愛スルヲ不許/銀→←神(→オリキャラ)+沖※2年後

 

 万事屋から通りを一本挟んだところにある一軒の飲み屋。そのカウンターで肩を並べているのは坂田銀時と星海坊主こと神晃であった。銀時としては急の訪問に少々予定を狂わされたとあまり乗り気ではなかったが、星海坊主本人はいつになく上機嫌であった。

「なんですかね、お父さん。急に飲みに誘うなんて……まぁ、おおかた神楽のことなんだろうけど」

 すると星海坊主はグラスに口をつけたままニヤっと歯を見せて笑った。そして、一気に酒を呷るとカウンターに重々しくグラスを置いた。その音がやけに耳に残り、銀時は意味もなく首を振ってみせた。

「お前に『お父さん』って呼ばれるのも、そう悪くねェものだな」

 そんな言葉を銀時は妙に落ち着いた気分で聞いていると、もう何年も会っていないであろう神晃の息子のことを思い浮かべた。家庭を顧みない男でも、多少は寂しいのだろうかと。

「でも、娘に呼ばれる『お父さん』に勝るものは無えんだろ?」

「それは違いねぇな」

 銀時の言葉に星海坊主は軽く笑うと、突然静かにこう切り出した。

「お前、神楽……どうだ?」

「どうって? いやぁ、あいつはよく食うし、よく怒るし……」

 赤ら顔の銀時は神楽の姿を思い浮かべて喋った。だが、どれもこれも最近の神楽ではなく数年前の神楽のことだ。今、万事屋にいる神楽はそれとは少し違っていた。髪も背も伸びた。そして、会話が少し減って――――随分と大人に成長していたのだ。

「どうって聞くほどの事はなんもねーよ」

「そうじゃねェ」

 星海坊主のやけに血走った目がこちらを向いた。それは力強く、獣のようであり、しかしどこか慈愛深さを感じる。つまり『親父』という男のそれであった。

「なんだよ、友人関係とかそっち系?」

「だから、そうじゃねぇって言ってんだろ」

 星海坊主の言葉の意味をよく理解できない銀時は癖の強い頭を掻くと、串に刺さっている焼き鳥を抜き取りながら言った。

「なんだよ、ハッキリ言ってくれ」

 この言葉を言わなければ、少しは未来も違ったのかもしれない。後から銀時はそう思った。そう思うほどの言葉が星海坊主から紡がれたのだ。

「神楽を嫁にどうだって言ってんだよ」

 ゆっくりと瞬きをして、そしてもう一度だけ口にした。

「だから、ハッキリと……」

「バカ野郎! これだけハッキリ言ってんのに聞こえねえのか、このハゲ!」

 ハゲにハゲと言われるほどハゲてもいないし、そもそもハゲが人様に傷つける目的でハゲと言う言葉を使用すること自体が……などと色々と考えたが、今考えるべきはそこではないと銀時は焼き鳥の串を皿に置いた。

「い、いや……お父さん、仰ってることの意味が……」

「俺だって気が触れてんのは分かってんだハゲ! でもな、テメーの覚悟ってもんを聞いておきたかったんだ! 神楽ちゃんのお父さんとしてな!」

 星海坊主は言った。自分は覚悟もなく家庭を持ったと。そして今、その責任を取らなければならないのだと。

「俺は家庭人間にはなれなかった。だから、せめて娘には温かい家庭ってもんを知って欲しい。なぁ銀時くん、これは俺のエゴか?」

 銀時はその質問に答えることが出来なかった。銀時もまた温かい家庭を知らずに育ったのだ。そんな自分が誰かを娶り、家庭を築けるなどと到底思えなかった。

「その相手がなんで俺なんだよ。早く結婚させたいなら見合いでも何でもあるだろう?」

「分かってねぇな……それじゃあ意味が無えんだよ」

 星海坊主は一度言葉を止めると、少し間を置いて独り言のように喋り始めた。

「神楽を受け入れた時点でテメーの覚悟があったかどうか、それについて今は聞かねえ。でもな、二度目に神楽を受け入れた時、その時は少しくらい考えたんじゃねえのか? まぁ、ムダ毛だらけのてめぇの頭じゃ無理だろうが……」

 覚悟という言葉の持つ意味。それが分からない程、頭の中はムダ毛だらけではなかった。銀時も時折考えたのだ。このまま神楽とどこまで居られるのか、そして送り出す未来が待っている事も。だが、どちらにも銀時は受動的で、流されるがままであった。万事屋に居たいのなら居ればいい、出て行きたいのなら…………しかし神楽が戸に立つ後ろ姿を思い浮かべると、喉が絞られるような窮屈さを感じた。

「返事はすぐに……とは言わねえ。俺の方の覚悟もまだだからな」

「返事って言ってもな、だいたい神楽の思いとか色々あんだろ」

 すると星海坊主は席を立ちながら頭を軽く振った。

「こっちの方は俺の勝ちだな。神楽を見てると分かるだろ? わかんねぇのか? 本当に」

 考えたこともない。それが正直なところであった。神楽を嫁になどと、そんなことは微塵も……。

「ただ決めるなら早いに越したことねえがな……」

「お、おい、待てよ!」

 そう言うと星海坊主は飲み屋の戸を開けて出て行ったしまった。未会計のまま銀時を置いて。

「あのクソハゲッ! 散々飲み散らかして何勝手に帰ってんだよ! 散らかすのはてめぇの頭だけにしろハゲッ!」

 閉まった戸に向かって喚いてみたが、どうもいつものようにはいかない。ぎこちないのだ。それは星海坊主が残していった一万円札に気付いたからではない、神楽を嫁にと言う言葉が平常を壊したのだ。

