唇の温度:01
本日も真選組局長である近藤は、日課である志村邸の警備に集中していた。屋根裏に忍び込み客間の上へと移動すると、事前に空けてある穴から下を覗いていた。
見れば今日はお妙と新八、九兵衛そして神楽で座卓を囲み談笑をしているようであった。内容は昨日観たドラマの話から剣術の話まで、随分と内容にバラつきがあるが、雰囲気は非常に穏やかなものだった。
「そう言えば、お妙ちゃんや神楽ちゃんの理想の男性ってどんな人だろうか? ちょ、ちょっと参考までに聞いてみたいんだが……」
やや赤面気味にそう口にしたのは九兵衛だった。どうも恋愛ドラマの話の流れで、2人の――特にお妙の好みを聞き出そうとしているようだった。
その質問に軽く唸った2人は首を傾げると、先に思い浮かんだのかお妙が口を開いた。
「そうねぇ……私はB’zの稲葉さん。もしくは、顔が良くてスタイルも良くて歌が上手くて、お金を稼いでいて、稲葉って苗字の人かしら?」
九兵衛はそれを聞くと早速メモをとっていた。
「つまりお妙ちゃんは、松本は嫌いと……」
屋根裏でそのやり取りを聞いていた近藤は、自分に当てはまるのは金を稼いでいる事くらいだと、やや悲しくなった。
「稲葉家の養子になるか」
近藤はそんな馬鹿げた事を呟いた。
まさか屋根裏に近藤がいるとは知らない下の新八は、つっこむのも諦めると苦笑いを浮かべた。だが、いつまでも答えないでいる神楽に、答えを急かすかのように新八が尋ねた。
「で、神楽ちゃんはどんな人がタイプなの? 長い付き合いだけど、今まで聞いた事なかったかも」
神楽は難しそうな表情を浮かべたまま新八を見ると、座卓の上に置いてある湯呑みに手を伸ばした。
「まー、そうアルナ。眼鏡掛けてなくて、味のある顔立ちで、ちょっとスキがあって、金にだらしなくなければ誰でも良いネ」
それを聞いた一同は、意外だと言う表情を浮かべているようであった。
「あら、それなら銀さんも新ちゃんもタイプから外れるのね」
「新八君は眼鏡だし、銀時に至っては金を使う事しか頭にないからな」
お妙と九兵衛がそう言うと、神楽は適当にうーんと相槌を打った。
それを屋根裏で聞いていた近藤は、自分もいよいよ輪に入ろうと静かに客間に降り立ったのだった。
「チャイナ娘も案外、現実的だな。しかし、お妙さんは……」
「どこから現れた! ストーカーゴリラ!」
近藤の存在に気付いたお妙は飾ってあった薙刀を手にすると、近藤目掛けて切りかかった。
束の間の平和はそれによって、一瞬にして修羅の世界へと変わったのだった。庭へとぶっ飛ばされる近藤。それを鬼の形相で睨みつけているお妙。何事もないかのようにお茶をすする新八に、雑誌をめくる九兵衛。神楽はと言うと、トイレに行こうと席を立っていた。ごく当たり前のあり触れた日常。修羅の世界こそが日常であり、近藤がお妙にぶっ飛ばされるのが自然の事であった。
志村邸を後にした近藤は、薙刀で殴られた赤い頬を摩りながら公園のベンチに座っていた。このまま帰れば、またストーカー行為を土方に咎められるからだ。
頬の腫れが引いてから戻ろう。
そんな事を考えながら公園で遊ぶ子供達を眺めていた。
すると、目線の先で遊んでいる子供が、ボールを高い木の枝に引っ掛けてしまった。
「わぁーん、おいら木登り出来ないよう!」
鼻の垂れた幼い男の子はそう言って、今にも泣き出してしまいそうであった。
近藤はベンチから立ち上がると、その子供へと近付きしゃがんだ。
「おい、ボウズ! 今お巡りさんが取ってやるから。泣くな、泣くな!」
そう言って近藤は腫れた頬のまま歯をこぼして笑うと、子供の頭を大きな手の平で撫でた。
「折れんじゃねぇーぞ……」
近藤は木を見上げると、思いの外高い所に引っ掛かっているボールに苦笑いを浮かべた。そして、恐る恐る木の枝に足を掛けると、想像通りの嫌な音が聞こえた。少し顔を青ざめた近藤は子供を振り返り見ると、キラキラと純粋な瞳がある事を知り、今更無理だとは言えなくなった。
「仮に落っこちたとしても、子供に当たらなけりゃ良いだけか」
そんな事を呟きながら木に登った時だった。
「どんくさっ」
そんな声が聞こえたかと思うと、自分の遥か頭上に人影が見えた。赤いチャイナドレスとツインテール。
チャイナ娘か?
