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揺るぎないもの・上/沖→←神

 

 瓦礫と化した街――江戸。かつては人々で賑わい、活気ある都市として宇宙中から商業の船が集まっていた。しかし、この街も今では蔓延する白詛により住人が次々に死へと誘われていた。そんな荒廃した街に残されたのは、他の惑星に逃げ出せなかった貧乏人と体を白詛に冒され、ただ死を待つもの達、そして――――

 規律も秩序もない、吸い込む空気すらも安全でなくなったこの街は、もはや一つの国家としての機能を失いつつあった。存続すら危ういものだ。いや、地球という惑星自体が、今まさに終わりを迎えようとしていた。

 しかし、その星を今もまだ愛し続けている者達もいた。

 

 江戸の繁華街であるかぶき町。この町は比較的治安が守られ、夜ともなれば戸の前に暖簾をぶら下げる店も少なくなかった。

 一軒の飲み屋。その店の主もまた、江戸をかぶき町を愛する者であった。年配の大将が一人で切り盛りしており、長年かぶき町の夜を支えていた。一緒に店をやっていた奥さんは昨年、白詛に冒され帰らぬ人となっていた。

 そんな店に集まる連中は、どいつもこいつも町を愛し、この町と共に死を迎え入れる諦めが備わっていた。

 希望に満ちた笑顔などはない。飲む酒が、いつ死に水になるかも分からない。それでも飲まずにはやっていられないと、暫しの夢を見るのだった。

 店のカウンターには、浪人風の男が一人と夫婦なのか男女が一組腰掛けていた。

その一組の男女は、何やら浮かない顔で酒の入った盃を見つめていた。

「あんさん、この町はどうなるんだろうねぇ。私はもう疲れちまったよ」

 血色の悪い、青白い顔の女がそう呟くと、隣の男は女の肩を抱いた。

「俺達はやれるだけの事をやっただろ。お前の母さんも分かってくれるさ。だがなぁ、俺達を見捨てた幕府だけは許せねぇ」

 聞こえてくる話によれば、白詛にかかっていた女の母親がどうやら亡くなったようだった。

 こんな話は町のあちらこちらから聞こえてくる。何も珍しい事ではなかった。しかし、そのやるせなさの行き着く先は、これ程までに苦しみ嘆く人々を放置し、何の対策も講じない幕府に向けられていた。

「……そうさ。全部、幕府が悪い。もう何を信じたら良いんだろうね」

 女は涙声でそう漏らすと、男は女の頭を撫でた。

「確かに幕府は信じられねぇが、この町には万事屋のあの二人がいるだろ。かぶき町はあの二人がいる限り安泰さ」

 万事屋のあの二人。それは万事屋新八さんと万事屋グラさんの事であった。

町の治安が乱れどこから湧いて出たのか、賊が好き勝手しようと暴れ回るのを、万事屋新八さんと万事屋グラさんがいつも収めていた。町の治安はこの二人により守られていると言っても過言ではなかった。

 女はその言葉に柔らかい笑みを浮かべると、男の手を握った。男も照れ臭そうに笑うと、女の手を握り返した。だが、すぐにその表情を曇らせた。

「しかしなぁ、あれだけ威張り散らしていた幕府の犬も、今じゃ何の役にも立たず、ただ暴れてるだけの狂犬集団だ。町を守るって事を知らねぇのかね」

 幕府の犬とは、武装警察である真選組の渾名であった。とある事件をきっかけに真選組は、幕府に敵対する組織となっていたのだ。

 元々、町の治安を守る為の組織などとはほど遠いものだった。ある一人の男を慕い、集まっている連中ばかりであったのだ。その男が不当逮捕された事件。真選組が幕府に楯突く事は、なんら不思議な事ではなかった。

