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3.tell me

 

 その日の夜、湯上りで浴衣姿の土方は、自分の部屋のテラス前にあるイスに腰掛け、日課である刀の手入れをしていた。

 部屋のテラスから見える海は穏やかで、高く昇る丸い月が水面に静かに揺らめいていた。

 こんな日は月を見ながら酒が呑みたくなる。

 土方はどうしようかと悩んだが、一杯だけなら構わないだろうと、刀の手入れを終えると、ネタ星人へと繋がる電話の受話器を上げたのだった。

 

「旨い日本酒を一杯頼みてェんだが、部屋に送ることは出来ねェのか?」

 

 すると、すぐにテラス前の小さなテーブルに盃に入った酒が届けられた。

 土方は静かに受話器を下ろすと、先ほどまで座っていたイスに再び腰を掛けた。

 そして、柔らかな月の光を見ながら、盃を口に運んだ。

 あまりの旨さに軽く唸ると、せめて徳利で頼むべきだったかと後悔した。

 だが、一人で飲む酒はそんなに進まないと、いつも近藤が傍にいる事を思い出した。

 

「近藤さんにも呑ませてやりたいな」

 

 そんな事を一人呟きながら、土方は盃の酒を飲み干したのだった。

 土方はあまり酒には強くなく、その一杯で十分に好い心地になると、顔を赤らめていた。

 そんな時、部屋のドアがノックされたのだった。

 時刻は23時をすっかり回っている。もちろん、ドアを叩く人間は神楽しか存在しない。

 土方は何かあったのかと、ドアを開けたのだった。

 

「どうした」

 

 ドアの前に立っていたのは、真っ白なワンピース姿の神楽だった。

 寝巻き姿ではない神楽に土方は首を傾げた。

 

「こんな時間に出掛けるつもりか?」

 

 すると神楽は何やら言いづらいのか、モゴモゴとハッキリしない声で何かを言った。

 

「……火……ちょっと……ヨ」

「あ? 聞こえねェ」

 

 土方は神楽の口元に耳を寄せると、その言葉を聞き取った。

 

「花火したいから、ちょっと付き合えヨ」

 

 その言葉は意外なものだった。お陰で土方の眠気は覚めてしまった。

 明日でも良いだろ。そうは思ったが、先ほどの自分を思い出した。たった一杯でも酒が呑みたくて、わざわざ電話で注文したのだ。神楽もきっと少しで良いから花火がしたく、わざわざ注文したのだろう。

 

「テメェにも怖いもんがあるんだな」

 

 土方はそう言うと、浴衣姿のまま部屋から出て、玄関へと向かった。

 神楽はその後ろを追いながら、そんなんじゃねーヨと文句を垂れていた。

 

「ライターが使えないだけアル」

 

 砂浜に着くと神楽はそう言ってロウソクを砂に埋めた。

 土方はそのロウソクにライターで火をつけてやると、ついでに自分の口に咥えた煙草にも火をつけた。

 

「花火は姫様に付き合って、たまにやらされるな」

 

 神楽は花火を両手に持ちながら目を輝かせていた。

 

「私もそよちゃんと花火するアルヨ。前はロケット花火を城にぶち込んで楽しかったアル」

「テメェか! 姫様にあの遊びを教えたのはッ」

「昔の話アル!」

 

 土方は呆れた表情をすると、煙に巻かれる神楽の横顔を見ていた。

 決して気品を感じるワケではないが、そよ姫に劣らず整った顔だと思っていた。黙っていれば、前にお通と組んでいた幻のアイドルHDZ48によく似ていた。

 

「何見てるアルカ? お前もやりたいネ?」

 

 神楽は自分を見ている土方に花火を渡すと、土方は黙ってそれを受け取った。そして、花火の先をロウソクの炎に近づけると、光の花を咲かせたのだった。

 

「たまには銀ちゃんと新八から解放されるのも良いアルナ」

「毎晩泣いてると思ってたがな」

 

 神楽は膨れっ面になると、泣いてねーヨと否定した。

 

「どう思ってるか知らねーけど、私はもうそんなにガキじゃないアル。それにこういう事って、多分これからもっと増えていくはずネ」

 

 神楽は静かにそう言った。

 持っていた花火が消え、月明かりだけになってしまった空間は、より一層寂しさを誘う。

 神楽の白い肌と白いワンピース。それが月の光を受けて、儚く淡く光っていた。

 

「だって、私達はお前らみたいな組織じゃないし、いつかは私も万事屋に居られなくなる日が来るんだろーしってアレ? なんでこんな話、オマエにしてるアルカ」

 

 月明かりに照らされた神楽は照れくさそうに笑うと、スカートの裾を僅かにつまみ上げ、海辺を歩いた。

 その姿があまりにも幻想的で土方の心を掴み、何も言葉が紡げなかった。

 

「……でも、ちょっと思うアル。もし、そこに居るのがオマエじゃなく銀ちゃんだったらって。そしたら、こんな話してないアルナ、きっと」

 

 そう口にした神楽は、言葉にこそしなかったが、土方にだけ特別に話した事が窺えた。

 その理由は"銀時ではないから"というものなのかはどうかは分からなかったが、少なくとも心を許してなければ話さないような内容であった。

 

