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唇の温度:02

 

 それから、近藤は神楽の言った事についてしばらく考えていた。真選組の世間でのイメージはいつまで経っても良いものではなく、必要以上に怖がられ、週刊誌を開けば税金泥棒とまで書かれていた。それは一つの組織をまとめる身としては、確かに見過ごせない問題ではあった。

 隊士の多くは剣の道でしか生きることの出来ない者ばかりだ。このまま目に余る行動が増えれば、真選組を解体させられる恐れもある。そうなれば隊士達が路頭に迷うのは目に見えていた。

 近藤は神楽が何を考えていたのか話だけでも聞いてみるかと、呑みに出た帰りに万事屋へ寄ったのだった。

 

 万事屋の階段を上り、インターホンを押せば神楽の声が聞こえて来た。

「はいはーい、誰アルカ?」

 近藤は自分の名を名乗ると、玄関の引き戸が勢い良く開かれた。すると、ニヤニヤとした神楽の顔がそこにはあった。

「やっぱり気になったアルカ?」

 近藤はやや上気した頬を掻くと、まぁなと軽く返事をした。一度断っておきながら神楽を尋ねるなど、あまり格好のつく話ではなかったが、今は体裁などどうでも良いと万事屋へと上がったのだった。

 近藤は神楽に居間へ通されるとソファーへと座った。どうやら銀時は出掛けているらしく、神楽以外に白い大きな犬が1匹いるだけであった。

「話は簡単アル」

 神楽はそう言って近藤の対面のソファーに腰を下ろすと、こちらへと身を乗り出した。そして、少々声のボリュームを落とすと、キラキラ輝く顔で言ったのだった。

「まず、お前と私とで遊園地に行くアル」

 遊園地?

 近藤は疑問に思ったが、そこは聞き流す事にした。

「それで、2人で観覧車に乗るアル」

 観覧車?

 それも気になったが聞き流した。

「そこからが真選組イメージアップ作戦ネ。強盗をでっち上げて、たまたま居合わせたお前が犯人を逮捕するアル」

「狂言強盗か!?」

 さすがにそれは聞き流せずに近藤は口に出した。

「やっぱりやるからには派手にいきたいアルからなぁ。観覧車に強盗が乗り込んで来て“一周するまでに金を用意しろ!”とか言うアル。そこでお前が強盗を縛り上げて逮捕すれば、翌日の新聞にはお手柄として取り上げられる筈ネ」

 神楽はどこか嬉しそうに話したが、近藤は首を捻っていた。

「その強盗役はどうすんだ? それに舞台は遊園地じゃねぇとダメなのか?」

 神楽は両腕を組むと、うーんと軽く唸った。

「強盗役は天パとグラサン辺りに任せるとして……遊園地は、ホラ、なんかインパクトがあるネ! “真選組局長! デート中にお手柄逮捕!”とか」

「で、デート!?」

 近藤はその耳馴染みのない甘い言葉に思わず目を見開いた。確かに女の子と観覧車などデート以外の何物でもないが、それが報道されるとなると少々問題があった。

「何アルカ? だったら“知人女性をストーキング中に局長も逮捕!”とかが良いアルカ?」

 近藤はそれには口を閉じると、言い返す事が出来なかった。ストーキングなどと報道されでもしたら、それこそ真選組は解体させられてしまう。この際、神楽とデートだと報道されてしまう事には目を瞑るとして、狂言強盗の案はそんなに悪くはないと思っていた。被害者も加害者も身内となれば、真選組でいくらでも処理しようがあった。しかし、1つ気になるとすれば――

「悪い話じゃねぇと思うが、その遊園地のデート代は俺が出すんだよな?」

「文句あるアルカ? 神楽ちゃんとデート出来る上に真選組のイメージアップも出来るネ? デート代くらい安いもんダロ!」

 自信に満ちた表情で神楽がそう言うと、近藤も否定は出来なかった。確かに女の子とデートなど滅多に出来ることではなかった。しかし、相手は万事屋の辛口チャイナ娘だ。

 近藤は改めて神楽に目線をやった。風呂上がりなのか解いた髪が揺れる度にいい匂いがしており、大きな瞳は眩しいほどに輝いている。白い肌はほんのりと桃色に染まり、黙っていればまるで人形のように美しい姿であった。

「えっ?」

 近藤はそんな風に思った自身に驚くと、瞼を擦ってみた。だが、やはり神楽は人形のような姿でそこに座っている。

 あのチャイナ娘が……エエッ!?