 

 あの日以降も銀時の生活は変わらずに続いていた。神楽も何も知らないらしく特に変わった様子はない。会話もなく、ただ同じ空間にいて同じ飯を食べる。仕事の時もそんなもので、仲が悪いわけでもなく、特別に仲が良いわけでもない。神楽が昔のように懐いてくることはなくなっていたのだ。だが、銀時はそれも成長の内だとあまり気にしていなかった。周囲も同じらしく、神楽のこの様子に何か口を出すものはいなかった。

「銀ちゃん、ちょっと話があるネ」

 そんな神楽がどれくらいか振りに銀時に相談を持ちかけた。これには驚きもしたが、ヘンに落ち着きをなくせば怪しまれると、いつも通りに窓際の椅子に座り、漫画雑誌を読みながら話を聞いた。

「なんだよ、小遣いならやらねーからな」

 すると神楽は銀時の前に仁王立ちし、漫画雑誌を取り上げてしまった。

「銀ちゃんにそういう事は期待してないから安心しろヨ」

 そう言ってこちらを見下ろす顔はやや赤みを帯びており、その様子に銀時は緊張した。

 一体、何を話すつもりだよ……。

 嫁にどうだ、と言われた日のことを思い出す。神楽を女として意識した事など一度もない。どんなに成長したとは言え、銀時の中ではいつまでも無邪気で幼い少女のままなのだ。だが、どうしたのか――――今、目の前でこちらをなんとも言えない赤ら顔で見下ろす神楽は、化粧をして着飾ったどこの店の女よりも美しく見えた。興奮している自分に気付く。やけに熱いのだ。

「あ? なんだよ、さっさと言え。それでさっさとどこにでも行ってくれ」

「意味分かんねえアル」

 神楽は不満そうな顔をすると胸の前で両腕を組んだ。そのせいで神楽の発育の良い胸が盛り上がり、銀時の視線を奪い去った。

「あっ、そう……ふぅん……いや、まぁ良いんだけど、なんでも」

「なぁ、銀ちゃん。もし、銀ちゃんの友達が悪いことしようとしてたら……どうするアルカ?」

 銀時は神楽の育った体から目が離せず、だがあんまり大っぴらに見るものでもないかとうつむき加減で答えた。

「俺ならアレだな『お前さん、そう言うことは良くないよ。俺が後は片付けてやるから、今から言う口座に三十万円ほど……』

 その辺りで神楽の長い足が蹴りこまれ、レースの淡い色の下着が見えた。床にひっくり返った銀時は神楽に胸ぐらを掴まれながら揺さぶられると頭突きを――――――銀時は目を閉じた。

「やーめーてー! ごめんんッッ! ごめんなさいッッ!」

 バカみたいに謝り続ける銀時はいつまでも衝撃の受けない頭にゆっくりと目を開けた。

「んー……ふぅ……くぅ…………」

 そこに居たのは鼻先すれすれの距離で赤い顔をしている神楽だった。白い肌のせいでその赤みは誰から見ても明らかであり、その理由が銀時にあることもまた明らかであった。

「……なんだよ、腹でも痛いのか?」

「どぉぉおりゃぁあああ!」

 結局銀時は投げ飛ばされてしまうと、去っていった神楽の後ろ姿を逆さで眺めていた。

 あれって……つまり…………。

 この自分に惚れているのかどうかは分からないが、少なくともあちらは銀時を男として十分に意識しているらしい。つい昔の癖で頭突きをしようと思ったのだろうが、その顔の近さに照れてしまったのだろう。銀時は神楽の心の成長までをも感じると急にこちらも意識してしまった。

 でも、だからって嫁には……。

 嫁にもらうかどうかは別の話だ。いくら神楽が女性に成長しつつあっても、それとこれと話は別なのだ。だが、まだ脳裏から消えない。神楽の早熟な体つき……性的な目で見てはいけないと分かっているのだが、体はそう上手く制御出来ない。男として興奮してしまったのだ。あれが同じ空間に存在すると思うと……銀時は生唾を飲んだ。

 変わったのか……俺も、神楽も……。

 そんなことを心で呟いた銀時はようやく体を起こすのだった。

 

 意識してしまってからと言うもの、少しの言動が難しく思える。

「神楽、そこの新聞取って……あっ、やっぱ良いわ」

 今までなら神楽との何気ないやり取りで済ませられる事も、今では『もし手が触れてしまったら』とか、『また顔を真っ赤にされてしまったら』などと気になって身動きが取れなくなる。神楽も同じことを思っているのか以前よりも会話は減り、こちらを見ることも少なくなった。

「銀さん、神楽ちゃんと何かあったんですか?」

 さすがの新八も異変に気付いたようだが、銀時はいつもこう言って済ませた。

「あ? 思春期特有のアレじゃねぇーの?」

 それで新八も納得するのだ。反抗期、かと。

 だが、上手く避けられるのも少しの間だけで、そう誤魔化しも長くは続かない。ある時、トイレから戻る銀時と台所に用がある神楽が狭い廊下で対峙したのだ。時刻は午後九時を過ぎ、新八も帰っていない。万事屋にはタイミング悪く、たったの二人と一匹の状況だ。

