2.終焉の始まり
「銀ちゃん?」
私はもう眠気なんてどこかに飛んでしまっていて、少しそれにはムカついたけど、銀ちゃんがどうして私の名を呼ぶのか、その答えが知りたかった。
今まで銀ちゃんにあんな声で名前を呼ばれた事なんて、一度たりとも無かった。
切羽詰まってるって言うのか、苦しそうって言うのか……寂しそうな呼び方だった。
やっぱり、もう私と銀ちゃんはこの二年間で思ってるよりも遠く離れてしまったんだろうか。
そんな事を考えてしまっていた。
「神楽、あのな」
何を言うんだろう。
銀ちゃんの声は眠たそうで、もしかしたら寝惚けて寝言でも言ってるんじゃないかと思った。
「お前が戻って来て……あ、やっぱいいわ。おやすみ」
「?」
言い掛けた言葉は何だったんだろう。
お前が戻って来て食費が馬鹿にならない?
それとも、お前が戻って来て嬉しい?
私の貴重な眠気を奪った罪は大きかった。
眠れないって言ってる人の隣で、問題だけ投げ掛けておいてスヤスヤ寝ようなんて許される行為じゃない。
私は銀ちゃんの布団に足を潜り込ませると、そんな自分勝手な銀ちゃんを蹴った。
「いてっ!」
「寝られないアル!最後まで言えヨ!」
「やっぱいいつってんだろ」
「気になるじゃん!言ってヨ!銀ちゃん」
「…………」
少し沈黙があって、それから銀ちゃんは静かに言った。
「悪く思うなよ」
そして、思ってもみない真剣で真面目な声音で話し始めた。
待ってヨ。
そんな感じの話?だったら、私聞かなくても良いかも……
でも、聞きたいとせがんだ以上は聞かなくちゃ。
だってもう、私はガキじゃないんだから。
「正直、帰って来たお前を見て戸惑ったし。ガキがすっかり垢抜けちまってよ、別人かよってくらい違って見えた」
「そんなに……」
「でも、中身はちっとも変わってなくて、反対に調子狂ったけどな。でもまぁそれで安心出来たって言うかなんつーか……お前が戻って来て、ようやく万事屋らしくまた働けんだなぁなんて思ったわけよ」
言い方は回りくどいし、相変わらずひねくれた表現だけど、銀ちゃんが私の帰りを喜んでくれてるのが伝わってきた。
やっぱり、私には万事屋がふさわしい場所で、一番安心出来る巣だった。
銀ちゃんがわざわざこんな事を言った理由を考えた。
前との違いに不安がってる私を安心させるため?
そう思ったら顔がにやけてきた。
「銀ちゃぁあん!」
私は思わず銀ちゃんの背中へとしがみついた。
「バ、バカヤロー!離れろ!」
「もう、大丈夫!離れないから!万事屋が私の居場所アル!」
「…………」
銀ちゃんは私を引き剥がすと体を起こしたらしく、声が上から降ってきた。
「あのな、お前はもうガキじゃねぇんだよ……だけど、俺も新八もお前を受け入れた。その意味をよく考えろ」
「銀ちゃん?」
怒ったような呆れたような口調でそう言うと、銀ちゃんは寝室の襖を開けた。
「俺はソファーで寝るから」
「いいヨ!私がソファーで寝るから!」
「いいって。こうなんのも想定してお前を受け入れたし。じゃあな、おやすみ」
私は銀ちゃんの匂いの残る寝室に一人になった。
銀ちゃんが言った言葉はとても難しくて、何が言いたかったのか見えてこなかった。
ただ分かるのは、やっぱり前とは距離や付き合い方を変えなくちゃいけない事。
銀ちゃんは私と距離をとってる。
その理由はやっぱり私がもう子供じゃないから?