「まぁ、それだけこの世界が、五年の月日が人の心を変えちまったって事なんだろうね」

女がそう呟くと、離れたところで一人酒を飲んでいた男が席を立った。

「大将、お代は?」

 カウンターの中にいる大将は顔を上げ、手を止めると首を左右に振った。

「あんたには、うちの用心棒をやってもらってんだ。お代はいらねぇよ」

 男はそうかィと言って、長い楊枝を口に咥えると店を出て行った。

 カウンターには夫婦の二人だけになった。そのせいなのか、二人の距離は先程よりも縮まって見え、寄り添い合っているようだった。

「でもな、お前。こんな世界でも、五年の歳月が流れても、変わらないものも存在するだろ?」

「ふふふ。なんだい、あんた。言葉にしてくれなきゃ分からないじゃないか」

 男と女は握り合った手と見つめ合った瞳で、どれくらいか振りに穏やかな気分になったのだった。

 

 月が高く昇り、寂れた町の隅にまでその明かりが行届いていた。

 店を出た浪人風の男――かつての真選組一番隊隊長沖田総悟は、一人ねぐらへ帰ろうと夜道を歩いていた。

 華奢に見えるその体つきと、一つに束ねた長い髪。首に巻いたこれまた長い巻物は、随分と動き辛そうだ。整った顔立ちは甘く、一見して優男と思えるがこの男の剣の腕は一級品であった。しかし、そんな事を知らずにふざけた格好をした賊が沖田を取り囲んだ。

「よォ、兄ちゃん。夜道にふらふら出歩いてちゃ、悪い人にさらわれちまうよ?」

 モヒカン頭の刺青男が挑発すれば、周りの男共が不愉快な笑い声を上げる。

 沖田はそれをピクリとも動かずに聞いていると、モヒカン頭の刺青男が、またベラベラと無駄口を叩いた。

「あれぇ? もしかして、俺たちにビビって足が動かないのかなぁ? お母さんでも呼ぶ? まさか気を失ってるわけじゃねぇよなぁ?」

 沖田は口に咥えていた長い楊枝をぷっと吐くと男に向って飛ばした。それが油断していた男のモヒカンに刺さり、無駄に決まっていた髪型は見るも無残に形を崩す。すると、それまで不愉快な笑みを携えていた男の表情が一気に壊れたのだった。

「あ? あああ! てめー何してんだゴルァ!」

 しかし、沖田は大きく動くことなく、飛び掛かって来た賊のモヒカンを腰に刺していた逆刃刀で綺麗に削いだ。

「今夜は峰打ちじゃ済まねぇぜ? それでも良いなら、掛かって来な」

「な、ななななんだこいつゥウ!」

 賊共は沖田の神業に尻尾を巻くと、慌てて逃げて行ったのだった。

 沖田は刀をしまいながらくだらねぇと吐き捨てると、連中が去って行った方向へ視線を向けた。そこで三時の方角、薬屋に人影があることに気が付いた。屋根の上に大きな白い獣と長い髪を夜風に揺らす女の影。

 月明かりが眩しく、その女の顔は見えなかったが沖田には分かっていた。この女が万事屋グラさんの神楽である事を。

 沖田はマフラーを巻き直し、神楽を見上げた。

「別に酢昆布買いに行くついでに通りかかっただけだから。勘違いしないでよね」

 神楽はそんな事を言って屋根からこちらへと飛び降りた。

 先程までと違い神楽のその顔を目に映す事の出来る距離にいるのだが、随分と神楽が遠くにいるように思えてならなかった。

 沖田はニヤリと軽く笑はしたが、別に今の状況を楽しんでいるわけではなかった。ただもう自分と神楽が、昔とは違った場所に立っている事をシニカルに笑っただけであった。

 片や町の治安を守る正義の味方。片や幕府打倒を掲げる攘夷志士。

 何もかもが変わってしまったのだと沖田は、飲み屋で聞こえてきた夫婦の会話を思い出していた。

「あぁ、そうかィ。じゃあな」

 沖田はそう言うと神楽に背を向けた。

 昔ならこうはならなかった。理由があろうがなかろうが、掴みあって喧嘩して、いつもいがみ合っていた。

 あの女を殺るのは自分だ。

 沖田はいつもそう思っていた。自分以外が神楽を手に掛けるなど許せない。その思いは非常に強く深いものであった。だが、離れてみて……時間と距離を置き、初めて分かる事もあった。