近藤が首を軽く傾げると同時に木が大きく揺れた。
「ぎゃっ! ちょ、ちょっと折れるとか最悪アルッッ!」
叫び声が聞こえたかと思うと、上の方の細い枝に着地した神楽がこちら目掛けて落ちて来た。すかさず近藤は木から下りると、上から降って来た神楽をどうにかキャッチしたのだった。
全身に電撃が走るような痛み。だが、神楽も子供もボールも全て無事のようであった。
「ふんぬぅぅぅ……」
痛みに耐える近藤に抱かれている神楽は、その必死な表情を冷めた顔で見るとするりと腕から離れた。
「別に着地くらい出来たネ。私はお前と違ってそんなヘマはしないアル。慰謝料とか請求して来たって無駄だからナ」
神楽がそう言って近藤に背中を向けると、周囲に集まっていた子供達が神楽を指差し笑った。
「あの姉ちゃん、パンツ丸見えだ!」
「えっ、な、何!? ど、どこアルカッ!」
神楽はその言葉に、慌てて自分の短い丈のチャイナドレスを見回した。どうやら先ほど落ちた時に枝でスカート部分を引っ掛けたらしく、尻部分が破れパンツが見えていた。
見かねた近藤は仕方ないと、着ていた隊服の上着を脱ぐと神楽の背中に掛けてやった。
「鈍臭いのはどっちだ。ほら、これ貸してやるから早く帰れ」
神楽は近藤の大きな隊服にすっぽり体を包まれると、恥ずかしいのか悔しいのか赤い頬で近藤を見上げた。
「……た、たまたまネ。いつもはこうじゃねぇアル」
神楽はそれだけを言うと、急いで公園から出て行った。
近藤はそんな神楽の背中を目を細めて眺めていた。
その後、近藤は頬の腫れが引く頃合いを見て屯所へと戻った。
玄関で靴を脱いでいると、屋敷の奥からやって来た土方が近藤を怖い顔で見下ろしていた。その視線に縮み上がった近藤は出来るだけ平静を装って土方を見ると、鋭い視線が突き刺さった。
「今日はどこで何やってたんだ?」
その土方の質問に近藤は汗をタラタラ掻くと、強張った表情で言った。
「えっ? あっ、何だっけな? あれ? 俺、何してたっけ?」
土方は溜息を吐くと、頭を振った。
「さっき隊服の上着が届いた。まさか近藤さんまでチャイナ娘と遊んでるわけじゃねェだろうな?」
「あ、あぁ! それか! ちょっと人命救助をな」
土方は煙草を取り出し火をつけると、近藤の肩にポンと手を置いた。
「まぁ何だって良いが、総悟みたいに一緒になって暴れるのだけはやめてくれ」
するわけないだろと近藤は思いはしたが何も言わないでおくと、自分の部屋へと戻ったのだった。
近藤は部屋の前まで来ると、廊下と自室を仕切る襖を開けた。目に飛び込んで来たのは、畳の上に置かれた神楽に貸した隊服の上着と――隊服を貸した神楽であった。
「何だ? 礼でも言いに来たのか?」
さすがに着替えは済ましているらしく、そのチャイナドレスは破れてはおらず綺麗なものだった。
神楽は近藤の言葉に振り返ることもなく、何食わぬ顔で立ったまま障子の隙間から中庭を眺めていた。
「お前こそ、私のパンツをタダで見たんだから礼くらい言えヨ」
近藤はその言葉に鼻で笑うと、首に巻いていたスカーフを外した。
「チャイナ娘よ。あれはどっちかっつーと、俺は見せつけられた側だろ」
すると、それまでこちらを向かなかった神楽の顔が近藤を振り返った。
「誰も見せつけてねぇダロ! 見せつけるつもりなら、あんなお子様パンツ穿いてないアル!」
「お、おう」
あれはお子様パンツだったのかと、近藤は先ほどの神楽のパンツを思い浮かべたが、正直何も思い出せなかった。お妙のパンツだったのなら、近藤の脳も必死にその色や形を刻み込んだのだが、相手がお妙ではなかったせいかボンヤリとすらも覚えていなかった。
