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三つ巴:09

 

【土方十四郎:17】

 暗い体育倉庫。山崎が職員室へと鍵を取りに行っている間、土方はどうしても神楽に聞いておきたいことがあった。先程ははぐらかされたが、どうしてここにいたのかと言うことだ。

 気分が悪いのか嗚咽の止まらない神楽ではあったが、土方は尋ねてみた。

「なんでテメェはこんな所にいた」

 すると神楽は一瞬悲しそうな顔をして、そして顔を足元へと向けた。どうも誰かを待っていたわけでも、昼寝をしていたわけでもなさそうだ。

 神楽は一旦静かになると、小さな声で言った。

「沖田のバカから逃げてたネ。帰ろうとしたら中庭にいたから、あいつがいなくなるまでここで時間つぶしてただけアル」

 正直、神楽が逃げるなど珍しいことであった。どんな時も沖田と真っ向から対決しているのだ。それなのに逃げるなど……土方はそこにもつっこんで聞いてみた。純粋に知りたかったのだ。喧嘩を避ける、沖田を避ける理由を。

「何があった?」

 神楽は僅かに顔を上げると目だけで土方を見た。ズレた眼鏡の隙間から見える瞳。僅かな光を受けて輝いて見えた。だがそれは、もしかすると涙だったのかも知れないと後から気が付いた。

「あいつにおっぱい揉まれまくって……嫌になったアル」

 土方は心臓が一度大きく跳ねた。体温もやや上昇した。だが、いやらしい気分にはならず、沖田に対して怒りのようなものを覚えた。

 あいつは何やってんだと――

「ガキか」

 土方がそう呟くと神楽は力なく笑った。

「でも、もうそれじゃ済まないネ。あんな事されるとこれからの付き合い方が分からんアル……」

 その横顔は寂しそうで、土方は神楽の心のうちを何となくだが察した。本当は今後も今まで通りに付き合って行きたいのだろう。だが、沖田の行動がそれではダメだと遠ざけさせるのだ。無理に付き合うなと言ってしまいたかったが、きっと神楽は沖田のことを――そう思うと余計なことは言えないのだった。

 そうこうしている内に鍵を持った山崎が到着し、二人はようやく体育倉庫から出たのだった。

 

 沖田を殴った後、土方は痛む拳を中庭のベンチで見つめていた。あそこまでするつもりは無かったのだ。しかし、嫌がる神楽が可哀相でつい思わず手が出てしまった。

 別に正義のヒーローぶりたいわけではない。ただ神楽の寂しそうな顔を思い出すと、沖田の振る舞いを改めさせる必要を感じたのだ。友人として。それは余計なお世話なのかもしれない。ウザいと思われるだけなのかもしれない。だけど黙って見ていることは出来なかったのだ――――と言う思いはもしかすると建前かも知れないと気付いていた。本心はあんな事をしてもまだ神楽に好かれている沖田が憎かったのかもしれないのだ。

 別に神楽を愛してるだとかそう言う気持ちがあるわけではない。でも、少し“いいな”という青臭い想いは抱いていた。本当にそれだけのぼんやりとした曖昧な想い。しかし、この身に感じた神楽の体温がそれ以上へと気持ちを高めさせたのだ。だが、どうこうするつもりはない。神楽の気を引こうだとか沖田から引き離そうだとか。

 土方はベンチから立ち上がると柄にもなく願った。神楽の想いが上手いこと叶うようにと。しかし、それの最後に付け足すように、もう一度だけ許されるのなら神楽の体温をこの身に感じたいと思ってしまったのだった。

「つか、靴に何か入って……」

 土方は靴の中から出てきたジョークグッズにこめかみに青筋を浮かべるも、今日だけはこれでおあいこだと思うことにしたのだった。

 

 

 

【神楽:18】

 下駄箱の影で息を潜めながら、神楽は沖田が追って来るのを待っていた。沖田に話があると言われたが、思わず悪態をついて嫌だと言って逃げ出したのだ。神楽も沖田から真面目に説明を受けたいと思っていた。納得しないのだ。スカートめくりや胸を触られた事など、理由があるのなら聞きたいと思っていた。しかし、何を言われてももう神楽は手遅れである事に気付いていた。嫌いだなんて微塵も思えないからだ。