 神楽を殺る。それは間違った感情のベクトルであり、そんな風に思うのも裏を返せば――沖田は数歩進んで足を止めた。そして振り向けば、そこには悲しそうな顔をした神楽が立っていた。

 変わっちまった。

 沖田は改めて思った。分かってはいたが、何もかもがもう昔と変わってしまったのだと。

 自分から近藤と言う大将を奪い、こんな世界など恨むしかないと思い生きていたが、神楽たちの大将はもうどこにも居ないのだ。恨みを晴らす相手すらいない神楽を、沖田はごく普通に可哀想だと思うのだった。

 確かなものなど、一体どこにあるのだろうか。

 沖田はこの朽ち果てた瓦礫の街に、大事なものを少々見失いかけていた。

 

 二人はどちらともなく歩調を合わせると、並んで歩いた。いや、どちらかと言えば神楽の方がやや遅く、沖田の行く先に合わせてついて行っているようであった。

「飯は食ったのか? まぁ、その体を見るに、栄養は充分取れているみてぇだな」

 神楽はムッとした表情になるも、長い髪を手で払うと気取って言った。

「どっかの人斬り集団が壊滅したお陰で、こっちは繁盛してるわ」

「……万事屋ねぇ」

 沖田はかつて銀時、神楽、新八と三人で万事屋を営んでいた日々を思い出していた。思い出に浸る趣味はなかったが、笑顔のすっかり消えた神楽に、さすがに何も思わずにはいられなかったのだ。いや、目を背けたくなる程に痛々しく映っていた。

 銀時が消え、あれだけ仲が良くみえた神楽と新八も分裂。一人で万事屋を名乗っている神楽の気持ちは、何も聞かなくともよく分かっていた。

「たまには集会所に顔を出せよ。近藤さんも桂の野郎もいねーとなりゃ、こっちも随分と湿気たもんだ」

 神楽はその言葉に眉間のシワを濃くすると、沖田の横顔を眺めた。

「何それ。私、コンパニオンじゃないんだけど。あんなむさ苦しい所……でも、たまには息抜きも良いかもね」

 神楽はそう言うと、視線を道の先へと落とした。

「たまにはバカに付き合って、バカになるのも必要だって考えるわ。それでも装うことしか今はもう」

 そう言った神楽に沖田は突然、神楽の肩を抱いて身を寄せた。

「大丈夫だ。てめぇは生粋のバカでィ。俺が保証してやる」

 神楽は無礼な沖田の言動に拳を繰り出すも、沖田の手の平に吸い込まれてしまった。パチンと乾いた音が響く。

 懐かしい。

 沖田は久々に体のど真ん中が震えるのを感じていた。どれくらいか振りの痺れる感覚。しかし、拳を繰り出した神楽がそれ以上仕掛けてくることはなく、すぐに体が離れた。

「……じゃあ、私行くわ」

 神楽はそう告げると、定春と共に一瞬にして闇に消えて行ったのだった。

 沖田は神楽の拳を受け止めた自分の手の平を見つめていた。そして思うのだった。

 やはり、自分があの女を殺るのだと。

 他の奴に殺させはしない。指一本も触れさせたくはない。神楽を誰にも……

 沖田は薄笑いを浮かべると、久々に鼓動を速めながらねぐらへと向かったのだった。

 

 

 