「それで何の用だ? そんな事を言う為に待ってたわけじゃねぇんだろ?」
神楽は近藤を怖い顔で見上げると、眉間にシワを寄せたまま言った。
「はっ? べ、別にお前を待ってたわけじゃないネ! ちょっと暇だったから庭見てたらお前が来て……」
近藤はふんふんと相槌を打つと、着ていたベストを脱いだ。神楽はそれをギョッとした顔で見るとこちらに背中を向けた。
「確かに今日はお前に助けられた形になったけど、あれは本当にたまたまで……いつもはもっとビシッと決めるアル。まぁ、たまには猫探しの依頼なんかで崖から転がったりもするけど」
近藤は着替えている手を止めると、神楽の言葉に眉を寄せた。神楽が何を言いたいのかよく分からないのだ。神楽の背に向かい首を捻ると、着ているシャツを脱いだ。
「……でも、何よりもお前らに借りを作った事が私の失態ネ。だから、返させろヨ」
神楽はそう言ってこちらを再度見ると、何でもないような普通の表情を浮かべていた。
「あれくらい気にするな。貸し作ったなんて思ってねぇよ。ありゃあ俺が登っても折れてただろうからな」
近藤は、足を掛けただけでミシリと軋んだ不快な音を思い出した。
「まぁ、良いから聞けヨ。お前らにとって、そんなに悪い話じゃないアル」
神楽はそう言うと、新聞を近藤の前に突き出した。そして、わりと大き目の記事を指差すとトントンと人差し指で叩いた。
「これ、昨日の新聞ネ。お前も知ってる通り、バカサドがまたロケットランチャーぶっ放してアパート1棟が全焼アル」
近藤はこの報告はまだ受けていないと、顔を真っ青にした。
「う、嘘だろッ!」
「真選組に対する世間の評価は、いつまで経っても“粗暴な人斬り集団”ネ。これじゃ、いくらお前が子供に親切にしても私を助けても、そのレッテルを張り替える事は不可能アル」
近藤は新聞を震える手で掴むと、松平片栗虎に銃殺される未来が見えた気がした。
「そこで、可愛くて“ないすばでー”な神楽ちゃんが一役買ってやる事にしたネ!」
神楽はそう言うと近藤の前でクルリと回ってみせた。だが、近藤には先ほど玄関先で会った土方の、正しく鬼のような恐ろしい顔が脳裏に蘇った。
“一緒になって暴れるのだけはやめてくれ”
神楽と厄介事は切っても切れない関係のような気がする近藤は、キラキラと笑う神楽に暗い表情を向けていた。
「いや、まぁ仕方ねぇ。元々、俺らはエテ公みたいなもんだ。やり方が問題なだけで、攘夷志士を捕まえてる事にはかわりねぇ」
手段が過激なだけで、結果は得られている。
近藤はこれ以上厄介事が増えるくらいなら、現状を変える努力などしたいと思わなかった。
「折角、お前らのイメージアップ作戦考えてやったのに。まぁ、いいネ。貸し借りがなかった以上、私が協力してやる事もないアルナ」
神楽はそう言うと、近藤の横を通り過ぎた。
「でも、悔しくないアルカ? 確かにお前は卑劣なストーカーで、姐御にぶっ飛ばされてばかりだけど……ちゃんと人の役にも立ってるアル」
近藤はそんな事を口にした神楽の方を振り返り見るも、神楽は既に襖を開けて廊下へと出ていた。近藤は声が届くとは思っていなかったが、閉まっている襖に向かって言った。
「見ていてくれる人もいるさ。お前みたいにな」
やはり襖の向こうから声が返ってくる事はなかったが、僅かに廊下の軋む音が聞こえたような気がした。
近藤はどこかくすぐったいような気持ちになると、口角を上げたまま着物へと着替えたのだった。
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