愛の爆弾/銀神+沖
夜も更け、23時を回った頃。万事屋の台所には、パジャマ姿の神楽が居た。何やら冷蔵庫を開けており、腹でも空かせたのか眠れないでいたのだった。
そんな神楽を台所の窓から覗いている男が一人居た。黒い隊服に身を包み、街灯に照らされた髪色は飴色で、やや色素の薄いものだった。そいつが窓をバンバンと叩いた。
「オイ、チャイナ娘。起きてんだろィ?」
神楽は慌てて冷蔵庫のドアを閉めると、台所の窓を開けて格子越しに外を覗いた。
見れば真選組の沖田総悟が居て、神楽の表情は一気に曇るのだった。
「何しに来たネ。良い子は今から寝る時間アル。依頼なら昼間来いヨ」
すると、沖田は懐から封筒を取り出すと、中に入っている何かを数えた。
「まぁ、向こう1ヶ月は、仕事無くても死なねぇくらいはあるがな」
神楽は少し考えてから窓を閉めると、玄関の戸を開けたのだった。
「今、銀ちゃん起こすから待ってろヨ!」
神楽は玄関に沖田を残すと、寝室で既に眠っている銀時を起こしに向かった。
寝室に入れば銀時は、寝息を立て始めていた。
神楽はそんな穏やかな表情で眠る銀時の横にしゃがみ込むと、ペシペシと頬を叩いた。
「真選組のバカが来たアル。起きてヨ、銀ちゃん!」
神楽が銀時の布団を剥いでしまうと、寒さに震えた銀時が片目を開けた。
「あ? 何? 寒い、神楽」
そう言って神楽の体で暖をとろうとした銀時の元に、玄関で待たされていた沖田が痺れを切らしてやって来た。
「旦那、あんたの大好物でさァ。一晩でこの金が手に入るなんざ、どんな夢よりも旨味があると思うがねィ」
それまで起きる気のなかった銀時だったが、その言葉にバッチリと目を開くと、沖田の手から封筒を奪い取った。
「夜中に叩き起こされる仕事にロクなもんはねーよ! 何? 土下座とかそっち系? あぁ、ウチはそう言うの……」
しかし、封筒の中を血走る目で確認した銀時は、すぐさま着替えると、仕事に行く準備をした。
「よっしゃ、来いや! 頭だろうが税率だろうがパンツだろうが、何だって下げてやらァァアア!」
「銀ちゃん! かっけーアル!」
バカに騒ぐ銀時と神楽を冷めた表情で見ていた沖田は、何でも良いと2人を連れて万事屋の玄関を出たのだった。
2人が連れて来られたのは、真選組屯所の門の前であった。何かのイベント準備なのか、門前に置かれた長机と、その上に置かれた段ボール箱。そして、受付と書かれた紙。
「で、何すれば良いわけ?」
長机の前に座らされた銀時と神楽は、わけも分からず傍の沖田を見上げていた。
机の上に置かれている段ボール箱には、1から10までの番号が割り振られており、それとは別に1つ"マヨネーズ"と書かれた箱があった。
「松平のとっつぁんが、今年からバレンタインデーを解禁しやしてね。去年、栗子ちゃんからチョコを貰って浮かれたらしく、あのバカは俺達にも士気が上がるとかでバレンタインデーを強制したんでさァ」
「それとこれと何の関係があるアルカ? チョコなんて1つもねぇアル」
神楽は空っぽの段ボール箱を覗きながら、首を傾げていた。
「まだ13日だろィ」
「ってことは、アレか? 受付ッつーのは――」
沖田は軽く頷いた。真選組へと大量のチョコレートが届くから、それを万事屋が受け取ってくれと言うのが依頼内容であった。
それを聞いた銀時は、こめかみに青筋を浮かべると沖田に食ってかかった。
「自慢んんッッ!? ふざけんじゃねーぞッ! 何が悲しくてこの寒い中、他人宛のチョコを受け取らなきゃなんねぇんだよ! 直接受け取れやッ! 俺によこせよ!」
沖田はまあまあと銀時をなだめると、屯所の中を見ろと親指で指した。
「見ての通り、もぬけの殻でさァ。過激派攘夷志士を捕まえたは良いが、困った事に残党がいたみてぇで。今、土方さんが隊を引き連れて、捜索に出向いちまいましてねィ」
「いやいや、だったらバレンタインデーとか中止しろや! つか、お前ら絶対バレンタインデーに浮かれて、捕りこぼしたんだろ!」
沖田は腕を組むと、何かを思い出しながら話をした。
「どうりで最近、1日に何度も下駄箱見に行く連中や、自転車のカゴ覗く連中が増えたワケか」