 あれから数日後のことだった。

 神楽が沖田や他の元真選組隊士達の居る、集会所に立ち寄ったのは。

「チャ、チャイナさんだ!」

 普段、女っ気のない連中と言うこともあり、神楽の訪問は一大イベントのような盛り上がりであった。

「息抜きにね」

 神楽は静かに微笑むと、適当に男達をあしらっていた。

 沖田はその様子を部屋の隅で壁にもたれながら眺めていた。すると、そんな沖田を見つけたのか神楽と目が合った。

「ねぇ、ちょっと」

 神楽はそう言うと沖田のところまでやって来た。そして、尋ねた。

「トシは?」

 沖田は軽く首を傾げると、さぁと言ってみせた。

 本当はトシの――土方十四郎の行き先を知っているのだが、どうも教えたくなかったのだ。

「土方さんはもう副長じゃねぇんだ。俺でも事足りるだろィ」

 だが、神楽は突っ立ったまま腕を組むと、うーんと唸った。沖田が事足りるのか足りないのかを考えているのだろうか。

「でも、依頼内容は他人に漏らせない決まりだから」

 神楽がそう言うと、沖田は壁にもたれたまま神楽を見ずに呟いた。

「裏のスナックで情報集めてんだろ。二階の個室でな」

「……ついて来なさいよ!」

 神楽は沖田を無理やり立ち上がらせると、なんの準備もしていなかった沖田を集会所の外へと連れ出した。

 大体は察しがついていた。神楽は恐れているのだ。もし、その二階へと伸びる階段が揺れていたらと……

 しかし、沖田の言葉は責任感のないもので、本当に土方がそこに居るのかは知らなかった。適当に神楽が嫌がりそうな事を言っただけで、勤務表などもない今、土方がどこで何をしているかなど把握していなかった。

「ほら、早く呼んで来なさいよ」

 集会所の裏手にあるスナックに辿り着くと、神楽は沖田の背中を押して階段を上らせようとした。

「てめーの依頼人だろィ! なんで俺が」

「良いから! 行って来いよ!」

 そうして二人が揉めていると、二階の部屋の戸が開いたのだった。

「煩いね! あんた達! ホステスの昼寝を妨害すんじゃないよ!」

 そこから顔を覗かせたのは、五十歳~六十歳と言ったところのご婦人であった。

 神楽は沖田を思いっきり睨みつけると、ホステスに謝ってその場を後にした。

 

 神楽は沖田を捕まえたまま道端に連れて来ると、怖い顔で迫ったのだった。

「なんで嘘をついたわけ? 私は遊んでる暇なんて無いんだけど」

「だが、土方さんが昼間から情報収集に託けて、腰振ってる事は事実なんだ。そうカリカリすんなよ」

 神楽は溜息を吐くと沖田を解放した。

「トシが戻って来るまで、今日は集会所で待つ事にするわ」

 そう言って、神楽は沖田の前を歩くと、無言で集会所を目指した。

 沖田はそんな神楽の後ろ姿を静かに見つめているだけであった。

 

 
揺るぎないもの・下/沖→←神
 
 集会所に着くと、戻ったばかりの土方が入り口で山崎と談笑をしていた。
それを見つけた神楽は沖田を肘で小突くと、役立たずと小さく罵った。
「ん? 神楽に総悟か。珍しい事もあるもんだな」
 やけに上機嫌に見える土方は、煙草を口に咥えたまま、こちらへと向かって来た。
 沖田はそんな土方に背を向けると、また階段を下りて外へ出ようとした。しかし、聞こえて来た言葉にその足を止めたのだった。
「近藤さんの打ち首の日が分かったぞ」
 沖田の顔に緊張の色が見えた。
 捕らえられている近藤の、刑執行の日取りがどうやら判明したらしい。
 沖田は階段の手摺りを跳び越えると、部屋へと戻った。
「その日を逃せば後はねぇ。テメェらの大将取り戻してェなら、死ぬ気で暴れやがれッ!」
 土方のその言葉に集会所にいる男達は、皆声を合わせて拳を天へと突き上げた。
「こっちも源外の爺さんの準備は整ったわ」
「あぁ、そうか。なら、話は俺の部屋で聞く」
 土方と神楽がそんなやり取りをするのを聞いた沖田は、また一人部屋を出ると集会所を後にした。
 