 された行為はどれもこれも不快であった。だが、それはふざけてやられたからであって、もしそれが二人だけの甘い空間で行われていたら――神楽は全てを受け入れてしまうと気付いてしまったのだ。それが神楽の恐怖であった。沖田が恐いのではない。男子という生き物が恐いわけでもない。自分の気持ちに気付いてしまうことが何よりも恐いのだ。

「あんたに何が分かんだよ!」

 突然沖田の大声が聞こえて、神楽は下駄箱の影から身を乗り出した。見れば沖田が土方の胸ぐらを掴んでいて、何やら言い争っている姿が見えたのだ。

「なんであいつら喧嘩してるアルカ?」

 神楽はどうしようか戸惑っていると、土方が沖田の頬を殴ったのだった。いつも何だかんだ言っても仲が良いと思っていただけに、その衝撃は大きなものであった。

 止めに行った方が良いのか、余計なことはしない方が良いのか。そんな事を考えて動けないでいる内に山崎が仲裁に入り、土方は悔しそうな沖田を置いて中庭の方へ去ってしまった。

 赤く興奮している沖田の顔。心が荒れている事は見て取れる。神楽は沖田がこんなにも感情的になるなど、余程のことがあったのだろうと思っていた。沖田のことは何でもよく分かるのだ。ずっと向かい合って喧嘩して来たのだから。しかし、今の土方との喧嘩は普段している神楽との喧嘩とは随分と違った。

 私らのは、じゃれ合いみたいなもんアル……

 神楽はここにきて初めて、沖田が喧嘩をふっかけて来る理由を知った気がした。それは嫌いだから苛立つから、憎いから鬱陶しいから……なんてものでは無かったのだろう。

 神楽はやはりどうしても沖田を放ってはおけず、何も出来ることがないとは分かっていたが沖田の元へ飛び出したのだった。

「……やりかえせヨ。情けねーアルナ」

 神楽がそう言って沖田の目の前へ出て行くと、山崎のスネを蹴っていた沖田が驚いた顔で神楽の事を見た。

「てめー……なんで……」

 神楽は沖田から一歩離れると、胸を隠すように自分の体を抱いた。

「待つアル! 次に触ったらお前、一生許さんアル!」

 沖田は苦笑いをすると鼻で軽く笑った。

「しねーよ」

 すると沖田は周囲を見回して、まだ戸締まりのされていない教室へと足を向けた。神楽はもう沖田が本当に何もしてこない事を感じ取ると、沖田に続いて茜色に染まる教室へと入ったのだった。

 

 教室へ入れば沖田は窓際に立っていて、教室のドアにいる神楽へと背を向けていた。何か話したいことがあるのは分かっていた。それが神楽への謝罪であることも何となく。神楽は一歩沖田に近づくと、だだ静かにその口が開かれるのを待った。

 沖田は窓の外を眺めながら小さく呟く。

「……悪かったな」

 神楽は沖田の素直な言葉を聞くと心が震えた。そのまま突き動かされてまた一歩、沖田へと距離を詰める。

「分かれば良いアル」

 神楽も沖田へと珍しく素直になった。そのせいか窓の外を見ていた沖田の顔がこちらへと向く。

「まさか、てめーが泣くとはな」

 街の彼方へ沈みゆく夕陽が沖田の表情を隠した。ただ聞こえてきた声は真面目なもので、皮肉めいてなどはいなかった。

 神楽は沖田の表情を知りたくてまた一歩、前へと進んだ。

「じゃあ、あそこで笑えば良かったアルカ? 殺しちゃうゾって」

 すると今度は沖田が一歩、神楽の方へと近づいた。しかし、やはり逆光で沖田の表情が見えず神楽は目を軽く細めた。

 笑ってる!?