 何も言わずに無視して通り過ぎても良いのだが、それだと相手に心証悪く映るかもしれない。銀時は何かくだらない冗談でも言いながら通り過ぎようと思った。頭に鼻くそをつけてやるのも良いかもしれない。間違ったコミュニケーションの図り方だが、銀時にはこんなやり方しか分からなかった。

 何気ない雰囲気を出しつつ、神楽の隣を通り抜ける。イメージはできている。あとは頭に鼻くそを――――――そう思っていると急に神楽が跳ね上がったのだ。

「ぎぃやぁあああ! ご、ゴキブリィ!」

 叫んだ神楽が銀時にしがみついたのだ。それに驚いた銀時は神楽を壁に押し付けて、壁ドォォオンとなってしまった。不可抗力だ。どれくらいか振りに近付いた二人の顔。だが、神楽は顔を真っ青にし、血の気がない。銀時は横目でゴキブリを確認すると、なんと律儀に玄関の隙間から外へ出て行ったのだ。

「へぇ、あいつらにもそういう常識があるもんなの?」

 しかし、神楽はまだ何も言えず、脂汗を掻いている。銀時はなんとなく懐かしい気持ちになった。昔はこうしてよく神楽が泣きついてきたものだと。柔らかく笑った銀時は神楽の頭に手を置くと、軽くポンポンと叩いた。

「泣くことなぇだろ? ほら、もう居ねえって」

「ほ、本当アルカ?」

 べそをかいた神楽は伏せ目がちに僅かに頬を上気させた。その表情は子供のそれとは違い、涙に濡れた長いまつ毛が銀時の息を詰まらせた。そんな神楽を見る目はきっとただの男になっているだろう。妙な恥ずかしさが生まれた。

「ぎん、ちゃん?」

 そう言ってこちらを見た神楽と視線が繋がり、息苦しさを覚える。こういう時はどうすれば良いのか体は知っていて……雰囲気も悪くない。神楽の目にもどこか期待するような光が見られる。しかし、神楽は目を閉じてしまうと赤い顔でジッと動かなくなった。

 今、自分の体が……そして神楽が何を望んでいるのか、それが分からないわけではない。だが、勢いだけで物事を進めるには、残念だが大人になり過ぎていたのだ。神楽の望みを叶えてやれる無責任さが俺にはたり無いと、疼く心に蓋をして銀時は体を離してしまった。

「……今年は暖冬らしいから、まだ活動期なのかもしれねェな」

 この言葉を神楽を見ずに言った意味。そして、神楽が何も言わずに物置へと引っ込んだ意味。全部ンなもんは分かってんだ、と銀時は頭を掻いた。これで良かったのだと、これからも二人はずっとこのままなのだと、自分に言い聞かせた。

 

 その日の夜。銀時は眠る事ができなかった。考えてしまうのだ。神楽のことを。踏み出さなかった銀時にきっと酷く傷ついたのだろう。あれから神楽は物置に閉じこもり出てこなかった。それは神楽が銀時に惚れていることを示していた。罪悪感はある。可哀想だとも思う。それでも神楽の気持ちを受取ることは出来なかった。星海坊主にも嫁にどうだと言われたが、はっきり言って……今のままの関係がラクなのだ。それこそ無責任だと責められそうだが、厳しいことを言えば誰も惚れてくれと頼んだ覚えはない。神楽が勝手に惚れたのだ。こんなにいい加減な自分に。

「あー……寝れねぇ」

 寝返りを打ってみるも、神楽のことが頭から抜けることはない。それもそのはずで、誰よりも大切に見守ってきた女なのだ。そう簡単に染み込んだこの身体から流れ出ることはないのだ。それだけに矛盾する思いに胸が痛む。

 神楽の望みなら何だって叶えてやりたい。しかし、それがいい加減な男相手の恋愛ならば首を縦に振ることは出来ないのだ。可哀想だと同情する一方で、遠ざけたい。二律背反である。

 自分が家庭的な人間であれば、もしかすると星海坊主の言葉を飲み込んだのかもしれないが、銀時は自分と言う男が家庭を築くに相応しい男だとは思えなかった。それが分かっていながら神楽を娶ることなど出来ない。たとえそれが星海坊主と神楽本人の望みであったとしてもだ。

 そうやって色々と考えを巡らせているうちに銀時は眠りに落ちた。明日もこれからと何も変わらない事を願って。

 

 

 昼間からパチンコへ行って、たまに仕事をして、夜は飲んで帰って。しばらく銀時はそんな生活を繰り返していた。神楽のほうは何を想っているのか、その心を垣間見ることは出来ないが、それでも銀時の元から離れることはしなかった。時折、何か言いたげにこちらを見てくるが、次の瞬間には目を逸し、何でも無いと言わんばかりの態度を取る。深追いはしない。何だよ、と声を掛ければ全てが終わってしまうような気がするから。銀時は神楽のそんな行動に気を取られながらも黙って過ごしていた。いつか俺のことを諦めてくれるだろう。そんなことを思って。まさか揺れ動く神楽の瞳が『助けて』と訴えかけているなど何も知らずに。

 

