ギルティ/沖→←神
神楽は民家と民家の間の細い路地に身を潜めていた。
隠れるつもりは微塵もなかった。
ただいつものように普通に通りを歩いていただけだ。
なのに体は勝手に動き、自分の姿をこの町の雑踏に紛れ込ませたのだった。
「もう!何してるネ」
そんな自分に苛立ちを覚えた。
しかし、すぐに神楽は別の事へと意識が囚われる。
瞳孔は開き、胸の鼓動はとても激しい。
汗が服を湿らせていく。
だが、今はそれも気にならず、ただ静かに通りの向こうから歩いてくる“あいつ”が通り過ぎるのを待っていた。
通りの向こうに居る黒い制服に身を包み帯刀している男は、真選組一番隊隊長の沖田総悟だった。
神楽にとって沖田は特別だった。
それは嫌いで仕方がないという意味である。
何かと突っ掛かって来ては神楽の胸の中を引っ掻き回す。
それもぐちゃぐちゃにだ。
こんな男、神楽は他に知らなかった。
銀時も新八も父親も、神楽の周りにいる男はみんな神楽に甘かった。
何かあっても最後に折れるのは、銀時であり新八であり父親だった。
なのに沖田だけは違った。
無視すれば良いだけ。
自分にそう言い聞かせた事もあった。
それなのに、いつの間にか自分から突っ掛かってはケンカになる。
なんかイラつく。
なんか腹立つ。
なんか……。
その感情が高まれば高まるほど、神楽は自分が沖田を追っている事実が見えなくなっていった。
そして、気が付けば神楽は“恋”という森に迷い込んでしまったのだった。
もう、引き返す事も進む事も出来ない程に、遠く深いところまで。
前にも後ろにも進めず、最早どうする事も出来なくなった神楽は、迫り来る影に怯えるように身を隠したのだった。
神楽の恐怖は2つあった。
1つは、自分のこの気持ちが沖田にバレやしないかと言うこと。
もう1つは、ただの想いだけでは済まなくなってしまうことだった。
ダメなのは分かってる。
神楽はそう自分に言い聞かせていた。
散々、嫌いだなんだと言ってきた相手に、今更胸に秘める想いを口にする事は出来なかった。
笑われるか距離を置かれるか、もしかするとメス豚呼ばわりで縄でも繋がれるか。
それを考えると背筋が寒くなった。
神楽はそろそろ沖田が通り過ぎたかと、民家の影からこっそりと頭を覗かせた。
頭を左に向け、沖田が歩いてきた方を確認した。
既に沖田の姿はなく、通り過ぎた後のようだった。
「……もう大丈夫アルナ」
神楽はホッと胸を撫で下ろした。
適当に投げ捨てていた傘を拾おうと通りに飛び出て、見ていた先とは反対側の右を向いた。
「何してんでィ」
「ぎゃぁああああ!」
神楽は叫ばずにいられなかった。
目の前に通り過ぎた筈の沖田が立っていたのだ。
どうやら沖田は通りに投げ捨てられいる見慣れた傘を見つけ、拾い上げようかどうしようかと立ち尽くしていたらしい。
そこへ路地からタイミング良く神楽が飛び出てきたのだった。
「なんでお前いるアルカ!空気読めヨ!」
「てめぇこそ路地裏で何してんだよ」
最近はずっと逃げ回っていたせいか、沖田とこうして会話を交わすことを久しく感じていた。
今までどうやって喋ってたっけ?
神楽は沖田を前に、自然な振るまいをすっかりと忘れてしまってるようだった。
「ちょ、ちょっと探し物アル。私お前と違って忙しいからもう行くネ」
「待てよ、チャイナ」
伏せっぱなしの神楽の顔は、沖田をその目に映すことはなかった。
それをさっきから変だと思っているようで沖田は、訝しげな表情を浮かべて、逃げるように去ろうとする神楽の腕を掴んだ。
細い腕。
沖田はそれに驚いていた。
この腕からあの怪力が出るとは、とてもじゃないが思えなかった。
まるで普通の女の子だと、沖田は神楽の上がらない頭を見ながら考えていた。
「逃げてんだろ、最近」
神楽はその言葉にハッとした。バレてると。
それに神楽はようやく顔を上げると怒ったような、でもどこか泣き出しそうな顔で言い返した。
「逃げてねーヨ。意味わかんないアル!」
「確かに……逃げてねーな」
腕を掴まれたままの神楽は、沖田の言葉通りに逃げだす素振りを見せなかった。
それもその筈で神楽は微塵も逃げたいと……触れられたくないと思っていなかったのだ。
沖田に気持ちはバレたくない。
その想いは確かにあった。
だけど、今はそれ以上に会えたこと、会話をしたこと、触れられてることに胸がいっぱいになっていた。
“らしくない”それは神楽自身がよく分かっていた。
こんなドS男に熱を上げるなんてあり得ない!
神楽の頭の中では厳しいカオをした陪審員が揃いも揃って“有罪”の札を挙げていた。
神楽の中では沖田総悟に恋をするなんて、絶対にあってはならない事だった。
抵抗する頭。
反抗する心。
正直、どっちに勝ち目があるかなんて分かりきったことだ。
「マジでテメー逃げねぇのかよ」
キョトンとしたような、やや困惑気味の沖田が神楽を見ていた。
いや、どこか疑ってるような表情だった。
沖田からすれば自分に楯突かず、反発しない神楽が不思議だったのだろう。
沖田は普段と様子の違う神楽に気が削がれたのか、神楽を掴む手を離した。
「……逃げた方が良いのかヨ」
神楽は沖田が今さっきまで掴んでいた腕を擦ると小さく呟いた。
そんな普段とは様子の違う神楽に沖田は調子が狂った。
沖田は思わず先ほどまで触れていた右手を開いて眺め、そして視線を下へと落とした。
拾い上げられる事をすっかり忘れ去られた傘は、神楽と沖田の間で風に揺れていた。
そのせいか?