 見えてきたのは柔らかく微笑む沖田の表情で、神楽は心臓の鼓動を速めた。こんなに穏やかな顔は見たことがなくて、だけど微塵もおかしいとは思わなかった。からかう気になどなれないのだ。

「それはそれで面白えだろーが……」

 そんな事を呟いた沖田は適当に目の前の机に腰掛けた。そして、両手をポケットに突っ込むと足元に視線を落とした。

「それなら俺はこうして謝ることは一生なかったかもな。それで一生てめーと口を利くこともなかったのかもしれねぇでさァ」

 神楽もそんな気はしていたのだ。もし沖田が謝ろうとしてくれなければ、下駄箱の影なんかに隠れて様子を窺ってなどいなかった筈だ。そしてシコリを残したまま帰宅して、一生喧嘩することも口を利くこともなかっただろう。そんな人生はなんとつまらなく味気ないものだろうか。

 神楽は一気に距離を詰めて沖田の正面へ立つと、軽く首を傾げた。

「お前はそうなると困るアルカ?」

 神楽は何気なしにそんな言葉を口にした。しかし沖田には答えづらい質問だったらしく、その顔がこちらを向くことはなかった。

「……その騒がしさに慣れちまって、無いと落ち着かねーだけでィ」

「ふぅん。そんなもんアルカ」

 神楽は少し面白くなかった。そんな答えが返ってくることはだいたい想像していたが、実際そう言われると何か物足りないのだ。その何かがなんであるのか――神楽は胸の高鳴りが期待している言葉を知っていた。“お前がいなきゃ困る”そんな甘い言葉を沖田に期待したのだ。そんな言葉が沖田の口から紡がれることなど無いのは知っている。だがそれでも夕暮れの教室で二人っきりなんて状況だと、神楽は淡い想いを抱いてしまうのだ。

 神楽は沖田に背を向けると、拗ねている事を悟られないようにした。

「……お前から謝罪されたことだし、今日はもう帰るアル」

 すると沖田は机から飛び降りて、頭の後ろで両手を組んだ。そして神楽に、どっちが先に校門を出るか競争でさァと言って――ということはなく、沖田は机に腰掛けたまま黙っていた。そうしていつまでも何も言わない沖田に神楽は何事だと振り向くと、まだ下を向いたままの顔を覗き込んだ。

「まだ帰らねぇアルカ?」

 沖田は驚いたような顔をしており、一体何にそんなに驚いているのかと神楽は瞬きを数回繰り返した。しかし今更だが、近い顔の距離に神楽は息が詰まりそうになった。もしかすると沖田の驚いている原因はこれなのかもしれない。神楽は急いで離れようとして――――ポケットから沖田の右手が伸びて来た。捕らえられた半袖から伸びた左腕は、沖田の熱い手にしっかりと捕らえられた。

「次に触ったら一生許さんって言ったダロ……」

 神楽の声は震えていた。体の中で心臓が暴れているのだ。それを止めようと頑張れば頑張るほどに体は震える。それならばいっそ心臓の好きにさせてみるのも良いのかもしれない。神楽は少しだけ力を抜いた。

「……逃げねーのか?」

 沖田の言葉に神楽は肯定も否定もしなかった。

「なんか言えよ」

 それでも神楽は何も答えなかった。もう言葉が出ないのだ。徐々に近づいてくる沖田の顔。疼いている心臓は早く爆発させてくれと、導火線に火をつけられる瞬間を待っていた。

「なんでィ、そういう事かよ……」

 沖田もそんな神楽の気持ちに気付いたのか口をつぐんでしまうと、白く震える腕から手を離し神楽の眼鏡を外してしまった。途端にぼやける視界。だが、問題はない。どうせもう目蓋を閉じてしまうのだから……

 教室を覆う二人の重なったシルエット。しばらくその影は離れることなかった。

 

 夕陽が沈み終わる頃、ようやく闇に紛れて影が千切れた。

「……一生許さんアル。ちゃんと責任取れヨ」

 神楽はそう言って照れたように笑うと、沖田も似たような柔らかい表情を浮かべた。

 しかし、そんな二人をあんパン片手に凝視している男がいた。

「隊長もチャイナ娘も俺に感謝しろよなッ!」

 まさか盗み見している生徒が一名いるとは、笑い合う神楽と沖田は知らずにいるのだった。

2014/08/18

以下、あとがき。

リクエストありがとうございました。

時間がかかってしまいまして、すみませんでした。

今回は【神楽ちゃんを落とそうとしている存在に気付き、それぞれあの手この手で奮闘】という項目が入れることが出来ませんでした。ごめんなさい。どうしてもR-18になってしまいそうだったので、また別の機会にリベンジ出来ればと思います。

リクエスト頂いた話に関しては、リクエストして下さった方の年齢が分からないので一応、R-18は書かないようにしてましたので……

楽しく読んでもらえるか分かりませんが、一生懸命には書きました……と言い訳しておきます!