 ある日のことだった。神楽がちょっと出てくると言って、万事屋を飛び出した。だが、その数秒後には雲行きが怪しくなり、今にも雨が降りそうな空模様へと変化した。玄関を見れば神楽の傘が立てかけたままだ。銀時は仕方ねえなと頭を掻くと、風邪でも引かれちゃ困ると言って傘を持って万事屋を出た。行き先はたぶん駄菓子屋か公園だろう。それだけは昔と変わっていないのだ。もう少し大人な遊びでもしているのかと思ったが、案外そこはまだまだ幼いようであった。しかし、駄菓子屋に神楽の姿はなく、公園にもいなかった。そう言っているそばから地面にポツポツと雨雫が落ち、濃い色へと変わっていった。

「あれ? あいつどこ行ったの?」

 神楽の傘を差した銀時は仕方がなく万事屋へ戻ろうとして――――――お妙とすれ違った。

「あっ、銀さん……」

「なんだよ。ひとの顔を見るなり塞ぎ込んで」

 お妙の動揺したような戸惑った表情。そして、どこか銀時を憐れむような目つき。あまり良い気はしなかった。

「それより、神楽見なかったか? あいつ、傘も持たずに飛び出して」

 するとお妙の瞳が更に激しく揺れ、明らかに様子がおかしかった。

「おいおいおい、なんだよ? どうした?」

「いえ、別に……神楽ちゃんなら、公園じゃないんですか?」

 にこやかな笑みがこの時ばかりは嘘臭く思えた。何かを隠しているような。誤魔化すようなハッタリ。そんな張りぼての笑顔に銀時も張りぼての平常心で対抗すると、いつもみたいに何でもない顔をした。

「あっ、公園な。まだ探してなかったわ」

 そう言ってお妙を通り過ぎ、今さっき居た公園とは真逆へ向かおうとした。

「公園はそっちじゃありませんよ……銀さん」

 そう言ってお妙が銀時の着物の袖を掴んだ。銀時だってそれは分かっているのだ。本当は公園ではなく、今から向かう先に神楽が居ることだって全て。お妙は何故こうも行かせたくないのだろうか。そして、憐れむような目でこちらを見るのか。

 別に神楽とは何でもねーんだけどな……。

 そう思っているのだが、傘の隙間から覗く銀時の目は水たまりに映る悲しげな男を見つめていた。

「お妙、神楽に何か言われたのか?」

「いえ、そうじゃなくて……」

「行かせてくれ。傘届けねーと、あいつ風邪引いちまうだろ?」

 もうそれ以上お妙が銀時を引き留めることはなかった。お妙には悪いが、今は無性に神楽がどこに居るのか、それを知っておきたかったのだ。いち保護者として。

 銀時は神楽の傘を差したまま通りを真っ直ぐに歩いた。少し深めに被った傘に、辺りの様子はあまり見えない。道行く者の草履や靴が目に入るだけだ。脇道に逸れる者、真っ直ぐに歩く者、銀時を追い越していく者。その中で脇道に入ってすぐの軒先に立っている一組の男女が目に入った。一人は黒服を身につけており、ズボンの裾からブーツが見えていた。その隣に立つのは女で――――――銀時は顔を上げなかった。チャイナドレスを身に着けていると知ったからだ。ツーピースの真っ赤なチャイナドレス。あんなド派手な衣装を着ている女は江戸でも二人と居ないだろう。その女がふいにつま先立ちをして……そして男との距離が近付く。思わず銀時の奥歯に力が加わった。

 何やってんの、あいつ……。

 だが、それを咎める権利ははない。俺を諦めろと願ったのは他でもない、銀時自身なのだ。それなのにこの胸を押しつぶさんとする想いは何か。銀時は結局、二人の顔を見る事が出来ずに立ち去ると、一人で万事屋へ戻るのだった。

 

 あの後、神楽に確かめはしなかった。何をしていたと尋ねることも、あれが誰であったのかも。ただ男が着ていた黒服は真選組の制服で、しかもそれは隊長格のものであった。なんとなく嫌な汗が額に滲む。だが、背格好から言っても近藤や土方ではなかった。すると残す所……神楽との接点と言う意味では沖田総悟が考えられた。だが、その予想もたまたま出会った沖田によって打ち消されるのだった。

「旦那、いい話がありましてねィ。いっぱい食わされませんか?」

 そう言って団子屋の店先でみたらし団子を頬張っている銀時の元へ沖田が現れた。

「いっぱい食わされてやるから、この団子の代金払ってくれねえ?」

 沖田の顔を見れば神楽と何もない事は明白だった。それにこの沖田と神楽に恋や愛が芽生えるなど、どうも考えられないのだ。銀時は縁台の端に移動すると沖田の座るスペースを作ってやった。

「で、そのいい話ってのはなんだよ。稼げる話なんだろうな?」

 すると沖田は腰を掛け、銀時の皿の上にある団子を頬張りながら頷いた。

「あぁ、旦那にとって悪い話じゃねえと思いますがねィ」

 しかし沖田は続けて言った。

「ここじゃ話せねーんで、そうだなァ…………あそこでどうでさァ」

 沖田が指差したのはここからすぐの個室ビデオ店であった。

「狭ェだろ!」

 とは言いつつも、銀時は何か予感が働いて沖田について行くのだった。

 