 面白くねぇ。
 沖田は河原を歩きながらそんな事を考えていた。
 別に土方の部屋でなくても良いだろ。
 そんな思いがモヤモヤと胸の中に渦巻いており、早いこと掻きむしってどうにかしてしまいたかった。しかし、そのモヤモヤを取り出す方法が見つからず、沖田は仏頂面で道端の石ころを蹴飛ばした。
「なんでィ。ただの石の癖して」
 思いの外小石を蹴った足の方が痛み、益々腹の立った沖田はその辺りの原っぱに適当に腰を下ろしたのだった。
 神楽が誰とどうなろうと、今までは別段気にならなかった。それは当たり前のように神楽の瞳が銀時を映していて、敵わない大きな存在だと打ちのめされていたからだ。しかも、銀時も神楽を大事に思っていた。それは周りの人間にも伝わっていた。
 神楽は幸せそうだった。銀時と新八と万事屋で過ごし、いつも笑っていた。
 それを沖田は受け入れていた。誰がなんと言おうと、神楽は万事屋を愛していて他の誰も入り込む余地なんて無いということを。神楽の見つめる先が銀時だから許せたのだ。
 しかし、銀時を失った今、穴の空いた神楽が心の安寧を求めるのは――それが万事屋以外である事は、沖田にとって非常に許し難い事であった。
 万事屋以外の誰かに奪われるくらいなら、神楽を殺してしまおう。本気でそんなことを考えていた。だが、神楽は他人に頼らず、あの新八すらも遠ざけている。五年の月日が全てを変えた。いつしか沖田の考えも、バラバラに千切れて地球の回るスピードと共に消えてしまった。なのに、それがまた一つの黒い塊となり胸に渦巻くのだ。
 久々に受け止めた拳。それがスイッチとなり神楽を意識させた。そして、土方と神楽の親密そうな素振りが、燃料となり注がれ沖田の心を激しく動かした。
 どんな女も自分には簡単に平伏すのだ。それなのに神楽はいつまでもなびかず、挙句の果てに土方に笑顔を向ける。
 沖田の心中は荒れに荒れていた。だが、もう掴みあって喧嘩する時期は過ぎていた。
 人とまともな友人関係や恋愛関係など築いた事のない沖田は、この歳にしてどうすればいいのか悩んでいた。
 手に入らない幸せなら壊してやるか?
 今頃、さほど広くない部屋で二人きりになっている土方と神楽を想像するとやるせなくなった。
 だからと言ってその辺の女を抱くのはもっとやるせないと、沖田は膝を抱えたまま目の前を流れていく川を眺めていた。
「あっ、魚が跳ねた」
 しかし、本当につまらないと、しばらく何も出来ずに河原に居るのだった。
 
 
 
