情は湧き上がって来なかった筈だ。知らない男なら気にもしなかっただろうし、新八だったのなら潔く身を引けたかもしれない。だが、土方だけはダメなのだ。絶対にここに居てはならない男であった。

 帰ってしまおうかと思ったが、沖田は一つだけ確かめたいことがあった。それはきっと見れば分かることだと沖田は目を凝らして二人を見つめた。

「毎日たくさん。もうここも満員アル」

「……してやる義理はねェだろ?」

 土方がそう言って煙を空へ吐き出すと、神楽は脚を組み替えた。

「私、子供の頃からたくさん人が死ぬのを見てきたアル。だけど病気じゃなくて同じ夜兎同士の殺し合いネ……」

 神楽はそれからポツリポツリ、遠い昔をゆっくりと思い出すように話した。毎日繰り広げられる争いの残酷さと積み上がる屍の惨たらしさに胸の奥がどんどんと冷えていき、人が死ぬことに心が麻痺しかかっていたのだと。そんな神楽にかぶき町の人間は温りや優しさを教えてくれたのだ。だからせめてもの恩返しにこれくらいはと神楽は話した。

 聞き終えた沖田も神楽の隣の土方も同じような表情を浮かべていた。彼女の優しさや強さ、逞しさに心を打たれたのかもしれない。だとすると益々沖田は顔色を悪くした。

「本当は一人でやるって決めてたアル。なのにお前……」

 そんな風に土方を気遣うような神楽に沖田は吐き気を催した。そんな目であいつを見るなと体が拒絶反応を見せているのだ。

「言うな。大それたこと言った癖に、結局俺はテメェに何もしてやれなかった。これくらいは手伝わせろ……まァそうは言ってもンなことくれェであの夜の事が帳消しになるとは思っちゃいねェがな」

 沖田は意味深に見つめ合う二人に背を向けると、自分には分からない二人だけの夜が存在することに奥歯を強く噛み締めた。土方と神楽の間に一体何があったのか。そこで沖田は神楽が全て忘れたいと泣きついて来た晩のことを思い出した。

 神楽と新八との関係が修復困難になり決裂した夜のこと。神楽は他の誰でもなく沖田を頼り全てを委ねて来たのだ。こんな風に頼られることを沖田はずっと望んでいて、何よりも神楽を一人の女として欲しがった。どこにも拒む理由はなかった。そうして頬を濡らす神楽を受け入れた沖田は、その日から自分だけが神楽の側で支えていくものだと思っていた。思っていたが……どうもそれは違うようだったのだ。あの夜、抱き締めた神楽から漂った煙草の匂い。嫌な予感はしていた。昔もそうだった。いつもなら早々と眠るミツバがその日は夜遅くに出て行った。そしてようやく帰って来たと思ったら漂ったのだ。同じ煙草の匂いが――――あの晩、何もないと神楽は言ったがそれが事実だと言う証拠はない。沖田は今見た光景に疑心暗鬼となっていた。だが、そんな中でもハッキリと分かることがあった。一つだけ確かめたかったこと。それは土方の神楽への想いであった。神楽を見つめる眼差しや声色。それらが表すのは紛れもなく好意であり、心を寄せる男そのものであった。

「もう済んだことアル。それに……仕方ないこともあるって、欲張っちゃダメだって分かったから」

「ンなこと誰が言った? 貪欲になれるなら、なって損はねェだろ」

 柔らかい表情で話す土方。沖田は聞こえてきた声に鼻で笑うと、土方とのお喋りに夢中な神楽に声を掛けず公園を後にした。

next