 リクライニングの椅子に座った銀時は、テーブルの上に行儀悪く座る沖田を見上げていた。

「おいおいおい、大丈夫か? 俺ら絶対変な目で見られてただろ!」

 しかし、沖田はフーセンガムを噛みながらなんて事無い顔をしていた。

「安心してくだせィ、ここはこういう専用の店なんで」

「いやいやいや、むしろ安心出来ねェよ!」

「そうじゃねーや」

 沖田は突然テーブルの下に潜り込むと銀時の股ぐらで……姿が見えなくなった。何事かと覗けばそこには小さな引き戸があり、別の部屋へと繋がっているようだった。どうやらここは沖田御用達の隠れ家らしい。銀時もあとに続くと狭い戸を通り、隣の部屋へと抜けた。

「なんでこんなもんが必要なんだよ」

「まぁ、趣味も兼ねてってことでさァ」

 抜け出た部屋は四畳半程の広さがあった。窓もなく、閉塞感が酷い。何よりもどこぞのSとかMとかのプレイルームのように赤と黒で溢れていた。

「で、ここまで用心して話す儲け話ってなんだよ。これで駄菓子の当たりクジを見分ける方法とかだったらぶっ飛ばすから」

「その話ですがねィ…………」

 沖田は部屋に不釣合いなでっかい黒革のソファーに腰掛けると、足を組んで銀時を見上げた。

「明後日……チャイナ娘を家から出さねーでもらいたい」

 銀時の眉間にシワが寄った。神楽の名前が出てくるとは思わなかったのだ。

「なんだよ、それ」

「そのまんまでさァ。あいつを家から出さねーだけで旦那には……そうだな……二十万円ほどは渡せる計算でィ」

 神楽を家から出さないだけで二十万円も貰える仕事。沖田がいっぱい食わされないかと言ったが、どうやら真っ当な仕事ではなさそうだった。

「テメーらの仕事と神楽になんの関係があるって? 言えねえのか?」

 厳しい顔で沖田を見下ろすも沖田の表情が崩れることはなく、相変わらずに飄々としていた。

「ちょっと旦那、話は逸れますが、俺の愚痴を聞いてくれやせんか?」

 掴みどころのない男だとは思っているが、こうも沖田の考えが分からないのは神楽の事で頭がいっぱいだからなのだろうか。銀時は面倒臭そうに頭を掻きむしると、好きにしろと話を聞いてやることにした。

「実は近藤さんには言ってねえ話ですが、隊を抜けようとしている野郎がいましてね」

 銀時は真選組の鉄の掟・局中法度を思い出していた。『局ヲ脱スルヲ不許』つまり抜ける時は死ぬ時なのだ。

「ゴリラに言えねえって事は、言えば『殺すな』って言われる相手つうことか」

「察しが良いんで助かりまさァ、つまりそういう事だ。でも俺も……土方さんも、粛清以外に術はないと……」

「そうかい。で、それのどこが愚痴なんだよ」

 真選組の内部のことなど正直、銀時には関係がなかった。斬ったり斬られたりと酔狂な連中だが、銀時がとやかく言える立場ではないのだ。

「まぁ、そう焦らねえでもらいたい。本題はここからだ。その野郎はただ組を抜けるだけじゃ飽きたらず、自分の隊の連中を引き連れて抜けるらしい。倒幕思想を持ってな」

 そこまで聞いて銀時は沖田をはっきりと目に映した。

「つまり抜けるのは隊長と言うことか……」

 沖田がニヤリと不気味に笑った。それはさっさと男を斬り殺したく疼いている表情なのか、それとも銀時をその言葉に導けたことへの悦びか……

 銀時は生唾を呑み込んだ。嫌な予感というものだけはいつも当たるのだ。先日の雨の日に見た光景が頭に流れる。隊長格の男と寄り添っていた神楽――――――沖田が何故、神楽を家から出すなと頼みに来たのかを銀時はようやく知ったのだ。

「要は、神楽が居ると邪魔されるってことだな。粛清が……」

「あれ? 旦那、もう分かっちまいました?」

 沖田は茶化すように言ったが、銀時には笑えなかった。神楽が惚れている男が殺される。その事実とどう向き合うべきか、明後日までに答えは出せそうにないのだ。

「殺すことはねーんじゃねえの?」

 真面目な顔で言ったが、沖田も次の瞬間には同じような表情をしていた。

「八番隊隊長・藤堂……あいつは俺らを、近藤さんを裏切った。生かしておく理由は無え」

 しかし、その目には怒りとも失望とも違う感情が表れているような気がした。だが、この時の銀時にはそれが何であるのか理解することが出来なかった。

「まぁ、旦那が協力してくれなくてもこれは決まった事だ。今更、もう止める事は出来ねえ。止めるヤツがいるなら、それが仲間でも女でも子供でも斬る、それだけでさァ」

 銀時はその後、沖田と別れたが、どうやって家に戻ったのか覚えていなかった。

 

 その晩、銀時は珍しく飲みにも行かず、神楽と二人で居間に居た。神楽はソファーに座り楽しそうにテレビを観ていて、銀時は……そんな神楽を向かいのソファーで見つめていた。

 明後日にはこの笑顔が見れなくなるのかもしれない。惚れている男が殺されるという事実を神楽が知らずに一生を過ごしてくれたら……そんな事ばかり考えていた。だが、きっとその願いは叶わない。明後日には届くはずだ。局中法度により粛清されたと。どうすれば神楽を悲しませずに済むだろうか。銀時の頭にはそれしかなかった。

