[MENU]

bittersweet drive/土+神

 

 平日の昼間。真選組の副長こと土方十四郎は、咥え煙草でパトカーのハンドルを握っていた。何てこともない穏やかな午後。降り注ぐ太陽光は肌を焦がそうとしているが、クーラーのかかった車内ではそれもあまり関係がなかった。

 この後の予定も大したものではなく、屯所へと戻り溜まっている書類をまとめるくらいのものだった。たまにはこんな日も悪くない。そんな事を考えている土方は、珍しく機嫌が良さそうに見えた。

「あ、そういや煙草が無くなるな」

 そんな独り言を呟くとハンドルを切って、普段よく行くタバコ屋へと向かおうとした――その時だった。フロントガラスの上に何やら物体が落ちて来て、パトカーの車体が大きく沈んだ。

「オイイイイイッッ!」

 口から零れる煙草と灰。土方は突然の事に急ブレーキをかけると、目の前に広がる真っ赤な世界に慌てて車から降りたのだった。

「何が起こった!?」

 額に汗を滲ませた土方は、パトカーのボンネットの上でうずくまる真っ赤に染まった少女を目に映した。いや、そうではない。真っ赤な中華服を身にまとった少女に顔を歪めたのだった。

「テメェかよッッ!」

 その少女、名を神楽と言い、姿形は地球人と同じなのだが、夜兎と言う宇宙最強の戦闘民族であった。走行中のパトカーの上に落ちるくらいで死ぬようなヤワな体はしていない。案の定、ボンネットの上に体を起こした神楽は傷一つ負っておらず、今にも駆け出しそうな勢いであった。

「アイツ、どこ行ったネッ!」

 焦ったような表情で周囲を見渡す神楽に、土方は怪訝な顔つきをした。

「何の話だ?」

 神楽はポンッとボンネットの上から飛び降りると、土方の質問に答える事なくパトカーの運転席へと乗り込んだ。

 土方の額に汗が流れた。嫌な予感がするのだ。

「待て! テメェ何する気だ!」

 そう言って土方が運転席の窓を激しく叩いた。すると神楽は空いている助手席を指差して、土方を睨みつけた。

「乗るアルカ! どうするネ! 早く決めろ!」

 何が何だか全く分からなかったが、パトカーをみすみす盗まれるワケにはいかないと助手席へと滑り込んだ。それと同時にパトカーは、けたたましいサイレンを鳴らして走り出したのだった。

「オラオラ! 轢かれたくないなら、さっさと退くアル!」

 拡声機を使ってそんなに言葉を吐きながら、神楽はどこかを目指し猛スピードで走っていた。

一体、どこへ行こうと言うのか。何も知らない土方は、ただ神楽の暴走ドライブに生きた心地がしないのだった。

「オイ! 一回止まれッッ!」

 しかし、神楽は土方を見て不敵な笑みを浮かべると、首を横に振った。

「走り出したら止まらんアル! あとはゴールまで一直線ネ。結婚もドライブも同じだってパピーが言ってたアル」

「そうじゃねェだろッッ! 良いから止まれ!」

 土方の悲痛な叫びも虚しく、神楽が爆走をやめる事はなかった。このままではきっと自分は死んでしまう。まだやり残した仕事がある事を考えると、土方はここで死ぬことはどうしても避けたかった。ましてや、少女にパトカーを奪われ手も足も出せずに殉職なんてことは、絶対にあってはならないのだ。

 こうなったら――土方は仕方が無いと不本意だが神楽に言った。

「俺が連れてってやる! だから運転を変わってくれ!」

 その言葉に神楽は驚いた表情をすると、土方の顔を見つめた。

「私が止まり方を知ってると思ってんのか!?」

「知らねェのに運転してたのかよ! つか、テメェ免許無えだろ! 真ん中のペダルを踏め!」

 そこでようやくパトカーは停車すると、土方の顔にも安堵の表情が見られた。しかし、すぐさま運転席の神楽が助手席へと移って来て、土方は車外へと放り出された。

「早く車出せヨ! ゴルァ!」

「テメェ……後で覚えてろ」

 土方は運転席へようやく戻って来るとハンドルを握った。正直、このまま業務執行妨害の現行犯で神楽を屯所まで連れて行っても良いのだが――そんな事を考えていると、こめかみに冷たい金属製の何かが触れた。そして、銃のハンマーコック音のようなカチャっと言う嫌な音が耳につく。一体何かと隣を見れば、神楽が土方へと傘型の銃を突きつけていたのだ。

