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ツキ/銀+神


 暇はあるが金は無く、腕は立つが見せ場はない。坂田銀時。職業:万事屋。年の半分以上は仕事がない。貧乏暇なしとはよく言ったものだが、この男はいかにしてラクに金を稼ぐかということに気張っているのだった。楽しみと言えばパチンコとつけで呑む酒くらいのもので、女にも縁が無くその癖モテたいという思いだけは一人前であった。

「ちょっと新八、出掛けてくるわ」

「え? どこ行くんですか? まさか……」

 銀時は今日も三丁目の角まで玉を打ちに出かける。新台が入ったばかりで本来なら朝から並びたいところなのだが、昨晩飲みすぎで二日酔いであった。それでも昼を過ぎれば復活し、どうせ仕事もないからとありったけの三万円だけを握って遊びに行くのだった。居間の新八がギャアギャアと何か叫んではいたが、銀時は玄関の戸をピシャリと閉めると慌てて階段を降りた。新八ならまだしも神楽に捕まりでもすれば————流血は免れない。そうじゃなくても栄養状態は良くないのだから、無駄な血は流さずに限ると急ぎ足で万事屋から遠ざかった。

 しかし、残念なことにツキまで遠ざかってしまったのか、銀時は開始数十分にして全財産を失うのだった。

「オイッ! どーなってんだよ! 俺の玉吸うだけ吸ってこいつ吐き出さないんだけどッ! こんな昼間っからバキュームしなくて良いから! 吸わなくて良いからオイ!」

 そう言って乱暴にパチンコ台を激しく叩くと、隣で玉を打っている長谷川が青筋を浮かべて怒鳴りつけた。

「銀さんうるせーよッ! 俺は今リーチが掛かってんだよッ! もう玉がねぇなら帰れ! 帰れ!」

 そんな調子の良さそうな長谷川に苛立った銀時は邪魔してやろうとして————背後から誰かに肩を叩かれた。

「あ? なんだよ! 邪魔すんじゃ……」

 振り返ってメンチを切った銀時はそこに立っている人物に顔色を青くさせた。丸いクリッとした瞳に鮮やかな髪色、そして透き通るように白い肌をノースリーブから惜しげも無く晒した美少女……神楽が立っていたのだ。

 マズい。これは殺される。

 焦った銀時は長谷川を軽く飛び越えると一目散に店から出た。

 どうして居場所がバレたのか。銀時は隠れるところを探しながら町を駆けていた。しかし周りを見渡しても神楽から身を隠す事の出来そうなところは……銀時は風俗店の前で看板を持って立っている狂乱の貴公子を見つけた。

「オイ! ヅラッ! ちょっと三十分コースで良いから奢れ! じゃなくて匿ってくれ!」

「ヅラじゃない桂だァア!」

 銀時は桂の持っていた看板で顔面を強打されると、後ろに転がって道端に倒れた。シャレにならないくらい痛くて声が出ない。何でこんな目に合わなければならないのか。銀時は桂に仕返ししようと思ったが、ふいに映った青空に思わず見入ってしまった。江戸の空は今日も気持ち良いくらいに晴れていて、だがなんとなく腹が立った。すると誰かが上から覗き込んだ。まだ殴られた顔面はボンヤリとしか視界を映さなくて、あまりよく見えない。何となく見えるのは大きな影……傘であった。こんな天気の日に傘を差す、なんとも奇特な女だ。青空を恨めしく思って見ているのは、どうも銀時だけではなかったようだ。しかし次の瞬間、この女が誰なのか銀時は気付いたのだった。

「銀ちゃん」

 聞き慣れた少女の澄んだ声。銀時はまたしても慌てて飛び起きると神楽に捕まっては堪らないと駆け出した。

「マジで今度あのウザいロン毛刈るぞ! 覚えとけよヅラ!」

 神楽に追いつかれたのも全て桂が悪いことにすると、銀時は前も見ずに歩いていた。そのせいでとんでもない失態を犯してしまうのだった。

 ドンと言う衝撃と体の右側面に受けた痛み。桂のことでまだ苛立っている銀時はぶつかられた事に腹を立てながら前を向いた。

「どこに目ェつけてんだバカヤロー……は、俺ですよね。すいません! 死んで来るのでもう行きます! じゃあ!」

 そう言ってまともに目も見ず謝った銀時は目の前の緑色した怪物……いや、荼吉尼族の屁怒絽の前から消えうせようとしていた。つまりは逃亡だ。神楽をびびっている銀時であったが、この屁怒絽は神楽の比ではない。今も出掛ける前にトイレに行っとくべきだったと後悔しているほどだ。

