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唇の温度:03

 

 今日の神楽の装いは、赤いミニ丈のチャイナドレスにニーハイソックス。そして、右肩から胸を通って斜めに掛けられている小さいポシェットが、神楽のスタイルの良さを強調していた。一見して子供っぽく映る姿ではあったが、その女らしさは近藤の目のやり場を奪ったのだった。

「まずは腹ごしらえするアル!」

 遊園地の入場ゲートを潜ると、神楽は近藤の手を取って引っ張った。

「お、おい! 待て! 走るな!」

 神楽の元気の良さに圧倒された近藤は、これが若さかと神楽を眩しく思った。そして、更に注文された食べ物の数に、これが若さかと我が目を疑っていた。

「でも、これでも今日はデートだから控え目アル」

 そう言った神楽であったが、近藤には理解不能だった。

 フルーツのたくさん入ったジュースにカラフルなアイスクリーム、甘い香りのクレープ。そして、揚げたてのフライドポテトに焼きたてのベーグル。更に良い具合にチーズの溶けたピザ。それらが屋外に設置されたテーブルを占拠していた。

 次から次へと胃の中へと収めていく神楽を、近藤は黙って見つめていた。神楽がよく食べると言うことは、お妙のストーキング中にも何度か目撃し知ってはいたが、目の当たりにするとどこか感動にも似たような不思議な感覚に包まれた。

「一種の才能だな」

「まぁナ」

 嬉しそうな顔をした神楽はあっという間に完食すると、アレに乗りたいと言って早速、近藤を引っ張って行った。

 

 着いた先は言わば海賊船と呼ばれるアトラクションで、それを見た近藤は首を激しく左右に振ると神楽の腕を引っ張った。

 確か、この娘は――大量に吐く!

 近藤はこれも何度か目撃しており、モザイク塗れになる自分の姿を想像した。

「お、お化け屋敷とかの方が良いんじゃねぇか?」

「なんでヨ! 海賊船に乗ってワンパークの気分味わいたいアル!」

「なら、1人で乗って来い! 俺は乗らねぇぞ!」

 近藤がそう言うと、神楽はつまらなさそうに唇を尖らせた。

「ちぇっ、仕方ねーアルナ。お化けとかワンパンで倒せるけど、付き合ってやるアル」

 恐ろしい事を口に出した神楽に近藤は青ざめるも、諦めてくれた事にホッとすると2人はお化け屋敷へと向かった。

 

 入り口からして真っ暗。近藤は別の意味で青ざめると、神楽の手を強く握った。それには神楽も顔を上げると、心配そうにこちらを見ていた。

「お前、オシッコちびるアルカ?」

 ちびるくらいで済めば良いが。

 近藤は盛大に漏らしてしまうような気がしていた。

「待ってるアルカ? 私、全員ぶっ飛ばして来てやろうか?」

 何と無く神楽の気遣いを感じた近藤は大丈夫だと涙目で答えると、神楽に手を引かれる形でお化け屋敷へと入って行った。

 一歩先すらも見えない闇。近藤は神楽の手だけを頼りに進んだ。

「大丈夫アル! 考えるんじゃない! 感じろネ!」

 神楽はそんな事を口にしながら、意気揚々と進んでいた。そのせいか近藤も少し暗闇に慣れ、体の震えが収まった気がした。

「全然お化け出てこないアルナ。どうなってるアルカ?」

 確かに入ってだいぶ進んだつもりだが、まだ心臓を飛び上がらせる仕掛けはなかった。

「いや、油断させて襲い掛かってくるパターンだろ」

「そんなもんアルカ? でも、人の気配みたいなのは感じるネ」

 2人はそんな会話を繰り広げながら、結局一度も驚かされる事なくお化け屋敷から出て来てしまった。

「ただ暗闇を歩いただけだったアルナ」

「一体、どうなってんだ……」

 近藤がそう言ってお化け屋敷の出口を振り返った時だった。

「こちらソーゴ。邪魔する奴らは全員始末した、どーぞ」

 トランシーバーでやり取りをする、見知った顔を見つけた気がしたのだ。

 まさか総悟が全員……殺ったのか!? まさかな……

 近藤は胸の奥が急激に冷たくなるのを感じると、神楽の手を引いたまま足早にお化け屋敷から遠ざかった。

「どうしたネ? 腹でも痛いアルカ?」

「いや、まぁ、そんなところだ」

 近藤は額の汗を空いてる方の腕で拭うと、神楽の下から突き刺すような視線に目を向けた。

「言っとくけど、漏らしてねぇからな!」

「う、うん……」

 どうしたのか、やや元気のない返事をした神楽に近藤は眉間にシワを作った。

「なんだ? 信じてねぇのか?」

「そうじゃなくて」

 神楽は繋がっている手を軽く持ち上げると、照れ臭そうに笑った。その表情が年相応の少女のもので、近藤は思わず甘酸っぱい気分になった。

 チャイナ娘もこんな顔をするのか。

 急に手を繋いでいる事を恥ずかしく感じた近藤は、年甲斐もなく頬を赤くすると神楽から視線を外した。

「嫌なら……離すか?」

 倍も歳の離れた女の子と手を繋ぐなど、どこか犯罪にも似たような危険な香りがした。しかし、神楽と手を離す事を望んでいない自分に、近藤は気付いてしまった。こんな気持ちになるのはどれくらいぶりか。心が洗われるようであった。