「その綺麗な顔を吹き飛ばされたく無ければ、大人しく言うことを聞くアルナ」

 一体なんの真似なのか。いや、確かこれは二日前に放映されたスパイ映画に出てきたセリフだった。土方は神楽を鼻で笑った。

「何がおかしいネ! まぁ、いいアル。とりあえず、ターミナルに急げヨ! アイツが――あの男が出国してしまうアル!」

 その神楽の言葉に追っているものの正体を何と無く掴んだ土方は、アクセル全開でターミナルを目指したのだった。

 

 神楽のせいでボディーをボコボコに凹ませたパトカーは、猛スピードで街を駆け抜けていた。出国しようとしているある人物を目指して。

「それで、奴が何をした?」

 土方は神楽が誰を何の目的で追っているのか、自分には知る権利があると思っていた。それには神楽も素直に応じると、土方へ傘の尖端を向けるのをやめて答えた。

「いつも行ってる駄菓子屋の婆さんが、金をふんだくられたアル」

「金?」

 眉間にシワを寄せた土方はチッと舌打ちをした。神楽が初めからそう言ってくれていれば、もっと早くに対応が出来たからだ。

「婆さんが孫の為にコツコツ貯めていた金を10倍に増やすとか上手いこと言って、無理やりにかっさらって行ったアル」

 神楽の話によれば、駄菓子屋の女主人が男に騙されて小判を取り上げられたようなのだ。それもありったけの小判を全て。その瞬間をたまたま酢こんぶを買いに来た神楽が目撃したのだった。

「詐欺どころか強盗か」

 とんだ凶悪犯を神楽が一人で追っている事を知った土方は、ギアを入れ替えると更に車を加速させた。

「ああああ! 居たアル! 見つけたネ!」

 神楽は突然叫ぶと、右斜め前方を指差した。見ればタクシーから降りた男が大きな風呂敷包みを抱えて、喫茶店へ入って行こうとしていた。それを見逃さなかった土方は、パトカーを猛スピードのまま喫茶店へ向かわせると急停車をした。

「あの野郎、仲間と落ち合う気アルナ! 行くぞ! ニコチンマヨラー!」

「もう少しマシな呼び名はねェのかッ!」

 パトカーから飛び降りた神楽に続いて土方も降りると、いつもの癖で煙草を吸おうとした。しかし、最後の一本を神楽が落ちて来た時に一緒に落として、無駄にしてしまった事を思い出した。土方はポケットに手を突っ込んで出て来た煙草の箱を握り潰すと、車内へと投げ込んだ。

「煙草の恨みほど恐ろしいもんはねェんだよ。それを俺がたっぷりと教え込んでやらァ」

 土方を包む感情は、罪を犯した者への怒りと言うよりは、煙草が買えなかった恨みであった。

 こめかみに青筋を浮かべ、苛立ちを隠し切れない土方は腰の刀を抜くと、神楽と二人で喫茶店へ踏み込んだのだった。

 

 瞳孔の開いた目で抜き身の刀を握る鬼と、番傘を肩に担いだチャイナ娘。そんな二人が入口の戸を勢い良く開けると、狭い店内は一瞬にして静かになった。

「ここに風呂敷包みを持った男が来なかったか?」

 土方がカウンターの中にいるエプロン姿の老人に刀を突きつけると、老人は黙ったまま人差し指を天井へと向けた。

「二階アルカ!」

 そう言った神楽が同じように天井に向かって傘の尖端を向けようとしたので、土方は慌てて刀を鞘に収めると神楽の襟首を捕まえた。

「テメェは総悟かッ!」

 さすがに関係ない人間は巻き込めないと、土方は神楽を抱きかかえ、そのまま二階へと続く階段を駆け上がった。

 相手は警察……それも真選組の鬼の副長に尾行されていたとは、思いもしていないことだろう。きっと今頃、小判の枚数でも数えようとほくそ笑んでいるに違いない。そんな現場に踏み込む事を、土方はどこか愉快に思っていた。