 土方の部屋に居る神楽は、障子を開け放った窓枠に腰を掛けると江戸の閑散とした町を見下ろしていた。
「別にあんたらの大将がどうなろうと私には関係ないけど、こっちも源外の爺さんの事があるから」
「賢い女だ。俺はテメェみてぇな女、嫌いじゃねぇ……しっかし、本当良い女になったなあ」
 神楽は少し驚いた顔をすると、頬を紅く染めた。だが、すぐに目を大きくすると、何か別のものに興味を引かれたようであった。
 窓の外に注がれている視線は何かを追い掛けていた。どうやらこちらへ向かい歩いて来る沖田の姿を見つけたらしい。
「……バカサド」
 神楽は声に出さず、口だけでそう言葉を発した。
「なぁ、神楽。単刀直入に言う。俺の女にならねぇか? それで……毎朝、マヨネーズを俺の白飯にかけて欲しい。ダメか?」
「うーん、かけるだけなら良いけど」
 神楽はぼんやりと答えた。
「ほ、本当に良いのか? いいんだな? 俺の女に……」
 すると、突然土方の部屋の戸が開けられた。
「テメェら俺の部屋にいつまで居座る気だ。くだらねェこと喋ってるなら他でやれッ!」
 火のついた煙草を口に咥えた土方がそう言い放つと、エリザベスと神楽は仕方がないと土方の部屋から出て行った。
 そこへ丁度外から帰って来た沖田がやって来た。
 何も知らない沖田は神楽が土方と二人っきりで何をやっていたのか、やはり気になっていた。しかし、そんな事を尋ねることは出来ず、沖田は当たり障りのない事を言った。
「まだ居たのか」
 神楽は肩にかかる長い髪を手で払うと、すました態度で言った。
「まぁね。暇なわけじゃないけど、久々に顔見る連中もいたから」
 何となく神楽の言葉に沖田は気持ちが楽になると、頭の後ろで腕を組んだ。
「なら、少し付き合え」
 沖田はそう言ってまた外へ出た。
 忙しなく落ち着きのない沖田に神楽は首を傾げると、眉間にシワを寄せるのだった。
 
 沖田が神楽を連れて来たのは、瓦礫で足の踏み場のない荒廃した街角であった。色気も何もないそんな場所に案内され、神楽の表情は一気に曇った。
「宝探しでも始めるわけじゃないでしょうね? そういうのは、ワンパークに任せてたらいいのよ」
「あぁ、違いねぇ」
 沖田はそう言うと、凪倒れた電柱やコンクリートの塊の隙間にしゃがみ込んだ。
 神楽はそんな沖田の様子が気になるのか、軽く屈むとその隙間を覗き込んだ。
「……まさか、こんな所に?」
「あぁ、この辺りじゃ珍しいと思ってな」
 沖田と神楽の視線の先には白百合が数輪、アスファルトの間から光りに向かって伸びていたのだ。この朽ち果てた土地で生命力に溢れるその様は、ほんの少し気持ちを明るく照らした。
「柄じゃねーが、こんな時代だ。俺も思わず足を止めちまった。まだ花も咲くのかなんてな」
 前に一度通りかかった時に、沖田の心に強く残っていたらしく、そんな場所に神楽を案内したのだった。
 街も自分たちも五年前とはすっかり変わった。ならば、自分が神楽に花くらい見せたとしても、特におかしい話ではないと思ったのだ。
 沖田はこちらを覗き込む神楽に視線をやると、見下ろしている青い瞳と目が合った。
 僅かに上気するのが分かる。興奮しているのだ。いつも銀時ばかりを映していた瞳が今は自分だけを映し出している。まるで神楽を独占したような気分になった。
「私達もいつまでも影ばっかり追ってちゃダメよね」
 神楽はそう言って沖田に背を向けると、他に誰もいない荒んだ大地を踏みしめ空を見上げた。
「新八とは姐御の事があって、益々離れていったの。あの人の……銀ちゃんの事もあるのに。だからか、たまにねこれ以上、何も考えたくないって思う時もあるわ」
 それは神楽が沖田に見せる初めての弱さであった。
 力強く立っているように見えるのに、実はもう一歩も踏み出せず、長い間立ち尽くしているようにも見えた。だが、そんな神楽の背中を押したり、手を引っ張ったり、共に歩いたり。沖田にはどれも出来なかったのだ。
 その代わり、神楽がそこに留まるなら、時間の許す限り側に――
 五年もの歳月の恩恵を受けるとすれば、変わってしまった自分をさらけ出せる事であった。
 沖田は腰を上げると神楽の後ろに立った。
 随分と伸びた背に女らしい体つき。そして、僅かに覗く憂いに満ちた表情。
沖田は神楽の体を、腕を伸ばして抱き締めた。
「旦那の代わりはどこにもいねぇ。それは土方さんだろうが、俺だろうが、誰にも無理だ」
「何言ってるのよ。銀ちゃんの代わりなんて必要ないわ。だって銀ちゃんは絶対に……」
 神楽はそこで沖田の方を向くと、その顔を沖田の胸に埋めたのだった。
 沖田は女を抱き締めた事なんて、今まで一度もなかった。
 バレたらバカにされるだろう。
 沖田はどんな加減で抱けば良いかよく分からず、だが自然と体が求めるがままに神楽の体を抱いていた。
「羞恥プレイかよ」
 嫌ならやめれば良いだけだ。
 それは分かっていたが、神楽を抱き締める腕が離れる事はなかった。
 