「銀ちゃんも最近、自販機のお釣りの所をよく覗くのは、それだったアルカ!」
「それ関係ないから黙ってて!」
銀時は神楽の口を手で塞ぐと、長机の上の段ボール箱に目をやった。
「つまり、各隊ごとに分けてチョコを入れさせれば良いのか。あーもう面倒臭ぇな!」
「それだけじゃねぇ。チョコは既製品のみ。そのチェックが大事でさァ」
沖田の言葉に神楽は反応したのか、銀時の手を口から引き剥がした。
「なんで手作り駄目アルカ? 一生懸命、頑張って作ったものアル!」
沖田はそう言った神楽を、薄ら笑いを浮かべて見下ろしていた。
「手作りなんざ、何が入ってるか分かったもんじゃねぇや。爪に毛、唾液に……」
「うぇっぷ! そんな黒魔術使うのはお前だけアル!」
その時だった。地鳴りのようなゴーっという音が聞こえ、銀時と神楽は身に僅かな振動を感じた。
「地震アル!」
「おい、神楽! 机の下に身を隠せ!」
銀時と神楽は長机の下に丸まって入ると、目をギュっと閉じた。しかし、なにか様子がおかしい。この振動が地震ではない事に気付くと、銀時と神楽は顔を見合わせた。すると、1人立っていた沖田が通りの向こうを指差した。
「旦那、チャイナ。見てみろ」
その指差す先を見れば、大きな砂埃が上がっていた。
銀時と神楽は煙幕に見えるそれに目を凝らすと、何が起こっているのか確かめようとした。
「なんだあれ? 動いて……」
「銀ちゃん、まさかあれって」
人、人、人。大人数の人間であった。
猪突猛進、一心不乱にこちらへと向かって来る軍団を、銀時も神楽も顔を引きつらせて見ていた。
「オイ! 沖田くん! 何だよあれ? イノシシなの? バレンタインデーって何の日だよッ!?」
「銀ちゃん。バレンタインデーは、まやかしの愛を片手に、如何に沢山の男を削ぐか競う、男屠女"オトメ"達の生存バトルアル!」
「マジか! 否定してぇけど、今なら信じるわ!」
14日の0時丁度に真選組へとチョコレートを届ける為、江戸中から集いし女達が一斉にこちらへと向かっていたのだ。
「あ、俺はちょっと便所……」
そう言って1人逃げ出した沖田に、神楽は待てと追いかけようとしたが、銀時がそれを阻止した。
「何するネ!」
「まぁ、待て待て。あいつが見てねぇなら、別にチョコが1つ減ろうが2つ減ろうが、俺達が誰かに咎められる事はねぇよな?」
神楽は銀時の言葉にうーんと考えると、すぐにニタリと嫌な笑みを浮かべた。
「そうアルナ! チョコが盗まれようが食われようが、バレなかったら分からんアル!」
しかし、そう言った神楽の背後に沖田は居て、パイプ椅子に座った2人に白刃を向けていた。
「他の野郎のは構わねぇが、俺のを食ってみろ。その軽い頭でもどうなるか分かるな?」
神楽は沖田を振り返ると睨み付けた。
「お前、そんなにチョコ好きじゃねぇダロ!」
「あぁ、俺は別にチョコなんざどうでもいい。ただホワイトデーに女共に貰ったチョコをそのまま返して、どんな表情をするのか見たいだけでさァ」
「ど畜生アルナ!」
そうこうしている内に、隊士へとチョコレートを持って来た女達で屯所の前は溢れるのだった。
「一番隊から五番隊までは、こっちの受付けでーす。ここに住所と名前、3サイズ書いてって下さい」
「はい、はーい。こっちは六番隊から十番隊、その他の受付けアル! ここに住所と名前と座右の銘よろしくアル!」
隊士達の野蛮さは隠しようもなかったが、それでも幾度と死線を潜り抜けた精悍な顔つきが良いだとか、隊服姿が素敵だとかで町娘にファンがいたのだ。
次から次へとやって来る町娘。
銀時と神楽は、ひたすら大量のチョコを確認していく作業をこなしていた。しかし、深夜と言うこともあり眠くなってきた神楽は、パイプ椅子の上で舟を漕いでいた。
「おい、神楽。寝るな! 今ならチョコ詰め放題だぞ」
いつの間にか沖田の姿はなく、神楽はなんとか意識を取り戻すと、チョコを服の中に詰め込もうとして目の前に立つ女に気が付いた。
「近藤局長へ、思いを込めて作って来たの」
野太い声に薄っすらと見える青髭。
神楽は目の前の女を、目を擦ってから再び見ると驚愕するのだった。
「おっさんアルカ?」