 慌てた近藤は遂にソファーから立ち上がると、青ざめたような赤らんだような不思議な顔色で神楽を見下ろした。

「なに見てんダヨ」

 口を開けば相変わらずの神楽なのだが、子供だ子供だと思っていた神楽がいつのまにか女性らしく成長している事実に、近藤は戸惑ってしまったのだった。

「なぁ、それでいつにするアルカ? 次のお前の休みはどうネ?」

 次の休みはお妙さんのストーキング……と答えそうになった近藤だったが、ケータイを取り出し予定を確認すると来週末が休みであった。

「来週の土曜が休みだが」

「じゃあ、その日で決まりアルナ! 後の準備は私に任せるネ! お前は大船に乗ったつもりで、金だけ持って遊園地行けば良いアル」

 とんだ泥船に乗っちまった。

 近藤はそう思わずにはいられなかったが、胸の鼓動が速まり、落ち着きのなさを感じていた。それが不安を表しているのか、はたまた何かを期待しているのか。定かではなかったが、待ち合わせ場所と時刻を決めると万事屋を後にした。

 

 近藤は真選組屯所へ帰って来ると、食堂に行きグラスに水を汲んだ。大して冷たくもない水だが、近藤の酔いをさまさせるには充分であった。

「そうだ。酔ってるからだよな」

 近藤は着物の袖で口を拭うと、神楽が随分と綺麗に見えた理由を酒が見せた幻覚だと思うことにした。

 あの万事屋のチャイナ娘に限って、それはない。

 近藤は鼻で笑うと空になったグラスを流し台へと置いた。だが、グラスはカランと音を立てて転がってしまった。

 あれ? 手が震えている?

 近藤はそこで自分の額に滲む汗にも気が付いた。理由は何と無く分かっているのだ。お妙と言う心に決めた人がいながら、神楽と遊びでデートをするなどと……なんて……なんて……なんて自分は罪な男だろうと、未だかつてないシチュエーションに舞い上がっていたのだ。

 こんな事は、面の良い優男にだけ許された特権だと思っていた。女性を翻弄するなど、決して自分には訪れない局面だと思っていた。それが30歳を越えた今、どういうわけかやって来たのだ。

 このビッグウェーブ、乗るしかない!

 お妙への気持ちは完全に一方通行だし、神楽とも恋愛感情など一切ないが、そう思わずにはいられなかったのだ。

 すっかりとその気になった近藤は、デートの事を黙っていることが出来そうにもなかった。

「グヒヒヒヒ、トシにだけなら言っても良いよな」

 近藤は報道されるかもしれないから先に言っておこうと、適当な理由を見つけると喜んで土方の部屋を目指したのだった。

 

 風呂上がりの濡れた髪をタオルで乾かしている土方は、自分の隣でデレデレとしている近藤を少々気味悪がっているようだった。

「グヒヒヒヒ……」

「近藤さん、頼むからもう少し離れてくれ」

 近藤は大人しく離れると、少し土方から距離を置いて正座をした。

「で、お妙とデートでも取り付けたのか?」

 近藤はその言葉にひどく動揺すると、先程までのデレデレが嘘のように大人しくなった。土方の言葉で冷静になったのだ。どうして自分はお妙以外の女の子とのデートに浮ついているのかと。