「誰かと思えば万事屋さんじゃないですか」

 屁怒絽は銀時の両肩をメリっと掴むとニタァと歯を剥き出しにした。銀時は滝のような汗を流しながら強張った顔でどうにか笑った。最期くらいは笑って逝きたいと……

「丁度良かった。実は万事屋さんのお宅へ伺おうと思ってたところなんですよ」

 いい加減慣れてもいい頃なのだが、まだその恐ろしい顔に生きた心地がしないのだった。

「す、すんませんしたッ! 俺なんてただの毛玉だしッ! 食っても全然美味くないからねッ!」

 すると屁怒絽は顔に影を落とすと、今にも目の前の銀時を惨殺しそうな表情になった。

「もしかして万事屋さんマシュマロはお嫌いですか? さっき実家から届きましてね。うちの故郷の名物なんですよ。とっても美味しいんですがね……」

 え!? ましゅ……まろ……魔首・麻呂!?

 銀時は屁怒絽が小脇に抱える謎の袋に思わず後退りをした。あの袋の中に故郷からわざわざ地球人を抹殺する為に取り寄せた“魔首・麻呂”が入っているらしいのだ。頭部だけで生き続ける魔物で、腹を満たすという概念が無くいつまでも人を喰らい続けることの出来る生きた殺人兵器として有名……なのだろう。銀時は恐ろしい魔物の首を想像すると情けなく腰を抜かしたのだった。

 く、喰われる!

 銀時は目を瞑った。まさか自分の最期がこんな感じで訪れるとは思いもしなかったのだ。しかし、そう悪くない人生だと思っていた。新八と神楽と短い間だったが万事屋をやれて楽しかったのだ。

「く、来るなら来いや!」

 その時だったどこからか黄色い声と————女性が降って来た。

「ぎんさぁあああああんッ!」

 腰を抜かしている銀時に飛び付いたのは殺し屋のさっちゃんであった。

「キャア! 銀さんったら私の帰り道で待ち伏せしてるなんて、サプライズもほどほどにしてよね! キャア!」

 恋は盲目とはよく言ったものだが、猿飛あやめには眼鏡をかけていても屁怒絽の姿が見えていないようであった。すると屁怒絽はマシュマロの詰まった袋を銀時の傍らに置くと、またニタァと歯を剥き出しにした。

「女性ならお好きかもしれないので、万事屋さんのお知り合いの方にでもどうぞ。マシュマロ美味しいですから」

 そう言って屁怒絽は去って言った。これを聞いた二人は顔を見合わせた。

「マシュマロ? 私に?」

 魔首・麻呂……ましゅ……まろ……マシュマロ! ようやく頭の中で言葉が繋がった銀時は屁怒絽の置いて行った袋を開けてみた。すると中には甘い匂いを漂わせたマシュマロが詰まっており、糖分狂いの銀時としては思わず喉がキュウっと鳴った。

「銀さ~ん。それよりもこっちのマシュマロの方が美味しいぞ……ギャア!」

 銀時はストーカーくノ一に目潰しを食らわすと、さっちゃんが痛みに悶えている間にマシュマロを持って立ち上がった。そして何気無しに後ろを振り向くと、傘を差した神楽がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

 捕まってなるものか。銀時は神楽を撒こうと裏通りに入ってやり過ごすことにした。息を潜めて民家の陰から表通りを覗き見れば、神楽が丁度さっちゃんに話しかけているところであった。

「余計なこというなよ、さっちゃん」

 その願いが通じたのか神楽は辺りを見渡すも銀時には気付かず、どこかへ行ってしまった。それにホッと胸を撫で下ろした銀時はさきほど屁怒絽からもらったマシュマロを一つ口に放り込んだ。口の中でジワリと溶け、甘さが染み渡って行く。

「うめェ……」

 行く宛など特にないが、少し機嫌の良くなった銀時は建物の影から出て行くと町をフラフラ歩くのだった。

 しかし、それも三十分ほどで終わるのだった。どうも先ほどから腹の調子がおかしいのだ。原因として考えられるのは……昨晩食べた賞味期限が一週間程過ぎたヨーグルトか、今朝食べた定春のドックフードか、今食べたマシュマロなのだ。銀時の額に脂汗が滲む。だが無情にも万事屋には距離があり、どこかでトイレを借りなければならない。

