メイン沖神(→銀月+近妙)

※二年後ベース


ワン!ラブ:01

 

 いつからか長く伸びた髪を神楽はツインテールに結っていた。別に理由は誰かに触られたいからではない。それでも自分がいちばん可愛く見える仕草や顔は心得ている。一歩町へ出ればチャイナドレスから伸びる長い手足と細いクビレ。不釣り合いな大きな胸が注目を浴びる。少し前までは想像も出来なかった世界がそこにはあった。だけど良いことばかりではないのだ。《良い女》へと近づいていると言うのに、一向にこちらを見ない眼があって、これでもダメなのであれば……もうお手上げだ。

 神楽は銀時と二人になった万事屋で、いつまでも漫画雑誌に夢中になっている横顔を見つめていた。

「なぁ、神楽。最近、新八に会ったか?」

 窓際の椅子でこちらを見ずに声を掛けてきた銀時にソファーの上の神楽が答える。

「会ってないネ。まだ真選組に入ったばかりだし、忙しいんデショ」

 新八は姉であるお妙が近藤と結婚した事によって、恒道館を継ぐ必要がなくなりお払い箱……と言うわけではないのだが、真選組を担って欲しいと万事屋を辞めたのだ。

「でも、休みくらいあんだろ? 今度の祭り、アイツを誘ってみろよ」

 何が悲しくて新八を誘わなければいけないのか。神楽の目はずっと銀時の横顔を見つめている。昔からずっと見てきた銀時の横顔。隣に並び、いつだって側に居るのは自分だと信じて疑わなかった。それなのに最近、距離の遠さを感じる。新八が間にいないだけで、こんなにも寒々しく感じるのは想定外だったと神楽は思わず膝を抱えた。

「…………銀ちゃんは?」

 ほんの少し間が空いて、それから短い返事が聞こえた。

「ん、いや。俺は良いわ」

 祭り好きの江戸っ子が《行かない》と答えるなど、まずあり得ない話だ。神楽は眉間にシワを寄せるともう一度尋ねた。

「行かないアルカ? お祭り」

「なんだよ。お前、もしかして一緒に行く友達居ねえの?」

 そう言って笑った銀時に神楽はムッとした。

「なわけねーダロ。お前こそ行く友達、マダオしかいない癖に……」

 だから一緒に……とは言うことが出来ず、神楽は抱えている膝の間に顔を埋めていた。こうして同じ家で、同じ部屋で、二人で会話をしているのに一方的な想いだけが膨れ上がり、どこか損をしている気分になる。こんなにも好きで、こんなにも近くに居るのに。思わずそんな愚痴が口を衝いてしまいそうだ。そうなる前に神楽は伸びをすると、もう遅い時間だと寝ることにした。想いがバレてしまう事など絶対にあってはならないのだ。今の神楽には《万事屋》以外に居場所などない。新八やお妙、近藤のように他で受け入れてもらえる居場所はどこにもないのだから。

 神楽は胸に爆弾を抱えているような不安な気持ちのまま眠りに就くのだった。

 

 祭り当日。結局、神楽は誰とも約束をしなかった。三人の男子が誘っては来たのだが、誘った目的などおおよそ見当はつく。好きでもない男子と恋愛ごっこに興じる元気はないと、神楽は公園のブランコで一人遠くの祭囃子を聞いていた。なんだか切ない。こんな時は少しかぶき町から離れようと、神楽は吉原へと向かった。だが、これは計算外だった。どうやら吉原でも祭りが行われているようなのだ。

「なんか、場違いアルナ」

 神楽はいつも以上にハメを外す男女に呆れると、万事屋へ戻り大人しくテレビでも観ようと思ったのだ。だが、その道中にもナンパ野郎が声を掛けてくる。

「ねー、ちょっと。もしかして探してる? 運命の出会いってやつ」

 イラっとくる口説き文句。見ればよく分からないチャラチャラとした鼻ピ男が道を塞いでいた。神楽は黙って鼻のピアスを引きちぎると地面へ叩きつけた。

「あー、ごめん。鼻クソかと思ったネ」

 今日は機嫌が悪い。それもこれも銀時が――――――神楽は通りの向こうからこちらへと歩いてくる三人組に急いで身を隠した。心臓が痛い。人々の賑わいで騒がしい筈なのに、自分の心音が何よりも大きく聞こえていた。狭い路地の間で神楽は震えながらその光景を見つめていた。浴衣姿の銀時と同じく浴衣姿の月詠。そして晴太。神楽は目を閉じると銀時の言葉を思い出した。