 だが、頭に浮かぶ神楽の姿は美少女といった風で、そうなってしまっても仕方ないだろと自分に言った。

 近藤はわざとらしい咳払いをすると、今度のデートの話を土方に打ち明けた。

「実はなトシ、そのォ、今度の休みにデートする事になってな」

「良かったじゃねェか。お妙も遂に折れたか」

 近藤は一呼吸置くと、そうじゃないと一言加えた。すると、土方は手にしていたタオルを畳の上へと落とした。

「ど、どういう意味だ?」

 土方は動揺を隠す為か、座卓の上の煙草に手を伸ばすと火をつけた。

 近藤はそんな土方から目線を外すと、何もない空間を見つめた。

「相手は言えねぇんだけどな」

「……ちゃんと実在する女なんだろうな?」

 さすがにそれはヒドイと思ったが、名前を出せない以上否定は出来なかった。

「ま、まぁ、とりあえずそう言うことだから、今後何か報道されたりしても驚かんでくれ。あ、あとこの話は内密に……」

 だが時遅く、廊下から走り去る足音が聞こえて来た。

「まァ、無理な話だろうな」

 近藤は廊下で聞き耳を立てていたのが沖田だと想定すると、明日には屯所内の話題になることは間違いないと確信していた。

 土方の部屋を後にした近藤は、当日何も起こらないことを祈った。神楽と何かと衝突の多い沖田が仮に当日ついて来でもすれば……

 近藤は神楽に見せられた新聞記事を思い出すと、ブルッと軽く身震いをしたのだった。

 

 その夜、近藤は夢を見た。遊園地でバズーカが火を吹き、神楽と沖田が全てを無へと変える夢を。最早デートのデの字もなく、地獄と化した幽閻血は2人の修羅によりディストピアに創り変えられてしまった。

 なんて悪夢だ!

 近藤は汗だくで布団の上に体を起こすと、これが正夢にならない事を願うしかなかった。しかし、嫌な予感と言うものは的中するのが世の常であった。

 

 

 

 真選組イメージアップ作戦と題したデート当日。待ち合わせの公園には、めかし込んだ神楽と……やはりと言うか沖田の姿があった。近藤はその2人の姿を目にすると、思わず茂みに身を潜めてしまった。

「総悟のヤツ、一体どこで待ち合わせ場所を聞いたんだ?」

 近藤が不思議に思っていると、遂に神楽と沖田が視線を交えた。

「お前もデートアルカ?」

 先に声を掛けたのは神楽だった。どこか上機嫌なのか、普段はあまり仲が良いとは言えない沖田にも普通に接していた。一方の沖田は神楽の言葉にあからさまに反応を見せると、眉間にシワを寄せた。

「“も”ってどういう意味だ? まさかとは思うがてめぇが……?」

 沖田は近藤のデートの相手が誰なのか、待ち合わせ場所にまで来て確かめるつもりのようであった。

 俺のデート相手がチャイナ娘だと分かったら、あいつはどうするつもりだ!?

 近藤は見た夢のようにならない事をただ祈るばかりであった。

「私はちょっとデートで待ち合わせだから、今日はお前の相手するつもりはねぇアル」

「その相手……近藤さんじゃねぇだろうな?」

 明らかに面白くないと言う表情の沖田に近藤は急いで出て行くと、神楽と沖田の間に入り込んだ。

「あ、あれ? 総悟くん、一体どうしたのかな? 今日は仕事じゃなかったの?」

「お前、遅かったアル! 女の子待たせて良いと思ってんのカヨ!」

 沖田はやや驚いた顔をするも、何かを悟ったような表情になった。

「近藤さん、確かにこの女を姐さんと呼ぶ事はしたくねぇですが、近藤さんが本気なら俺は邪魔するつもりはねぇでさァ」

「総悟、お前……」

「志村の姐さんにはさすがに手出し出来そうもねぇが、こいつなら全力でかかれるからな」

 理由はとんでもなかったが、どうやら沖田なりに今日の近藤と神楽のデートを応援しているようであった。そんな沖田の気持ちを知った近藤は胸を撫で下ろすと、神楽と2人で公園を出たのだった。

「……近藤さん、男見せろよ」

 そんな2人を見送った沖田は懐からケータイを取り出すと、どこかへと連絡を入れた。

「おい、ザキ。今日は何人たりとも近藤さんの邪魔はさせねぇ。妨害する奴らは全員潰せ」

 そんな物騒な会話が繰り広げられている事も知らずに、近藤と神楽は電車に乗って遊園地を目指したのだった。

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