「コンビニか……」

 銀時は一軒のコンビニを目に止めると、出来るだけ振動を与えないように駆け込んだ。店内には客が数人。店員もやる気のなさそうなギャルが一人いるだけだ。ここなら大丈夫だろう。銀時はそう思ってトイレへと向かったのだが……残念なことに使用中であった。

「ちょっとすんませんッ! もう出られますかァ! こっちはもう出ちゃいそうなんですけどッ!?」

 銀時はドアを強く叩くも返事はない。それどころか何か音楽のようなものが聞こえてきた。耳をすませ聞いてみると、それはどうも落語のようでトイレの中で漫談でも楽しんでいるようであった。

 人が緊急事態つーのになに考えてんだ!

 銀時は激しくドアを叩いた。もう出るぞバカヤローと涙目で。しかし、中の人物は聞こえていないのか、笑い声を上げて楽しんでいた。すると突然ドアの向こうでケータイが鳴り、笑い声がピタリと止んだ。

「何の用でさァ。こっちは今取り込み中でィ。時そば聴くまでは離れられねーんですが」

 銀時は聞こえてきたその声に中で誰が落語を聴いているのかを知ったのだった。真選組の一番隊隊長・沖田総悟だ。腸が煮えくり返る思いであったが今は力むと命取りだ。銀時は出来るだけ穏やかな口調で言った。

「もしかしてそこに居るのは沖田くんかな? そ、外で待ってる人がいるから早く出た方がいいんじゃないかなあ?」

 やけに乾いた笑がこみ上げる。しかし沖田には銀時の声は届いていない。まだ電話の向こうの相手と会話しているのだ。

「さっきから外野がうるさくって何も聞こえねーんですが……ああ、土方さんの声じゃなくて落語がって話でさァ」

 銀時はもうここは諦めるしかないと、どうにか第一波を乗り越えてコンビニの外へと出た。こうなったら賭けである。どこにも寄らずにダッシュで家まで帰ってしまうという方法もあるのだ。家ならば確実に空いている筈だ。コンビニを探して歩いている時間は惜しい。銀時は腹を決めると家まで走った。角を曲がって郵便局の前を通り過ぎて、公園を突っ切ってスナックお登勢の前を横切り、階段を駆け上がった。トイレはすぐ目の前である。

「あ、銀さんおかえりなさい。神楽ちゃんに会いましたか?」

「話は後で聞いてやる! 先にトイレ……」

 そう言って銀時は適当にブーツを脱ぐとトイレに駆け込もうとして新八に止められた。見れば誰か知らないおっさんが一生懸命に何かしているのだ。自宅のトイレで。銀時の腹がギュルルルと限界を知らせていた。

「だ、誰だよオッさん!」

「あれ? 聞いてないんですか? 神楽ちゃんに銀さんに伝えて来てって言ったんだけどな。定春のうんちが詰まっちゃって、修理に来てもらったんですよ」

 さ、定春ゥ! 銀時は顔面蒼白で裸足のまま階段をフラフラと降りると、まだ準備中のスナックお登勢へと入って行った。

「バアさんんッ! トイレ貸してくれェ!」

 絶叫であった。もうギリギリの瀬戸際である。そこでようやくやっとのことで押し寄せる波に別れを告げる事が出来た銀時は、スッキリとした表情でトイレから出たのだった。

 しかし、その先で待っていたのはこめかみに青筋を浮かべたお登勢であった。

「銀時、これはどういうことだい!」

 そう言ってお登勢が銀時の前に差し出したのは“修理代三万円也”と書かれた領収書であった。どうやら銀時がトイレに入っている間に修理屋がお登勢に渡したものらしい。ありったけの金を銀時が使ってしまい修理費を支払えなかった新八は、仕方がなくお登勢の名前で請求書を切ってもらったようだ……しかし、今月、先月、先々月と家賃すら払えていない。この修理費用もいつ返せるものかわかったもんじゃない。銀時は逃げ出そうと出入口へと急いで向かった。

「逃ガスカ! アホの坂田!」

 すかさずキャサリンが足払いをし、銀時は呆気なく捕まってしまった。首根っこを掴まれた銀時は借りて来た猫のように大人しくなると、仁王立ちするお登勢の顔に不敵な笑みを見た。

「さぁて、どうするかねぇ」

 この晩、銀時はかまっ娘倶楽部で一晩中接客をさせられるのだった。

 

  深夜。日付はとうに変わっており、町からネオンの明かりも消えつつあった。かまっ娘倶楽部の店から出た頃にはさすがに銀時の頬もげっそりと痩せこけていて、それはもう見るも無残な姿であった。

「あんなヒゲ面ばっかり……もう嫌だ」

 頬に寄せられるは青髭ばかり。銀時のヤワなハートはすっかりとすり減っていて、どこかで愛を——それもとびっきり安くてサービスの良い愛を補給しなければ精神がもたなかった。しかし、金はない。今日頑張って稼いだ分は西郷から直接お登勢に渡されるらしいのだ。

 今日は散々だ。俺が一体何をした?