汚い面の大柄な女に神楽は眉間にシワを寄越せると、嘘だ信じられないと言った風に首を振っていた。
「ねぇ、今すぐにでも食べてもらって感想が聞きたいんだけどぉ」
「その手に持たれたチョコは、既成品でも食べたくないアル」
「ちょっとォ! どういう意味だ! ゴルァ!」
神楽は手作りはダメだと突き返そうとしたが、どうも乗り気ではなかった。
食べてもらえなくても、相手に届けると言う事が大切なんじゃないかと思っていたのだ。不味くても不恰好でも想いだけは最高なんだと。
神楽はひと段落ついた隙を見て、席を外した。そして、大柄な女を手招きすると、屯所の奥の敷地へと連れて行った。
「手作りは駄目って言われてるけど、渡すだけ渡しといてやるアル! ほら、早くよこせヨ」
「あら、そう? お嬢さん、随分優しいのね。でも、お父さんとお母さんに言われなかったかい? 知らない人から、モノをもらっちゃいけないって」
大柄な女――いや、大柄な男はそう言ってチョコを建物に向かって投げると、逃げだそうとした。
神楽は即座に男に飛びかかると、その手に握られていた小さな起動スイッチを取り上げた。
「テロリストの残党、見つけたアル!」
すると、どこからやって来たのか、沖田が建物に投げ込まれたチョコの包み紙を開けたのだった。
「真っ黒も真っ黒。ビターチョコよりも苦い贈り物でィ」
中には遠隔操作式のダイナマイトが入っており、男がテロリストである証拠であった。
沖田は神楽に押さえ付けられてる男の髪を引っ張ると、頭を持ち上げた。
「俺の留守番する屯所へ直々にお出ましとは、チョコより甘い野郎でさァ」
「そんな事良いから、早く捕まえろヨ! なんかこいつ臭いアル! 吐きそうネ!」
神楽と沖田が男の足元に目をやると、そこには――臭いの原因である黒い塊が落ちていたのだった。
「うわっ、こいつ漏らしてるネ! キモいアル! くさっ」
「おいチャイナ、こっちに持ってくんな! そのまま、焼却炉へ突っ込め! くさっ」
神楽と沖田が男を押し付けあっていると、連絡を受けた土方が隊士達を引き連れ戻って来た。
「テメェら何やってんだ! 犯人を早く……くさっ! なんの臭いだ!」
結局、涙目になった犯人である男に手錠をかけた涙目の山崎。こうしてバレンタインデー爆破未遂事件は、一件落着の運びとなったのだった。
全ての仕事が終わり万事屋に戻った銀時と神楽は、倒れるように眠りにつくと、次の日の朝を迎えたのだった。
「銀ちゃん、良かったアルナ」
翌日。銀時の机の上には、大量のチョコレートが乗せられていて、部屋もどことなく甘い匂いで充満していた。
その真ん前で両手にチョコを持った銀時は、鼻血を出しながら恍惚の表情を浮かべていた。
「でも、どうして沖田さん達はチョコレートをくれたんですか?」
何も知らない新八は、昨日の依頼の事を神楽と銀時に尋ねた。
「ちょっと色々あって、黒い塊がダメになったアル! 私も……うっぷ、ちょっと思い出したから散歩して来るアル!」
新八は慌てて出て行った神楽に苦笑いを浮かべると、銀時が次々に開けて行くチョコレートの包み紙を覗き込んだ。
「なかなか高そうなものがありますね」
「なんだよ、チョコ1つも貰えなかったみてぇな面しやがって」
「どのあたりがだよッ! 自分だって他人宛のチョコだろうがッ!」
銀時は適当に箱を選ぶと新八に1つ渡してやった。それまで腹を立てていた新八だったが、機嫌を直すと貰ったチョコの包み紙を開けたのだった。
「……あれ、これ既製品じゃないですよ」
「はぁ? まさかダイナマイトじゃねぇだろうな!」
銀時が新八の開けたチョコを覗き込むと、その顔は更に歪んだのだった。
「僕のじゃなかったみたいですね」
「随分と馴れ馴れしいチョコレートだな」
2人が覗き込んだ先には、あまり上手とは言えない字で"銀ちゃんへ"と書かれたハート型のチョコレートがあった。それはダイナマイトではなかったが、ほんの少しだけ銀時の心臓に暖かな火をつけたのだった。
2013/01/14
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