「なぁ、神楽」

「なにアルカ?」

 神楽はこちらを見ずに答えた。

「明日からちょっと……まァその……旅行しねぇ?」

 さすがにこれには驚いたのか神楽の顔がこちらを向いた。

「そんなお金どこにアルネ?」

「いや、それはまぁどうにかするけど……」

 神楽の顔がまたテレビへと向いた。

「借金してまで行くことないアル」

 さすがにハイ、行きますとはならねえかと銀時は溜息をついた。

「なら、安い宿屋ならどうだよ? それなら問題ねえだろ?」

「行かないアル……新八とか姐御と行ったらいいネ」

 つれない態度の神楽は全く興味がないと言ったようにこちらを向かない。心なしか言い方もぶっきらぼうで投げやりだ。

「あっ、そういやお前、前に温泉行きたいって言ってただろ! バスツアーとかで……」

 そこまで言って神楽がテレビを消した。そして、立ち上がると居間から廊下へ出て行こうとした。

「ちょ、どこ行くんだよ!」

「もう寝るアル」

 いつも神楽が寝床に入る時間より二時間も早い。その行動が銀時と一緒に居たくないと言っているようであった。だが、銀時も寝かせるわけにはいかないと立ち上がり神楽の肩を掴んだ。

「待てって、オイ」

 神楽は大人しく立ち止まると床を見つめていた。銀時はこうなったら正直に想いを話そうと、粛清のことは隠して自分の思っていることを包み隠さず話した。

「あの男はやめとけ……幸せにはなれねぇよ、絶対」

 どの口が言うのだろうかと思いながらも、今の銀時の情けないまでに正直な本心であった。藤堂だけは神楽を絶対に幸せに出来ないと伝えた。

 しばらくの間、沈黙が流れた。だが、神楽は立ち去ろうとはせず、銀時に背中を向け続けている。銀時は焦る気持ちもあったが、神楽が何かを話すまでじっと耐えた。

「……銀ちゃんには関係ないダロ」

 これは神楽があの男に惚れていると認めた瞬間だった。こうはっきり認められてしまうと、勝手だがひどく傷ついた。銀時はゆっくり大きく深呼吸すると神楽に尋ねた。

「心底惚れてんのか?」

 神楽が頷いた。それを見て銀時は明後日、絶対に神楽を家から出さないと誓った。どんな手段を使ってでも絶対に。

 

 残り一日を使って銀時は神楽が惚れた男・藤堂の話を聞いて回った。だが、残念なことに男としても筋の通った人間ではなかったようだ。他にも何人か神楽のように遊ぶ女が居たらしい。更に言えば品行もあまり良いとは言えず、刀の試し斬りに罪のない者が何人か殺されたという話も聞いた。その男が組を抜け、更に隊士も連れて行くとなっては沖田も黙って見過ごすことは出来なかったのだろう。しかし、話に寄れば近藤、土方、沖田と長い付き合いがあったらしく、それが近藤には話せない理由になっていたのだろうか。銀時は粛清を止めさせると言う考えには行き着かなかった。隊士を連れて抜けると言うことは、別の組織を作ると言うことである。そうなればどのみち、真選組に追われるのだ。もはや藤堂に穏やかな死は訪れない。来るのは裏切りものを討ち落とす三段突きだけであると。

 

 当日、沖田から午前八時に連絡があった。今から追い詰めると。その連絡を受けて銀時は神楽から目を離さずにただじっと見つめていた。今日は新八に頼んで二人だけにさせてもらったのだ。銀時は銀時の計画を実行する為に。どんな手段を用いてでも今日は……今日だけは神楽を外へ出さないと決めた。金の為ではない。神楽の為だと。

 だが、何も知らない神楽は昼前に定春を散歩へ連れて行こうと準備をしていた。短い丈のチャイナドレスを着て、生足を惜しげもなく晒す。ただの散歩にしては気合が入っているようにも見える。もしかすると散歩ついでに藤堂へ会いに行くつもりではないか。そう思わせるような雰囲気がある。銀時はソファーで横になり、何もない空間を見ていたのだが、準備が終わり居間へとやって来た神楽に隣に座るようにと言った。

「なにアルカ? 今から定春の散歩に行くから早くしろヨ」

 そんなことを言って面白くなさそうに座った神楽に銀時は真面目な顔で言った。まるで『ついでにいちご牛乳を買ってきてくれ』とでも言うように。

「結婚してくれ」

 神楽の目が大きく見開かれる。そして、瞬きを繰り返した。

「な、なに言ってんダヨ……」

「俺と結婚してくれ」

 銀時にはこれしかなかった。神楽の気持ちがもう自分へ向いていない事は分かっている。それでも僅かな希望だけで告白した。今、藤堂を諦めることが神楽に出来れば、明日の悲しみが少しは小さくなるかもしれないと―――――

「なんでそんな事言うアルカ……それも今更」

 愚かだとは分かっていた。幸せに出来る自信もない。今ですらこんなに傷つけている。それにも関わらず結婚してくれとは、随分と虫のいい話だろう。

「銀ちゃん、私のこと好きだったネ? じゃあ、なんで……なんで、あの時、追いかけてくれなかったんダヨ」

 あの時……廊下でアクシデントとは言え抱きしめてしまった時の話だろう。物置へ逃げ込む神楽を追い駆けていればこんな事にはならなかった。誰に何を言われても、結果うまく行かなかったとしても、『幸せにする』と言い切れていればこんな事にはならなかったのだ。