 そう思う一方で頭には“日頃の行い”という言葉が浮かんでいた。パチンコで負け、幼馴染に殴られて、屁怒絽には恐怖し、ストーカーには出会った上に腹をくだすわ、トイレは遠いわ。挙げ句の果てにかまっ娘倶楽部で屈強な元攘夷志士の“元”男達に囲まれてキスの豪雨。一日でこんなに災難に見舞われるとは、他に言葉が思いつかない程である。

 こんなことなら三万円を持ってパチンコへ行かなければ……ここで銀時は初めて後悔したのだった。

「銀ちゃん」

 自分を呼ぶ声がして銀時は被っていたカツラを取ると、丸まった背中のまま正面を見た。そこにはパジャマ姿の神楽が立っていて、眠いのか大きなアクビをしていた。そんな彼女の様子にこの時間まで寝ずに起きていた事が窺えた。

「なんで起きてんだよ」

 土産でも期待して待っていたのだろうか。そして待ちきれず痺れを切らして迎えに来た……といったところだろうか。銀時はヨタヨタと神楽の元まで歩いて行くと案の定、神楽は眠たそうな目蓋を擦って言った。

「なんか無いアルカ? お腹空いたネ」

 しかし手ぶらの銀時にその顔は厳しいものへと変わった。

「上手いことやって客に寿司ぐらい奢らせろヨ! このバカちんが!」

「はあ!? 上手いことって何だよ! 銀さんの貞操がどうなってもいいのかお前は!」

 神楽は別にと言って銀時に飛び付くと体を器用によじ登った。ただじゃ無くても疲れているのに、神楽を運ぶ気力など残っていない。

「下りろって神楽。マジで銀さん死んじゃうから」

 しかし神楽は聞いていないのか、銀時の肩に乗ると太ももで銀時の頭を挟み込み肩車の形になった。

「出来の悪い亭主を持つ嫁さんの気持ちがよーく分かるネ」

 誰が出来の悪い亭主だ。そう言い返そうかと思ったが、もうそんな元気すらなかった。神楽を運ぶだけで精一杯なのだ。

「でも、今回はさすがに反省したんじゃないアルカ? パチンコ行かなかったら良かったって」

 確かにそう感じていた。あの時、パチンコに行かなければ……あの時、神楽に素直に捕まっていれば……三万円は消えずに済んだのだ。

「パチンコ屋でお前に殴られときゃ良かったな。あのあとまさか……ホント一寸先は闇つーか地雷原だわマジで」

 すると神楽は銀時の頭を強く太ももで挟むと、大事そうに頭を抱いたのだった。

「んふふ。初めっから私に捕まってボッコボコにされてたらこうならなかったアル。ほんとにお前は私がいなきゃ駄目ダナ! 本当に駄目アルナ!」

 ダメだと人を貶す神楽に銀時は少々苛立っていたが、神楽の太ももの感触がパジャマ越しではあるが青髭で痛んだ肌に優しかった。少しだけ元気が出たのだ。

「つーかただ捕まるだけじゃダメなの!? せめてボコッくらいにしてくれよ」

「えー、だって躾には時には痛みも必要って、ペットのきもち六月号に書いてあったアル!」

 誰がペットだと言い返そうと思った銀時だったが、何だかもうどうでも良くなったのだ。頬に当たる神楽の熱が今日起こった散々なことを吹き飛ばして行く。辛いと思う時もこうして話をする相手がいるなど一人の時には考えられなかったことだ。

 こいつが居てくれて良かった。

 銀時は僅かに微笑んだ。キレーなオネエサンの膨よかなバストに挟まれて踊らされるのとは全くワケは違うが、たまにはこんな風に神楽に癒されるのも悪くないと、ぼんやりと輝く月を見ながらフラフラと歩くのだった。


2014/09/12