 それからしばらくして、神楽は顔を上げた。もうその頬に雫はなく、乾いた肌がやけに赤かった。
 沖田と神楽は体を離すと、しばし無言の時を過ごした。
 神楽は下を向き何か言葉を探しているようで、沖田はそんな神楽を待っていた。
 その間、流れる空気に反して、沖田の心の中は不安で溢れていた。
 もしかすると、神楽はこうしてあちこちで誰かの胸を借りているのかもしれないと余計な考えが浮かんだ。どうも慣れているように沖田の目には映ったのだ。それが単なる思い込みなのか、沖田の勘なのかは定かではなかったが、神楽は沖田を特に意識しているようには見えなかった。
 確かに今までの関係もあり、これだけの事で急に気持ちが沖田に傾くとも考えられなかった。
 よくよく考えれば、ただ体を抱き締めただけだ。胸を貸しただけ。それくらい友人同士でも、アスリートと監督間でもやるものだ。“気持ちを理解してる”という間柄なら、恋愛感情がなくともやるものだ。
 沖田は鼓動の速まった自分が間抜けだと苦笑いを浮かべた。
「そろそろ帰るわ。定春も待ってるから」
 そうかィと沖田は言うと、二人はかぶき町に向かって歩き出した。
 瓦礫ばかりの灰色の道。それでも空は青く、白百合は力強かった。
 沖田は花の美しさは分からなかったが、神楽の気持ちが少し軽くなったなら花も良いものだと思っていた。
 神楽は孤独だ。
 沖田の目から見て、神楽は一人であった。誰にも頼らず、新八を見守り、銀時を待っている。
 そんな神楽を沖田はいつもただ見ているのだった。それは五年と言う歳月が経とうと、ずっと変わらないものであった。だが、沖田はそれには気付かずに、自分も世界もすっかりと変わってしまったとばかり思っていた。揺るぎなく変わらないものもあると言うのに。
 沖田はそろそろ分かれ道に近付いたところで足を止めた。
「無理に誰かに寄り添えとは言わねぇ。てめーが他人の言葉に耳を傾けるとも思えねぇからな。でも、覚えておいて損はねーだろィ。もう一度抱かれたくなったら、訪ねても構わねぇって言葉を」
 神楽は沖田の言葉に目を細めると、腕を組んだのだった。
「一度抱き締めたくらいで、彼氏面しないでよね」
 そう言った神楽は背中を沖田へと向けた。
「なら、もういっぺん抱き締めたら、てめーの彼氏面しても良いんだな」
 すると、怖い顔がこちらを向き、バカじゃないのと神楽は怒った。しかし、またすぐに顔を元に戻すとポツリと言った。
「……キスくらいしてから、そういうこと言いなさいよ」
 それだけを言い残した神楽は、髪をなびかせて廃屋の屋根に飛び移った。そして、こちらを振り返ることなく消えて行った。
 立ち尽くす沖田はニヤリと不敵に笑うと、やはりあの女を殺るのは自分だと改めて思うのであった。
 他の誰にも殺させはしない。
 だが、その想いが神楽を護りたいという感情だとは気付かずに、沖田は集会所へと向かうのであった。
 
2014/01/26