さっきは私を安心させてくれたのに、今はまた不安へと陥れる。
「どいつもこいつも、男ってバカアル……女を不安にばっかりさせるヨ」
「…………」
襖一枚隔てた隣の部屋の銀ちゃんに聞こえてるか定かじゃなかったけど、私は別に聞こえてても良いと思っていた。
むしろ、聞こえろ!なんて思って瞼を閉じた。
翌日、私は予定通り吉原にいた。
相変わらず華美に着飾った女達が練り歩き、昼間から羽振りの良さそうな商人達がアチコチの店に出入りしていた。
「変わらないアルナ」
懐かしい店の前に立つと、私はすっかり大きくなった店の店主に声を掛けた。
「よっ!晴太!」
振り返って私を見た顔は、奇妙なものでも目の当たりにしたかのように引きつり歪み、そして、叫んだ。
「母ちゃぁあん!オイラ、逆ナンされたよォオ!」
その声に慌てたように、車いすに乗った母ちゃんがやって来た。
「あら、ホント?随分とベッピンに声掛けられたもんだね!」
そう言って私に微笑んだ日輪は相変わらず綺麗で、同性なのに私はドキンとした。
「久しぶりだね。すっかり良いお姉さんになって」
「日輪も元気そうで良かったアル」
「……アル?」
晴太は談笑する私達の顔を何度も交互に見比べていた。
絶対、私だって気付いてないネ。
日輪もそれが可笑しいらしく、キョロキョロする晴太を叩きながら笑っていた。
「やだよ、忘れちまったのかい?万事屋のグラさんだよ」
「うっ……嘘だろ……えーー!」
「ナイスリアクションアル!やっぱりこれぐらい驚かれないと味気ないネ」
軽い談笑を終えると私は長椅子に腰をかけ、それを見て日輪がお茶と団子を運んできてくれた。
晴太はと言うとまだショックを受けてるらしく、私の近くに寄り付かずにいた。
まぁ、丁度いいアル。
実は吉原に……日輪に会いに来たのは相談がしたかったからで、万事屋からは遠く離れたところで話がしたいと思っていた。
「将来が楽しみだとは思ってたけど、まさかこんなに美人になるとはね。銀さんも驚いただろうに」
「それがあんまりヨ。特に……特に何も言われなかったアル」
日輪は何も言わないで私の言葉に頷くと、少し表情から柔らかさが消えた気がした。
「銀さんね、この二年間ちっとも吉原に寄り付かなかったんだよ」
「ふぅん。積極的な女嫌いアルからナ」
「相変わらず浮いた話もないんだろ?意外にああ見えて、誰かを一途に想ってたりしてね」
「どーでもいいネ。銀ちゃんの話はもういいアル。それより、今日は私の話聞いてヨ」
日輪はその言葉に目を細めると、私が話を切り出す前に口を開いた。
「さては、グラさん!恋でもしてるね」
「ひっ!」
あははと笑う日輪に私は心臓をバクバクと言わせていた。
女の勘ってやつなのか、それともやっぱり、私の雰囲気に出ているのか。
私は熱くなった顔を冷まそうと急いでパタパタと手で扇いだ。
「いいじゃないの。それくらいの歳の娘は恋に生きるもんだよ。籠の中に閉じ込められてるわけじゃないんだ。自由に恋愛するべきだよ」
「うん……そ、そっか。なんかちょっと安心したアル。まだガキだって銀ちゃん達には言われるから」
誰かに何を言われたところで、私のこの気持ちは止められないんだろうけど。
だけど、それでもやっぱり今の自分を誰かに肯定して欲しかった。
昔みたいに強気でいられなくなったし、根拠のない自信に支えられる事もなくなったから。
「もう、その人には会ったのかい?」
私は無言で首を振った。
「そう」
黙ってしまった日輪に私は意を決して尋ねようと思った。
奴等の所在を。
吉原の顔である日輪ならきっと何か知ってるはず。
それに、私が奴等の所在を聞いたって日輪は変な勘繰りをしないだろう。
知ることは恐怖でもあったけど、それでも私はやっぱり知りたかった。
