※神楽→神楽さん


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SUクリーム/銀神※

 

 いつかはやると思ってた。まぁ、でもそれは飽くまでも“いつか”であって、今じゃねぇってそんな風に確信していた。

「かぁぐら~! 帰ったぞ~!」

 だけど、そんな事すらすっかりと忘れていた午前零時。俺は返事の返らない暗い部屋に神楽が既に寝ちまってるもんだと思っていた。

 飲み屋から戻った俺はほろ酔い気分で、軽くシャワーでも浴びてから寝るかなんて呑気にそんな事を考えて。そうして軽くフラつきながら台所から繋がる脱衣場の戸を引くと――――そこにいたのは辛うじてタオルで“大事な所”を隠した神楽だった。あまりにも急のことで想定外も想定外で、俺は目の前の光景を理解する間も無く顔面に拳を食らった。

「いってェェエ!」

 そう言って床に転がった俺を赤い顔で見下ろしている神楽に、ようやく何があったのかを理解した。だが俺の口から言葉が出るより先に戸は閉められ、神楽の視線だけが頭に残った。初めて見る恥じらいの感じる瞳。それがなんつーか珍しく俺に罪悪感を植え付けた。

「……いや、まぁ悪かったな」

 まさかこんな時間に風呂に入ってるとは思いもしなかった。それが俺の言い訳だ。そりゃそうだろ。あいつなんて毎日22時にはソファーの上で舟漕いでるっつーのに……この時間になんで風呂?

 すっかり酔いの覚めちまった俺は、そのまま寝室の布団へと向かった。




「銀さん、どうしたんですか? そのクマ」

 翌朝、居間で朝食を食ってると目の前に座る新八が曇りのない眼で俺に言った。俺は焦って隣に座る神楽を見るも、神楽は特にこちらを見ることもなく茶碗の白飯に夢中になっていた。

「ば、馬鹿言ってんじゃねーよ! 毎晩快眠で困ってるくらい快眠だわ! 丁度、不眠まくらに買い替えようかなとか思ってたところだし」

「なんですかそれ。気持ち悪い」

 自分でもこんなくだらねぇ言い訳は気持ち悪いとは思ったが、今はそれよりも女の裸を見たくらいでクマ作る男だと思われたくないのに必死でそれどころじゃねぇ。だが、そうやって一人俺が焦ってる間にも神楽はご馳走様と手を合わせると、何処かへ出かける用意を始めた。仕事は今日もない。神楽が出掛けるとすれば定春の散歩か駄菓子屋か……とりあえずその辺に遊びに行くくらいだ。多分な。

「最近、神楽ちゃんどこに出掛けてるんでしょうね。朝から出たかと思ったら、夕方から出る日もあるし」

 新八はそんな事を口にしたが、言われて初めてその事実に気が付いた。

「どうせ朝っぱらからどこぞで遊んでんだろ? あーあガキは気楽で良いよな。俺も何にも考えずにパチンコでもして暮らしてぇよ」

 新八の見る目がやけに冷ややかなものに感じはしたが、俺はそれよりも神楽の出掛け先が気になっていた。いつもなら気になる事なんてねぇ。あいつがどこの姫様に下品な遊びを教えてようがどうでもいい。でもな、昨日のアレがどうも引っかかるんだよ。深夜に入る風呂。俺が出てる間、あいつ出掛けてたんじゃねーだろうな?

 俺は考えを掻き消すように頭を軽く振った。あいつが何してようがどうでも良いだろ? フラフラ遊び回ってるなんざいつもの事だ。それは分かっちゃいるが本心を剥き出せば、微かな記憶に残る裸体はガキとは言えねぇもんだった。それが夜のかぶき町でフラフラ歩いててみろ? よからぬ連中が寄って来ないとも言い切れねぇ。あの神楽がそういう意味で簡単について行くとは思えねぇが、同情心的な感情だけで過去にどっかのガキとデートしようとしてた女だからな。絶対にないとは断言出来なかった。

「行ってくるアル」

 いつもと変わらないように見える神楽はそう言って万事屋から出て行った。多分、今日も遊びに行っただけだろ。だが、俺は持っていた箸を茶碗の上に置いた。

「……ぱっつぁん、ちょっと出掛けてくるわ」

 空の財布だけ持って飛び出た俺はダメだろうとは分かっていても、あいつがどこの誰と遊んでるのかを知っておきたかった。一応、保護者だからな。知って苛立つ結果になるかも知れねーし、反対に大したことはないかも知れねぇ。それでも念の為ってヤツで把握しておきたかった。だが、その結果を俺はあっけない程すぐに知った。万事屋の階段の下、そこで神楽が誰かと落ち合うのが見えた。神楽と同じ歳くらいの男のガキだ。親しげに笑いあって二人は並んでどこかへ向かって行った。