「安心しろ。野郎に話すつもりはねェ」

「知ってるアル」

 

 神楽は海面に浮かんでいる月の上を歩くと、兎のように跳ねた。そして、土方の前に舞い降りるように着地した。ふわりと花のような香しい匂いがして、風になびく長い髪が土方の目を釘付けにした。

 思わず触たい衝動に駆られる。

 だが、そんな事は許されないと、土方は右手にグッと力を込めて、どうにか止めたのだった。

 

「……終わったなら帰るぞ」

 

 土方はこんなのは酒のせいだと頭を振ると、神楽に背を向け歩き出した。

 

「ありがとナ」

 

 波に消え入りそうな声が、背中の向こうから微かに聞こえた。

 本当は寂しいのだろう。

 土方は神楽が、大人ぶって状況を受け入れようとしている事を見破った。

 万事屋から離れたことが辛く、どうにか気分を紛らわせようともがいている。

 こんな時間に花火をすると言い出したのも、差し詰め眠れなかったからだろう。もしかすると、本当に泣いていたのかもしれない。いくら勝気な性格とは言え、人並みに落ちる日もあるのかと、土方は神楽のことをまた一つ知った。

 こうして知れば知るほど、神楽はどこにでもいる少女だと、土方は神楽に対する印象が自分の中でどんどんと書き換えられていくのを感じていた。

 思ってるほど悪い奴じゃない。

 土方もまた神楽にそう思うのだった。

 

「ん? 何アルカ、これ」

 

 神楽は何かが足にぶつかったらしく、砂浜に落ちている塊を拾いあげた。

 土方はそんな事には気付かずコテージに戻ると、神楽の持つ見覚えのある箱に顔が青ざめるのだった。

 

「て、テメェ、それどこで拾った」

「さっき砂浜に落ちてたネ! なんかすんげぇお宝かもしんないアル」

 

 神楽は瞳を輝かせると、箱の中身を取り出した。

 

「GEKIUSU002って、これ昼間お前が投げたやつアルカ?」

 

 土方は面倒に巻き込まれる予感にそそくさと部屋に戻るも、神楽が気になって仕方がなかった。

 

 もしや、あれが何か知らないのだろうか。

 見るからに恋人もおらず、女遊びする銭もない銀時には、必要ないものなのは確かだろう。と言う事は、万事屋には縁遠い代物だ。ならば、知らなくてもおかしくはないか。

 銀時がわざわざ神楽に性教育として教え込むことも想像が出来ず、神楽が知らなくても当たり前かと納得した。それに避妊具自体は過敏になるほど、禁忌的なものでもないだろう。ただ、それを使って仲良くしろと言われた事が問題なワケで――

 部屋のドアがノックされた。

 土方はベッドに潜り込み寝たふりをしようとしたが、破壊されかねないほど強く叩かれるドアに仕方なく起きる事にした。

 

「明日にしろッ!」

 

 怒鳴りながらドアを開けると、立っていた神楽は、避妊具の入った袋を手に土方を睨み付けた。

 

「なんで嘘ついたネ? 近藤のパンツじゃないアル!」

 

 こうなれば、本当のことを教えてやろう。

 土方は神楽から袋を取り上げると、封を開け中のゴムを取り出した。

 

「いいか。これは避妊具だ。赤ん坊が出来ねェように性交渉する時にだな、オトコの……」

「わっ、分かった。もう、いいアル」

 

 伏せ目がちで、恥ずかしがるような表情。

 神楽は耳まで真っ赤にさせると、逃げるように自分の部屋へと帰って行った。

 残された土方はそれまでどうという事はなかったのに、途端に恥ずかしさが込み上げてくると、たまらず残っていた避妊具をリビングの窓の外から放り投げたのだった。

 

「オイ! テメェら見てんだろッ! あんなもの木っ端微塵に消滅させろ! 二度と寄越すんじゃねェェ!」

 

 土方は部屋を見回しながらそう叫ぶと、部屋へと戻った。

 お陰で軽く汗を掻いたと、シャワーを浴びてから寝る事にした。

 衣類を脱いでガラス張りのシャワーブースに入り、頭から勢いよく湯を被った。少しぬるめの湯だと言うのに、火照った体が冷めていかない。神楽の俯いた赤い顔が意外だったのか、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。

 

「あんなカオ……するような女じゃねェだろ」

 

 その認識はやはり間違いだったのか。

 またしても、神楽の印象は書き換えられた。

 

 

 

 

 ここに来て、早一週間が経とうとしていた。

 あの日以来、妙に距離が出来た神楽の会話や態度に、多少ストレスを感じるものの、それ以外特にトラブルもなく過ごしていた。

 ただ、このありあまる時間を有意義に使えないでいた。既に、もう仕事に戻りたいと思っており、江戸の町が少々恋しかった。

 何かすることはないか。毎日、時間を潰す事に頭を悩ませていた。

 