「銀ちゃんと新八以外で初めてアル。手を繋ぐの」

「お、おう。そうか」

 近藤はそんな可愛いことを言った神楽に再び目をやると、神楽はニッコリ笑った。

「でも姐御じゃなくて、悪かったナ」

 どうしてそんな言葉をそんな顔で言ったのか。近藤には理解する事が出来なかった。

 軽いジョークのつもりだったのか。それとも、本心だったのか。

 突然の神楽の言葉に、近藤は何も口に出す事が出来ないのだった。

 

 その後、何と無く手を離せないまま、神楽と近藤は色々なアトラクションを楽しんだ。たまに視界の中に物騒な事を話す男たちが入ってくるが、我関せずと決め込み、近藤は“デート”を楽しんでいた。

 これが惚れた女とならどんなに良いか。そんな事が一瞬、頭に過ぎりはしたが、神楽との時間も充分に楽しいと感じていた。寧ろ、神楽とだから無邪気に楽しめるのではないかと思っていた。変に気取ったり、格好をつける必要はない。自然体でいられる事に、近藤はどこか今までに感じたことのない心地よさを感じていた。

「そろそろ観覧車に向かうアル。乗り場についたら、模造刀を持ったグラサンが私を人質に取るから、お前はそのグラサンを逮捕するアル!」

「よし、分かった!」

 近藤は意気込むと、やや緊張した面持ちで観覧車乗り場へと向かった。すると、打ち合わせ通りにサングラスを掛けた長谷川が、早速神楽に飛び掛かった。

「おい、そこのカップル! 黙って金を出してもらおうか! 俺はな、本当に金がなくて、明日のワンカップ代もねぇんだからな!」

 やけにリアルな長谷川の芝居に神楽も近藤も少々引いていると、突然目の前に別の男が現れた。

「そうはさせねぇぜ! ザキ! 強盗を捕まえろ!」

 一瞬の出来事だった。

 模造刀を持ったグラサンをどこから現れたのか、沖田と山崎が捕まえてしまったのだ。

「お二人さんは仲良くチューでもして来な!」

 呆気に取られている神楽と近藤を何も知らない沖田が、観覧車のゴンドラへと押し込んでしまった。

「おい、総悟ォオ!」

 こちらへと片目を瞑り親指を立てている沖田に、神楽も近藤も青筋を浮かべるも、ゴンドラは無情にも地上から離れて行くのであった。

 神楽はゴンドラの窓に張り付き、下を眺めながら呟いた。

「ある意味、作戦成功アルナ」

 近藤は頭を抱えてベンチに座ると、もうどうしようもないと笑うしかなかった。

「バズーカもロケットランチャーも使わなかったところは、評価しねぇとな」

 結果的に見れば、プライベートで遊園地に来ていた真選組の隊士が手柄を立てた事には変わりはなかった。しかし、今頃下で何が起こっているのかは確認しようがなかった。

 近藤はグラサンが生きていることを、ただただ願うのみであった。

「……私のしたこと、意味のないものだったアルナ」

 神楽は近藤の正面に座ると、苦笑いで窓の外を眺めながら言った。

「そう言うな。過ぎたことは仕方ねぇ。それに……」

 別に意味など、どうでもいい。

 近藤は神楽の横顔を見ながら、ボンヤリとそんな事を考えていた。

「俺は楽しかったぞ」

 近藤がそう呟くと、神楽の顔がこちらへ向いた。

「当たり前アル! 私と一緒に居て楽しくないとか言ったら、ここから放り投げてやるネ」

 そんな事を神楽は言いはしたが、近藤にはそれが照れ隠しに聞こえて仕方がなかった。何故なら神楽の顔には、眩しいくらいの笑顔が張り付いていたからだ。

 そこで近藤は改めて考えてみた。休日に美少女と2人だけで観覧車に乗っていると言う状況を。相手は万事屋の神楽ではあるが、近藤の気持ちは確実に浮ついており、恋愛感情の有無に拘らず、新鮮な気分であった。可愛い女の子とデートする事が嬉しくないわけがなく、黙って大人しくしていれば神楽もなかなかのものだと思っていた。

 窓枠に頬杖をついている神楽は、窓の外の景色を静かに眺めていた。その伏せ目がちの目には長いまつ毛が生えており、気だるそうな表情のせいかやけに大人びて映った。

「なぁ、ゴリ」

「なんだ?」

「知ってるアルカ? この観覧車の頂上でキスすると、そのカップルは未来永劫幸せになるって話」

 よくあるジンクス的なものなのだろうが、神楽がそんな事を口にした事実に近藤は驚いたのだった。

 そんな話をするなんて、どういうつもりか?