「ふーん……」

 思わずそんな声が漏れたが、あまりにも普通で俺は拍子抜けした。もし落ち合ったのがどっかの番犬だとかそういう“いけすかねぇ”男なら俺も一発かませたが、あんなに普通のどこにでもいるガキじゃ……妙な敗北感と安堵が入り混じって本当に何も言えなかった。ただ一つ気になる事があるとすれば、清い交際だろうなっつーことだ。でも今更どうでも良いわ。本当どーでもいいわ……

 俺は僅かに下りた階段を登ろうとして段差を踏み外すと、顎から階段に突き刺さった。

「いってェェエ!」

 痛みで言えば昨日の顔面にくらった拳の方が強い。なのにどういうわけか、俺の目には涙が滲んだ。


 それから。俺は神楽との付き合い方が急に分からなくなり、気付けばあんまり会話も無くなった。神楽は相変わらず男と会うのに忙しいのか、万事屋に不在の時間が多くなった。数週間はもうまともに顔を見て話しもしてねぇ。だけど、当の本人は特にこの状態に何も思ってないらしく、昔はもう少し“銀ちゃん、銀ちゃん”と可愛げがあったのになぁ、なんて思ってことを考えていた。急に来た親離れっつーのか? そんな感じに俺の方がどこか寂しい気分でいるのは事実だった。だが、まぁいいさ。いつまでもベタベタ引っ付かれてるよりはな。

 そんな事を俺は23時を回った万事屋で一人考えていた。窓際の自分の定位置に座ってまだ帰らない神楽を考える。

「お前の主人、今頃どこで何してんだろな?」

 床で伏せてる定春に喋りかけるも、定春は何も答えねぇ。少しは心配じゃねーのか。そうツッコミたかったが、犬と喋ってるのも虚しいと俺は口を閉じた。代わりにそこへパックに入ったいちご牛乳を流し込む。

「お前だけは、微塵も変わらずに甘ェんだなぁ」

 結局、俺は犬に話し掛けるよりも惨めなことをした。それくらい参ってるのかもしれねぇ。

 やけに耳に付く時計の秒針に外を走る車の走行音。ヅラでも追ってんのか、けたたましいサイレン。神楽がここに来る前はずっとこうだったのか? それすらも思い出せないほどに俺の生活は、あいつの騒がしさがあって当たり前になっていた。それにはどこか照れくささもあるが、自分の弱さを思い知ったような気もして悔しいなんて感情を抱いた。

 神楽はきっと今頃、あのガキの隣で笑って騒がしくしてんだろう。いや、もしかするとあのお喋りな口を黙って閉じて、引っ付けるのに忙しいのかもしれねぇ。考えんなよ。そう馬鹿にしたような声が聞こえて来るが、俺はそれを止めることが出来なかった。不安が妄想を育てるのがよーく分かる。一言、神楽の口から“何勘違いしてるアルカ”そんな言葉が聞けりゃ幾分か気分もマシになるんだろうが……

「ただいまアル」

 珍しく日をまたぐ前に神楽が帰って来た。そして俺のいる居間へと何食わぬ顔を覗かせた。

「良かった! 間に合ったアル」

 神楽はそう言って壁に掛かっている時計を見ると、弾んだ息のまま俺の元へと近づいた。

「いつもこれくらいに帰って来いよ。お前未成年だろ」

 案外、普通に接することが出来た。久々に神楽ときちんと向き合うにも拘らず。多分こういうのは長年に渡って築き上げた関係だからこそ出来るんだろう。俺は自惚れた。

「仕方ないアル! マミー達なかなか来ないから」

「なんだよマミーって」

 神楽は俺の言葉なんざ聞いちゃいないのか、手に持ってる紙袋を目の前の机に置くと、その中から片手に乗るくらいの箱を取り出した。

「んふふ! 銀ちゃん、泣いて喜べヨ!」

 そう言って神楽が開けた箱の中から出て来たのは、赤いいちごが乗ったショートケーキだった。その上の板には――――

「銀ちゃん……30歳オメデトウ……ってバカヤロー! お前まだ20代だつってんだろ!」

 神楽は照れ臭そうに笑って俺にこれを差し出して来るもんだから、俺も年甲斐もなく耳が熱くなった。いや、まだ20代だから!