「今更、そんなこと言うナヨ!」

 叫ぶように神楽が言った。

「神楽、悪かった」

 そう言って抱きしめるも神楽は嫌だと体を捻った。だが、銀時も離すつもりはない。そうこうしている内に銀時は後ろに倒れ、上に被さるように倒れた神楽がこちらを見た。その瞬間、銀時の頬に生温い雫が落ち、肌を滑り落ちていった。

「なんで、今更言うアルカ……もう遅いアル!」

 そう言った神楽は銀時の胸を押して腹の上に体を起こすと、赤い目でこちらを見下ろした。こんな状況にも関わらず、その表情は妖しく、どこか官能的に映った。

「じゃあ、銀ちゃんは私と……チュウしたいって思うアルカ?」

 泣き顔で涙に濡れたまま神楽は言った。銀時はそんな神楽から目を逸らさずに答えた。

「ああ、してーよ。今すぐにでも」

 神楽の顔が僅かに歪んで……両手で顔を覆った。

「じゃあ、銀ちゃんは私の裸……見たいって……思うアルカ?」

 銀時はそれにも神楽を真っ直ぐ見つめながら答えた。

「見たい。それだけじゃねえ、触りたいし……」

 そこで少し躊躇った銀時は眉間にシワを寄せると小さく言った。

「抱きたい、お前を」

 嘘ではない。願望だけなら神楽を自分のものにして、この腕に抱いてしまいたいのだ。

「抱きたい? なんでヨ……なんで今言うアルカ……」

 神楽は顔を覆っていた手で銀時の胸を叩くと涙を堪えながら、震える口唇で力なく言ったのだった。

「初めては銀ちゃんって思ってた……だけど、銀ちゃんを早く忘れたくて……他の人に……あげちゃったネ」

 銀時は目を閉じた。神楽を追い詰めたのは意気地のなかった自分で、神楽を傷つけ、悲しませたのも不甲斐ない自分であると。こんな結果を招いてしまったことは銀時自身にも責任があると強く痛感した。

 顔へと雫が落ちてくる。鼻をすするような音も聞こえる。銀時はゆっくり目を開けるも、泣きじゃくる神楽に何も言葉をかけてやる事が出来なかった。その代わり体を起こすと神楽を抱きしめた。そして髪を撫でつけて、ただ泣き止むのを待った。

「返事は今度で良いけど、今日だけは……どこにも行くな」

 神楽と長い時間抱き合った。互いの温もりを肌で感じるだけの抱擁。今頃、藤堂がどこでどうなっているかなど銀時も、そして神楽も知らずにただ静かに抱き合っていた。だがそれも突如として鳴り響いた電話のベルにより終わりを迎えた。慌てて受話器を取った銀時は落ち着いた声で電話に出た。

「もしもし」

「終わった……花柳屋だ」

 沖田のやや掠れた声が聞こえてきて、そしてすぐに電話は切れた。どうやら藤堂の粛清が完了したらしい。もう神楽がこの家を飛び出して行ったとしても、藤堂と会うことはなくなった。もう二度と神楽と藤堂が抱き合うことはなくなったのだ。その事実に嫌になるほど安心している自分がいた。神楽の悲しみなど二の次だったのだろうか。銀時はこんなにも自分の心は薄汚れていたのかと情けなくなった。藤堂が消えても神楽が自分のものになるわけではない。それでも安心している気持ちに嘘はつけなかった。

「神楽、悪い。ちょっと出てくるわ」

 銀時は木刀を腰に提げると万事屋をふらりと出た。向かった先は吉原遊郭だ。沖田の発した『花柳屋』は吉原にある老舗の店であった。銀時は店の前に着くと沖田がこちらに背を向けて立っているのに気が付いた。その隊服は湿って見え、随分と血生臭い匂いを放っていた。

「俺ァきっと、チャイナ娘に殺される」

 銀時はいつまでもこちらを向かない沖田に目を細めた。

「そう簡単にテメーもくたばんねえだろ」

 すると肩を揺らして笑った沖田は立ち去る前にこう言った。

「あいつは……ここの女と結婚するつもりだったらしい。踏み込んだ時、指輪を渡している最中だった。今頃、二人仲良くやってるだろう……いい仕事をした俺に感謝して欲しいってもんでさァ」

 真相は分からないが、どこか沖田の優しさを感じた。神楽へのせめてもの罪滅ぼしなのかもしれない。

『あいつは碌でもない男だった』

それで少しは神楽の悲しみが減ればいい。沖田も銀時同様にそんなことを考えたのかもしれない。全て憶測だ。だが、 去っていく背中はどこか物悲しく見えた。

 かつての仲間を斬った男は消えるように吉原を後にした。

 

 

 

 神楽が愛する男の死を知ったのは翌日の朝のことだった。家を訪ねてきた友人により藤堂の死を知った神楽は玄関先で腰を抜かした。そして、ふらっと立ち上がると――――――居間のソファーに座っている銀時の元へと来た。

 銀時は静かに目を細めて神楽を見上げると、その生気のない瞳に震え上がりそうになった。壊れた水道のように神楽の目から涙が流れている。そして、見下ろす神楽の目はこう言っていた。

『銀ちゃんは知ってたアルカ?』

 銀時は息を呑んだ。沖田ではなく、この自分が殺されるかもしれないと。しかし、次の瞬間には腹の底から唸るような咆哮を上げた。

「お、沖田……沖田が……お、ぉぉおおおおおおお! ああああッッ!」

 神楽は壊れたように叫ぶとその勢いのまま飛び出して行こうとした。きっと報復するつもりだ。それだけはさせてなるものかと銀時は慌てて後を追うと、廊下で神楽を後ろから羽交い締めにした。