 2人の乗るゴンドラは、ゆっくりと頂上へ向かって動いていた。当たり前なのだが、それを意識した途端、近藤の心臓はバクバクと大きく音を立て始める。

 まさか、キスをせがんでるってのか!?

 近藤の頭の中にそんな考えが浮かんで来た。しかし、そんなわけないだろうと頭を振って掻き消すと、自分の愚かさに思わず苦笑いを浮かべた。

 こんな美少女が俺なんかに……

「じゃあ、今度はお妙さんと乗ろうかなぁ~」

 らしくない自分に、近藤はふざけてそんな言葉を口にした。すると、神楽の冷たい視線が突き刺さった。

「頂上から蹴り落とされるのが目に浮かぶアルナ」

 そう言って神楽はグッと背中を反らせ背伸びをすると、脚を組み替えた。

「……結局は好きな人と乗ったって、キスなんて夢のまた夢アル」

 どこか自嘲気味に聞こえたその言葉に近藤は尋ねてみた。

「お前でもそうなのか?」

 神楽は不思議そうな、驚いたような顔をこちらに向けると、瞬きを数回繰り返した。

「なんでアルカ?」

「いや、お前みたいなベッピンでも叶わねぇのかと思ってな。見てくれの良い奴は、キスくらい簡単に出来ると思ってたからなぁ」

 ゴリラ顏の自分とは違い、可憐でスタイルも良い美少女ですらキスが出来ないのであれば、キスなどと言う行為はウルトラCどころの難易度では済まないと思ったのだ。

 近藤は世の中のカップルが、どいつもこいつもオリンピック級に思えて仕方がなかった。

「おかしな事言う奴アルナ」

 神楽はそう言うと近藤の隣に腰を下ろした。そのせいでゴンドラがややこちらに傾いた。

 急に近付いた神楽との距離に近藤は、呼吸のやり方が狂ってしまった。空気を吸ったり吐いたり、そのリズムが定まらないのだ。

「なら、お前は私とキス出来るのカヨ?」

「ひっ!?」

 近藤は体を仰け反らせると、額に汗を滲ませた。心臓が痛いくらいに脈を打っている。神楽はベンチに手をついて近藤との距離を僅かに詰めると、顔を前に突き出した。桜色した唇がこちらに迫る。それに近藤はゴクリと唾を飲み込むと、泳ぐ瞳で言ったのだった。

「そ、そう言うのは好きな男とするもんだろ……」

「今はキスが出来るか出来ないかの話をしてんダロ?」

 近藤はついにゴンドラの端に追い詰められると、神楽の大きな瞳に自分だけが映っているのが見えた。

 キスが出来るか出来ないかの話でいえば、キスなど出来ないと言うのが近藤の答えであった。それは相手に問題があると言うよりは、モテることのない人生を歩んで来た近藤が、女の子とデート中にスマートでフランクなキスをするなど、難しいと言う話なのだ。今まで散々、拒絶された経験しかなく、こんな状況でどうすると良いかなど勘すらも働かなかった。

 だがしかし、気持ちだけで言えばこの機会を逃したくはないし、キスが出来るのであればしたいと言うのが本音ではあった。

「ほら、出来ないデショ? 」

 神楽はそう言って近藤から離れると、元居たベンチに座ろうと立ち上がった。窓の外を見ればちょうど頂上付近の様で、江戸の街がミニチュアのように小さく見えている。

 近藤は思わず伸ばした手で神楽の腕を掴むと、神楽の大きな目が更に見開かれ揺れていた。

「な、なんダヨ」

 神楽が立ったまま固まっていると、近藤が腕を引っ張りこちらへと寄せた。そして再度2人は並んで座ると、近い距離で見つめあった。

「出来るか出来ないかで言えば……俺には出来ねぇけど、したいとは思ってる」

 なんて情けないのか。デカい図体の癖してチキンハートだと、チャンスをものに出来ない自分が恥ずかしかった。

 でも、足掻いてみたかったのだ。自分とキスをしても良いと思ってくれている美少女との間に何か起きないかと、期待だけは膨らんでいた。

「それ言って何になるネ? もしかして、私からしろって意味アルカ!?」

「い、いや、違う!」

 口ではそう否定したが、本心はそれを望んでいるのだ。能動的になる勇気はないが、ありつけるなら喜んでキスをしたいと。

「ばっかじゃないアルカ! するわけないダロ! お前が私に出来るか出来ないかの話してんのに、意味わかんねーヨ!」

 神楽はそう言って近藤の腹にパンチをすると、怒った顔で両腕を組んだ。

「だいたい、お前は姉御が好きな癖になんで神楽ちゃんのキスを欲しがるアルネ? 随分と欲張りな男アルナ。身の程を弁えろヨ」

 そう言われてしまうと近藤は、もう何も言い返す事は出来ないのだった。

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