『ん、いや。俺は良いわ』

 ハッキリと覚えている。かぶき町の祭りには行かないと言っていたこと。その理由は吉原の祭りに行くからだろう。それは分かるとして、何故その理由を神楽に言わなかったのか。もしかして隠したのだろうか? でも、それならどうして? 神楽の胸がキュっと苦しくなった。

「親子みたい」

 銀時と月詠の前ではしゃぐ晴太。神楽は柔らかく微笑む銀時に思わず下唇を噛み締めた。あんな顔など初めて見たのだ。神楽に見せる事のない特別な表情。その意味は――――――分からない程、子どもではなかった。銀時にとっての特別は神楽ではなかったのだ。はっきりとそう言われたわけではないのだが、言われたも同然である。薄々気付いてはいたのだが、こう目の当たりにしてしまうと……やっぱり辛い。神楽は吉原から逃げ出すと万事屋へ戻り、暗い押入れで丸くなるのだった。

 

 諦める事が出来ればどんなにラクだろうか。グルグルと頭で回る同じ考え。堂々巡りで答えは出ない。それでも嫌になるくらいに考えてしまうのだ。結局、その晩銀時は戻らなかった。もしかするとどこかで酔いつぶれているだけなのかもしれない。そう思い込もうと何度も頑張ったが、自分の認識以上に心は弱かった。

 泣き叫んで、銀時の名前を呼べば帰って来てくれるだろうか。そんな馬鹿な事も頭に過ぎったが、布団から起き上がる気力もない。そうこうしている内に朝はやって来て……昼過ぎ頃、神楽はようやく眠りに就いた。次に目覚めた時、全てが夢だったら良いのに。そんな事を考えて、ただ時計の針が回るまで目蓋を閉じていた。それでもいつの間にか眠りに就いたらしく、夕方目覚めた神楽はさすがにお腹が減ったと冷蔵庫の中のモノを適当に胃へ収めた。そして、玄関のタタキの上を見る。ブーツはない。それを確認して風呂場へ向かうとシャワーを浴びて少しだけ目が覚めた。ぼんやりと曖昧だった昨晩の記憶。どうやって家へ戻ったのかも覚えていない。ショックだった。自分が選ばれる事はないと分かっていても《誰かが選ばれた》事を知るのは……。出来れば知りたくなかった。醜い心が生まれる。どうにか奪えないかと模索する。そうして両手で豊満な乳房を撫でてみるも、残念な事にこの武器の使い方をまだ知らないのだ。ただ手の届く距離にあるだけではいけないのか? どんなに他の男に求められても、一番手に取って欲しい人に見向きもされないと価値など無いに等しいとすら考える。悔しい。若さでは勝ち目があると思っても、場数では負けるのだ。だからと言って適当な男で経験など積みたくない。いつだって銀時にだけ女を見せたい。神楽は風呂場の鏡に映るまだあどけなさの残る顔にシャワーの水をぶっかけた。

 その後、風呂から上がった神楽は髪を乾かし、ツインテールに結い直すと短い丈のチャイナドレスに袖を通し、ニーハイソックスを穿いた。じっと家に居ても悪い考えばかりが溢れてくるのだ。外に行って気分転換でもしてこようと思った。そうして玄関へ向かうと……見慣れたブーツが脱ぎ捨てられていた。銀時が帰ったようなのだ。神楽が風呂に入ってすぐ後にでも帰宅したのだろうか。神楽は嫌味の一つでも言ってやりたくなった。そんなにツッキーと出かける事を知られたくなかったのカヨ……なんて。

 居間へ入ると銀時はソファーの上で眠っていた。まさか今の今まで起きていたのだろうか? 夜通し……いや、眠ることも忘れて一体何をしてたのか。神楽の頬が僅かに紅潮した。腿の横にある手も自然と握りこぶしになる。そうして奥歯にまで力が入っている事に気がつくと、思っている以上に嫉妬深い自分に嫌悪感が生まれた。銀時が誰を愛そうが自由なのだ。それを神楽が咎める事は許されない。だが、心で呟く。そんな事は知ってんダヨと。