「どこ行くんだよ!」

「離せェェエエエ!」

 夜兎である神楽の力には敵いそうもない。だが、腕が千切れても、バラバラになってでも神楽を止めなければならない。それが銀時の使命である。

「どこ行くって聞いてんだよ! 答えろ神楽!」

 すると神楽の力が少し弱まり、その隙に銀時は神楽を床に引き倒した。

「あいつ、私のことを気に入らないから、だからこんな……殺して……」

 沖田が藤堂の話をした日、沖田の目に表れた色の意味が銀時は分からなかった。だが、今ならどんな感情を表していたのかよく分かるのだ。悲しみだ。初めて沖田が見せる悲しみであった。長年共に刀を振った男を斬り殺さなければならない悲しみだ。出来ることなら沖田も粛清したくなかったのだろう。だが、そう言えない程に組織は膨れ上がり、そして藤堂も増長していたのだ。

「お前、それ本気で言ってんのか?」

 銀時は静かに言った。

「じゃあ、なんで殺したアルカ? なんで、殺す……なんで……」

 神楽の悲しみも分かる。だが、銀時には沖田の悲しみもよく分かった。

「あいつらが、そんな私情で人を斬り殺す連中だって、お前は本当にそう思ってんのか?」

 今まで一体何を見てきたのか。銀時は説教など出来る立場ではないが沖田の名誉のためにも言わなければいけないと思っていた。

「あいつは、お前が嫌いだから仲間を斬るような男だって本気で思ってんのか?」

 神楽がそこで全く動かなくなると、銀時も腕の力を緩めた。そして冷たい廊下の床の上で二人は言葉なく、ただ横たわった。途端に静かになった室内は、雨の降る音だけが聞こえていて……そして思い出す。いつか神楽が言った言葉を。

『なぁ、銀ちゃん。もし、銀ちゃんの友達が悪いことしようとしてたら……どうするアルカ?』

 多分神楽は知っていたのだろう。藤堂が隊を抜けることを。そして、自分が連れて行ってはもらえないこと。他に女が居ることも全て。だが、それでも好きだったに違いない。初めのきっかけは銀時を忘れる為だったにせよ、本気で惚れていたのだろう。

 神楽を受け入れていれば、こうはならなかったのかも知れねえ……。

 そんな言葉を心で呟いたが、もう何を言っても取り返しがつかなかった。今はただ慰めてやろう。そう思うが、神楽が自分を受け入れるかは分からない。雨はまだ止みそうもなかった。

 

 どれくらいか時間が経って神楽が体を起こすと、続いて銀時も体を起こした。すると神楽がおもむろに服を脱ぎ始めたのだ。だが、その顔はまだ涙で濡れている。座ったまま服を脱いだ神楽は薄暗い廊下で下着一枚になった。白い肌が寒々しく映る。髪は乱れ、トレードマークのツインテールも解けてしまっている。銀時は何も言わずに神楽を見守った。これから神楽がする事に意見しないと決めたのだ。それがせめてもの銀時に出来る罪滅ぼしだった。神楽もそれを分かっているのか諌めるような目でこちらを見ていた。そして、銀時の正面にしゃがみ込むとそのまま体をこちらに倒し、しがみついた。冷えた頬が顔に触れる。

「銀ちゃん、このあいだ言ったアル。結婚してくれって」

「……ああ、言った」

 すると神楽の口唇が銀時の耳たぶへ移動し……甘噛された。思わず体がピクリと動く。

「一生結婚してやらんアル」

 その言葉に銀時は泣き出しそうな気分になった反面、胸を撫で下ろす自分も存在した。

 どうしても出ないのだ。お前を幸せにしてやると言う言葉が。それを神楽は見透かしていたのだろう。なんて自分よがりな愛なのだと。

「わかった」

 銀時は神楽の背に腕を回すことなく言った。これが二人の結末だと言わんばかりに。

「お前を嫁にはもらわねぇ」

 その言葉に神楽は納得を見せるも、銀時を床へと押し倒した。そしてそのまま神楽も倒れると二人は遂に一つに重なったのだ。突然のくちづけは甘いものではなかった。銀時の口唇に神楽の涙が伝って来る。しょっぱくて生温い。それが口の中で唾液と混ざり合った。

「でも、銀ちゃんと一緒に居たいアル。ずっと一緒に居たいネ」

 そして、続けてこうも言った。少し苦しんでヨ、と。

「……わかった、好きにしろ」

 その言葉通り、銀時は少し苦しむことにした。銀時の熱を持った首に神楽の白い腕が伸びる。

「絶対、動いちゃ駄目アル」

 こんな事で気が少しでも晴れるならそれで良いと思ったのだ。一生、手に入らないと分かっていてもそれで良いと思ったのだ。幸せにすると言えないのだから。

 

 臆病者――――――誰かが言った。惚れた女を幸せにすると言えなかった男のことを。それでも男は否定も肯定もせず、ただ隣の女を見つめているだけだ。いつか他の誰かのものになる日まで。

 

2015/12/17


※オリジナルキャラとして実在した(新選組八番隊隊長・藤堂平助)が出てきますが、物語は全てフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。