 稽古はここに来てからも変わらず行ってはいるが、それも一人で潰せるのは1時間ほどで、他にも読書をしたり、映画を観たりと遊んではいるが、すぐにどれも飽きてしまう。

 神楽はと言えば、部屋に篭ってるなと思えば、日が暮れるまで海から帰らないこともあったりと、食事以外はバラバラに過ごしていた。

 興味がないと言うよりは、どこまで干渉しても良いものか距離感が掴めず、自然とそうなっていた。

 今日も神楽は外に出たっきり戻って来ない。

 土方はたまには相手でもしてやるかと、水着に着替えると素肌の上にパーカーを羽織り海に出た。

 

 夕方が近いということもあり、陽射しは柔らかく、浜風が心地好い。

 土方は煙草を口に咥えたまま、長い砂浜を歩くと、ポツンと一人で海を眺めている神楽を目指した。

 

「あいつ……」

 

 土方は神楽が膝を抱えて顔を俯かせている事に気が付いた。

 もしかすると、近寄らない方がいいのだろうか。

 土方は足を止めた。

 

 神楽はまさか土方に見られてるとは知らず、膝の間に埋めてた顔を上げると水平線を眺めていた。

 やはりその頬には涙が流れており、日の光に反射して光っていた。

 神楽の涙の理由は想像に難くなかった。

 実際は神楽も何の説明もなくここへ連れて来られたのだろう。

 寂しくて堪らない。

 力のない神楽の瞳はそう訴えかけているようだった。

 

 土方はそんな神楽の横顔に胸が痛んだ。

 何かしてやりたいとは思うのに、手を差し伸べてやる事など出来ないからだ。そんな事をしたところで、神楽はこの手を掴まないことを土方は知っていた。

 なら、放っておけば良い。なのに、ここから立ち去る事も出来ずにいる。そんな中途半端な自分に嫌気がさした。

 

「あっ、オマエ」

 

 神楽はようやく土方の存在に気付いたらしく、頬の涙を急いで拭うと、そのまま海へ入ってしまった。

 土方は止まっていた足をまた進めると、神楽がいる浅瀬まで歩いて行った。

 

 神楽は膝ほどの水位の辺りに座り込むと、涙を誤魔化すように海面に顔をつけていた。そして、少ししてからプハッと顔を上げると、いつものイタズラな顔で笑うのだった。

 

「オマエも遊びたくなったアルカ? 仕方ないアルナ。私が相手してやるネ」

 

 嬉しそうにそう言った神楽に、土方は困ったように笑うと、吸っていた煙草を水で湿らせた。

 

「遊びだァ? 冗談じゃねェ。あの岩に早く着いた方が勝ちだ」

 

 そう言って着ていたパーカーを脱ぎ捨てると、一足先に泳ぎだした。

 

「えっ! 待てヨ、コラ! 卑怯アル!」

 

 神楽は土方の後を急いで追いかけると、100メートル程向こうに見える岩まで泳いで行った。

 

 結果は僅差で神楽の勝ちだった。終わりの25mで失速し始めた土方は、並外れた運動能力の神楽には敵わなかった。

 神楽は嬉しそうに岩の上に上がると、緩んでしまったビキニの紐を直していた。隣に腰掛けている土方は、その姿に視線を逸らすと、紫色に染まり始める空を見上げた。

 何かを期待させるような、誘惑するような怪しい空の色だった。

 

「なぁ、これは遊びじゃなかったアルナ? だったら、私に何かくれヨ」

 

 そう言った神楽に、土方はどうしたもんかと考えた。

 何かをやると言っても、大抵のものはネタ星人に注文すれば良いだけの話だ。

 

「欲しいもんなんて無ェだろ」

「そうアルナぁ……」

 

 神楽は髪を結い直しながら考え込むと、何か思い付いたのか土方に笑いかけた。

 

「じゃあ、これから毎日、私の相手してヨ」

 

 土方はそう言った神楽を見ると、すぐにその顔を隠した。

 笑顔でそんな事を言われるとは思ってもいなかったのだ。

 自分は神楽に何もしてやれないと思ってただけに、この状況に少し感動していた。

 

「何アルカ?」

「なっ、いや、ちょっと目にマヨネーズが入っただけだ」

 

 神楽は急に自分とは反対方向を向き、背中を見せた土方を怪しんで見ていた。

 

「オマエ、マヨネーズ食ってたアルカ? 他にもなんかオヤツ隠してんダロ! 」

「無ェよ! 頼むからこっち来んじゃねェッッ」

 

 逃げようとする土方に迫る神楽。不安定な岩の上で二人は揉み合いになると、案の定、海の中へと落ちて行った。

 無数の泡が二人の身を包む。

 さほど深くはないが、暴れてもがくと本当に溺れかねない。もつれるように抱き合って落ちた二人は、動きを止めると流れに身を任せた。

 

 神楽の長い髪がゆっくりと水中を舞い、濃い藍色に変わった海は神楽の白い肌を引き立てた。だが、触れる素肌が見えてる色に反して熱く、驚いた土方はその腕から神楽を解き放った。すると、神楽はからかう様に土方の周りを器用に泳いで、先に岸へと向かって行ってしまった。

 残された土方はようやく水面に顔を出すと、今見た光景に人魚を連想したのだった。

 

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