アイツ等の――アイツの事を。
「こっちに戻って来てから、スグに会おうって思ってたアル。だけど、急に訪ねに行く勇気もなかったから、街でスレ違えたら声を掛けようって思ってたネ。だけど、それが……分かんないけど江戸にいないみたいアル」
日輪は真剣な眼差しで私の話を聞いてくれた。
自分でも分かる弱々しい声に日輪は私の肩に手を置いてくれた。
「この二年、幕府も色々とあってね……もしかして幕臣かい?」
私はそれに静かに頷いた。
「攘夷派の動きが活発になって、江戸を始めあちこちで内乱が起こってね……それで京の方で密かに失脚した天皇を祭り上げる動きがあったとか聞いたよ。それで、真選組は殆どの隊が京入りしたって」
嘘か本当か。
それは分からなかったけど、もしかするとアイツも京へ行ってる可能性が高かった。
だったら、またどこかで会えるかもしれない。
いつになるかなんて全く検討もつかなかったけど、それだけでも分かれば少しは私の希望になった。
「もしかして、真選組の隊士かい?だったら朗報があるよ」
日輪は急ににこやかになると私の目を見て確かに言った。
「ここ二、三日に京から戻って来たらしいよ。馴染みの隊士が京に行ってたんだけど、戻って来たのかまた店に顔を見せに来たって女達が話してたから」
「本当アルカ?」
「アンタ、勇気だして行ってみな?屯所の前を歩くだけでもいいじゃないかい」
根拠のない自信にまた助けられそうだった。
確証の取れていない話なのに、私は気持ちが軽くなっていくのが分かった。
逸る気持ちが私の体を疼かせる。
だけど、浮き足だってしまってはいけない。
もう、ガキじゃないんだから。
だけど、私の口は饒舌になり、急にペラペラ喋り出した。
「まぁ、大した事ない男だけど、唯一私と対等に喧嘩出来る男アル。ウゼーなんて思ってたのに、いなきゃいないでなんか気になる男ネ。口は悪いし、どSだし、その癖女にモテるアル」
「そんなのに惚れたグラさんは完敗だね」
日輪がいたずらっぽくそう言った。
それは自分でも嫌って程よく分かっていた。
何であの男に惚れてしまったんだろう。
……いや、本当に惚れているのか会って確かめてみたかった。
その為にはやっぱり屯所へ行かなくちゃ。
「惚れたもん負けってよく言うアルナ」
「でも私は“惚れたもん勝ち”なんて言える恋愛をして欲しいよ」
私はその言葉をよく噛み締めた。
惚れてしまった事を幸せだって思える恋。
まだ始まっているかも分からないこの気持ちは、既に充分ピンク色をしていた。
私は他愛もない話に笑いながら、店の前の通りを眺めていた。
ふと一瞬、見知った人物が店の前を横切った気がした。
「えっ?ちょっと!どこに行くんだい!」
私は店を飛び出して通りに出た。
見えている背中は段々と遠退いてはいくが、確かに知ってる人物の背中だった。
帯刀した男が煙草の煙をくゆらせていた。
間違いない。
「トッシー……」
帰って来てるんだ。
ソレを見て、私はアイツの帰りも確信していた。
だけど、やっぱりそれも根拠のない自信だった。
そうして、私は根拠のない自信に囚われて、祈るなんて事を始めるはずだったのに。
その計画は実行されなかった。
「オイ、女。退きやがれ」
背後から聞こえて来た声に私は体が揺さぶられた。
江戸から離れた二年間、ずっとずっと忘れられずにいた声だった。
ぶっきらぼうで、失礼なものの言い方。
優しさなんて微塵も感じられないのに、いつかその声に私の名前を呼ばせてやろうなんて思っていた。
間違いない。間違えるはずがない。
私は一呼吸おくと、背後に立ってるであろう男を振り返って確かめてみたのだった。
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