「嬉しい? 嬉しいデショ? なぁ、銀ちゃん嬉しい?」

 神楽はニヤニヤと俺を見下ろしていてそれが無性に腹立つが、糖分に目がない身としては嬉しくないわけがなかった。けどな、こんな事されると余計にどう神楽と接したら良いか分からなかった。もう徐々に離れて行くように思えてたのに、こうやってまた側に居られると……まぁ気を遣う。

「つーか良いのか? カレシ若いから妬くんじゃねーの?」

 神楽はそれまでニコニコ笑ってた顔を急に引き締めた。

「銀ちゃん?」

 かと思ったら次は目を三角に変えて俺の胸ぐらを掴み上げた。

「一体、どこの女と私を勘違いしてるアルカ!?」

「は? いや、え? 階段の下で会ってただろ!」

 すると神楽は大きな目を更に大きくすると俺から手を離した。

「マジで言ってるアルカ?」

「はぁ? 冗談なわけねぇだろ」

 神楽はクスクスと笑うと、机の上に置いた紙袋から更に何かを取り出した。それは折り畳まれたチラシのようでで、神楽はそれを広げると俺の目の前に置いた。

「これ、欠員出たから手伝ってたアル」

 見ればそこには“かぶき町託児所”の文字があった。責任者には西郷特盛の名前。

「銀ちゃん見たのって、多分てる彦の事アルナ!」

 てる彦。そいつは西郷の息子の名前だ。え、つーことはあれは――――

「おいおいおい!すっかりデカくなりやがって……」

 それもそうだよな。ウチの神楽ですらこんなにまぁ色々成長してんだから。

「急に託児所が人手不足になって困ってたアル。てる彦、寺子屋が無い日は託児所の手伝いしてるから、行く日は万事屋で待ち合わせして一緒に行ってただけネ」

 これであの日、神楽が遅くに風呂に入ってた理由がようやく分かった。遅くまで赤ん坊やガキの相手して汗まみれだったんだろう。別に男と何かしてたわけじゃねぇつーことか。

 それを知った俺は途端に気分が軽くなって、分かりやすいほど余裕が生まれた。そうなると糖分補給をせずにはいられない。俺は目の前のケーキに噛り付いた。相変わらずコイツも甘ェ。

「美味しそうに食べるアルナ」

「いや、お前には敵わねぇし」

 俺をじっと見ている神楽は見た目こそ大人くさくなりやがったが、体のド真ん中にある魂は昔とはちっとも変わっちゃいねぇ。これからも俺たちのこんなくだらねェ関係はずっと続いていくんだろう、根拠はないがそんな風に思えた。

「そう言えば銀ちゃん、あの日から随分よそよそしかったアルナ。忙しくて訊く時間なかったけど……」

 神楽はそう言って膝の上に座って来ると、俺の頬についてるクリームを人差し指ですくい取った。それを案の定、舌先でぺろりと舐め取ると――――その仕草が俺を妙な気分に引きずり込んだ。神楽相手になんでこんな気分になるんだよ。思わず眉間にしわが寄る。

「そうアル。私の裸を見た日ネ。もしかして銀ちゃん、意識しちゃったアルカ?」

「ば、バカヤロー……たまたまだンなもん」

 すると神楽は俺の頬へ手を添えると、大げさに溜息交じりに呟いた。

「じゃあ、なんで顔赤いアルカ?」

「は、はぁーっ! お前の視界の問題じゃねぇの? ほら、目が充血して……」

 神楽は躊躇いなく俺に顔を近づけると、今度は唇の端についているクリームを直接舌で舐め取った。一瞬のことだがハッキリと感触が残っている。神楽の熱い舌の感触が。

 これには俺もわかりやすい程に顔が熱くなって、汗が滲んで鼓動が速まる。

「美味しかったアル。じゃあ、お風呂入ってこよーっと!」

    だが、神楽はあっさりと膝から下りるとそんな俺を残して風呂場へ向かった。

 一体何なんだよ! だが、叫ぶことすらままならない俺は変な顔をしたまま固まってしまった。神楽はなんも変わっちゃいねぇとは思ったが、どうも俺の方が変わってしまったらしい。神楽をもうガキだという風には見れねぇのか?

 結局、熱い舌の感触を忘れることに失敗した俺は、その日も眠れない夜を過ごすことになった。


2014/10/17