沖田は神楽のヤケに赤い顔に納得がいった。
太陽光に弱い癖に何してんだよ。
沖田は足下の番傘に手を伸ばすと拾い上げ、神楽に傘を差してやった。
途端に夏の午後の強い日差しが濃い影を作り、神楽と沖田の2人だけを別世界へと誘った。
「何をボーッとしてんでィ」
「考え事してただけネ」
その狭い小さな世界は神楽と沖田の距離を急速に縮めた。
さっきよりもずっと近い距離だ。
見上げる神楽の目と、見下げる沖田の目がしっかりと繋がった。
その瞬間、街の音は消え、他者の存在も消え去り、ただ互いの姿だけを認識した。
それがすごく心地よく、ずっとこのままでいたいと思える程だった。
この世界に2人以外は必要ない。
時さえも止まってしまったような無音の世界で、神楽と沖田は自分の心臓の高鳴りだけを聴いていた。
「チャイナ……何も聞こえてねぇよな?」
「う、うん。何も」
こんな激しい心音が相手に聞かれてしまったとしたら、自分の気持ちなんてバレてしまうだろう。
一瞬が永遠に感じられるような時の中で、神楽も沖田も胸に秘めている淡い気持ちをまざまざと思い知らされたのだった。
すると、急に沖田の手が神楽に伸びたかと思ったら、傘の柄を神楽に握らせた。
「チャイナ、この後どうせ暇だろ?付き合えよ」
「偉そうに、上等アル。死ぬまで付き合ってやるヨ」
我に返った2人はまた賑やかなかぶき町の一員へと戻った。
ただ違ったのは神楽の頭の中だった。
あれだけ抵抗して“有罪”だと決めつけていたにも関わらず、今はすっかりその判決を覆していた。
何一つ悪いことなんてない。
どのみち神楽は分かっていた。
沖田に恋する気持ちはもう止められないと。
「市民から税金巻き上げてる分、しっかり返還するアル!」
「てめぇがいつ税金納めたんでィ」
浮かれ気味に沖田の隣を歩く神楽は眩しい笑顔だった。
その事にさっきから気付いてる沖田だったが特に何も言わなかった。
いつだって口を開けば想いとは反対の言葉が出てしまう。
沖田は十分にそれが分かっていた。
だったら何も言わないでおこう。
そうすればこの笑顔を、この先もずっと見ていけるのかもしれない。
「私、でっかいパフェ食べたいアル!」
隣の神楽が額の汗を拭いながら言った。
こんな暑い日にはそれも良いかもしれない。
沖田は何気なしに神楽に尋ねた。
「パフェ好きなのかよ?」
神楽は笑顔で答えた。
「好きアル!」
そんな言葉に沖田は思わず足を止めた。
バカな。何を期待した?
今のはパフェの話だろう?
沖田は自分の弾む鼓動と、にやけそうになる頬に言って聞かせた。
「そんなワケねぇ」
しかし、神楽は聞き逃さなかったようで沖田に詰め寄ると、もう一度はっきりと宣言した。
「本当アル!大好きネ」
それには沖田も参った。
もう完璧に自分の身体は勘違いしてしまったからだ。
こうなったら沖田はもう勘違いでも何でも良いからと、神楽の口からもっと聞きたくなった。
「嘘だろィ。好きだなんて」
「何で疑うアルカ?好きアル!」
「……マジで好きなのかよ?」
「うん、好き」
足を止めた2人は向き合ってそんな言葉を口にしあった。
神楽はそれにはさすがに何かおかしいと気付き始めていた。
「しつこいアルナ!好きだって言ってんダロ!」
「じゃあ、これで最後だ。チャイナ、好きか?」
沖田の目が割りと真剣で神楽は思わずドキッとした。
まるで沖田の事を好きかと聞かれているような錯覚に陥った。
胸の辺りがゾワゾワする。
パフェが好きかどうかを答えるだけなのに、何だか言葉に詰まる。
たった一言、今まで散々口にしてきた言葉を述べるだけなのに。
神楽は傘の柄を強く握った。
「す、す……」
上手く言葉が出ない。
きっと意識してしまってる事はバレてるだろう。
絶対絶対言えそうもない。
神楽は一度深呼吸をすると、沖田を強い眼差しで見つめあげた。
「オマエはどうなんダヨ」
沖田は驚いたのか目をゆっくり瞬かせると、何ともない顔で神楽に言った。
「嫌いなわけねーだろ」
沖田はそれだけを言うと行くぞと神楽の頭を叩いた。
いつもと変わりなく見える沖田に神楽はなんだと少し安心するも、内心はドキドキで溢れ返っていた。
そして、見えている沖田の背中に向かい、聞こえないくらい小さな声で囁いた。
「好きに決まってるネ」
傘の影で胸の辺りをギュッと掴む神楽は、一体何について言ったのか。
答えは神楽にしか分からない。
だけど、微かに聞こえたその言葉に、沖田は珍しく口角を上げていた。
2012/09/03
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