「真選組だ! 動くなッ!」

 二階を上がりきった先には神楽の読み通り、風呂敷包みを囲む男が三人もいた。その内の一人に神楽は傘を向けると土方に言った。

「こいつが犯人アル!」

 そこでようやく事態を飲み込んだのか、傘で差された男は顔色を変えると顔の前で両手を激しく振った。

「ま、まままま待て! やめてくれ! 小判ならこの通り返すから!」

 そう言って男は風呂敷包みをこちらへ差し出すと、ゆっくりと後退りをした。背後には窓が一つ。残りの男二人の動きを見るに――逃げ出すのは明白であった。

 土方は抱えている神楽を見下ろすと、神楽も土方を見ていた。

「どうする? テメェ上手くやれんのか?」

「私を誰だと思ってるネ? テクニシャンの神楽とは私の事ネ!」

 聞いたことねーよと思いながらも、その答えを聞いて土方は決心した。もうここでなら暴れさせてやっても良いだろうと。

「なら、やっちまえ!」

 そう言って土方は神楽を男目掛けて投げつけると、神楽は素手で殴りに掛かった。それに驚いた男達は風呂敷包みを土方にぶん投げると、小判が宙を舞って辺り一面に散らばった。

「誰が投げて良いって言ったネ!」

 男を殴りながらそう叫んだ神楽は、一体どっちに言っているのか。それが分からなかった土方は神楽には答えずに、自分の仕事を全うした。既に床で伸びている残りの二人に手錠をかけると、自分のケータイを取り出して応援を要請したのだった。

 それにしても、ひと殴りで簡単に大人の男を沈めてしまう少女。神楽が男であれば、真選組に欲しいとすら思うほどであった。

「もう良いだろ? それ以上はやめとけ。奴らも俺の煙草の恨みは充分思い知った筈だ」

 すると、神楽はこちらを振り返り見て変な顔をした。

「別にお前のことなんて知らんアル。これはいつも銀ちゃんに安月給でこき使われる私の恨みネ」

「なら、尚のことヤメろ!」

 そこでようやく神楽は顔を腫らしている男を放すと、拳をおさめた。そしてその場にしゃがみ込むと、床に散らばる小判を手に取った。それは思ったよりも金ピカに光っていて……

「えっ?」

 小さく驚いた神楽はしゃがんだまま土方を見上げると、瞬きを数回繰り返した。それに片眉を釣り上げた土方は神楽の横にしゃがみ込むと、同じように落ちている小判を手に取った。

「なんだコレ? 軽いな」

「しかも銀ちゃんと同じ匂いがするアル。オリャ!」

 神楽は手にしていた小判をいとも簡単に折ってしまうと、千切れた金色の包み紙が床に落ちた。そこで姿を表したのは――茶色く甘い匂いを放つお菓子のチョコレートであったのだ。

 詐欺師が強奪した小判。それはホンモノとよく似形の小判型チョコレートだった。しかし、その金額は雲泥の差だ。こちらは一枚十円という、随分と安いものであった。

 土方は床にどっかり座ってしまうと頭を項垂れた。何だか急に、とてつもない疲労感に襲われたのだ。

 煙草を諦め、神楽の暴走ドライブに付き合い、そしてようやく犯人を検挙したのだが、取り返した小判はお菓子であって、どこか拍子抜けの結果となった。

 土方は隣でモグモグと口を動かしてる神楽を、呆れ顔で見下ろした。

「テメェは知ってたのか?」

「何が盗まれたかって事は、そんなに重要じゃないダロ? 罪に違いなんてないアル」

 確かにそう言われればそうなのだが。

 土方はハァと息を吐くと、神楽と同じように自分も小判型チョコレートを口に運んだ。

「甘ェ……」

 そんな事は当たり前なのだが、それがどこかおかしく感じた。

 窓から見える空はとても穏やかで、ゆっくりと雲が流れている。そんなものを眺めながら、少女と並んでチョコレートなんてものを食べているのだ。なのに、目線を下ろせば床には失神した男共が転がっている。甘いんだか苦いんだか、何ともよく分からない状況であった。

 煙草が吸いてェ。

 そう思ってポケットへ手を突っ込んだが、なくなった事をまたしてもすっかりと忘れていた。

 隣を見れば、何枚目かの小判を嬉しそうに食べる神楽がいた。ニコニコとしていて本当に腹立たしい。

「美味いか? そうだろうな。労働の後の一服は最高だろ? でも、俺は煙草が無えんだよ。誰かが空から降って来たせいで買いそびれたからなあッ!」

「ハイハイ分かったアル。じゃあこの小判で買って来てやるネ」

「そうじゃねェだろッッ!!」

 そんなツッコミにケラケラ笑う少女を見ながら、土方も思わず軽く口角を上げた。

 気分は……まァ悪くはない。神楽の無邪気な笑い声に、土方は少しだけ煙草の事を忘れるのだった。

 

2014/06/27