 銀時は何も知らずにソファーの上で惰眠を貪っている。呑気なものだ。人の気も知らないで。でも、知られても困るのだが…………今はほんの少し《こっちの気持ちを知れ!》などと考えていた。腹の立つ寝顔。癖の強い髪をもっとグシャグシャにしてやりたい。神楽は銀時の傍らにしゃがみ込むと額に軽くデコピンを食らわせた。

「うっ……ん……」

 軽く唸る銀時にほんの僅かだが気が晴れた。それでも百万分の一くらいのものだ。再び寝息を立て始める銀時に神楽は泣き顔のような表情で笑った。

「よく寝るアルナ」

 こうして簡単に触れる事が出来る距離に居るにも関わらず、どうやったって銀時の心を掴むことが出来ない。もどかしさと歯がゆさ。いっその事遠くに行って、手の届かない距離まで離れてしまえばこんな気分にもならなくて済むのだろうが……何かキッカケがなければ自分から離れる事はもはや出来そうになかった。

 神楽はいつまでも起きる気配のない銀時に今しか出来ない事をやってみたくなった。ゆっくりと髪を撫でて、そして頬に触れて。こんなふうにまじまじと眺める事などあまりないので、くすぐったさを感じるものの許される限り眺めていたいと思った。色素の薄いまつ毛や思ったより分厚い唇。それらに触れて銀時の熱を直に感じたい。ドドドと脈打つ体に指先が震える。

「本当に……寝てるアルカ?」

 静かな寝息だけが聞こえている。きっと今なら何をしてもバレないだろう。神楽の中で欲に塗れた思いが膨らむ。ついに指先で触れてみたのだ。少し乾燥した銀時の唇。しかし、もっともっとと心臓が囃し立てる。触れるだけだと言い聞かせてはいるのだが、疼き始める胸の奥に神楽はゆっくりと銀時に顔を寄せた。心臓が飛び出てしまいそうだ。何をしようとしているのか、それはもうわかっている。神楽は銀時の寝息を肌に感じる距離で生唾を飲み込んだ。

 この一回だけ。

 神楽はそう心に決めると銀時の唇へ自分のものを――――――

「なに……してんの?」

 開かれた銀時の瞳。神楽は急いで顔を離すも腕を掴まれ引っ張られた。

「いやッ! 離して!」

 嫌われる。軽蔑される。恥ずかしい。様々な感情が吹き出して、神楽は冷静さを欠いた。逃げ出さなきゃ。今すぐ逃げ出さなければ。ただそれだけを頭で考えていた。

「おい、落ち着けって!」

 だが、落ち着けるわけもなく神楽は慌てて万事屋を飛び出した。

 もう全てが終わった。夕暮れの町を走りながら神楽はただひたすらある場所を目指していた。今頼れるのは一人しかいないのだ。

 神楽は真選組屯所へ着くと高い塀を飛び越えた。そしてある一室の襖を開けると……

「おッ! わッ! 神楽ちゃんッ!?」

 新八の部屋を訪れたのだが、見てはいけない瞬間に訪問してしまったらしく神楽は慌てて襖を閉めると、新八が合図するまで大人しく待った。そこからしばらくして赤い顔の新八が襖を開けると、狭い部屋へと通された。

「それで……あの……何か用?」

 新八は気まずそうにそう言ったが神楽はそんな事など問題でもないと、切迫した表情で言った。

「しばらくこの部屋に置いてくれないアルカ?」

 これには新八は驚きを隠せないといったふうだったが、すぐに納得したように嗚呼と小さく声を漏らした。

「銀さんと何かあったんでしょ?」

 神楽は何も答えなかったが、それを肯定だと新八は受け取ったようだ。畳の上にどっかり胡座をかいた新八はどこか男臭く感じた。万事屋に居た時よりもずっと男らしくあった。

「僕が出て行ったらいずれこうなるんじゃないかって、そう思ってたけど……思ったよりも早かったかな……」

 その言葉の意味までは分からなかったが、少なくとも新八は銀時と神楽が上手くいかなくなる事を予見していたようだ。だったら先に言ってくれと神楽は思った。

「理由は聞かないでおくけど……でも、この部屋に置くとなると副長の許可が居るし……」

 どうも歯切れが悪い。つまりは置くことは出来ないと言うことなのだろう。

「あっ、そうだ。姉上に相談してみたらどうかな?」

「新婚の家に上がり込む程、厚かましくはないネ」

「いや、ここに来るのは厚かましくないのかよ!」

 しかし、今夜だけは何が何でも帰りたくない。どんな顔で銀時に会えば良いか分からないのだ。それにきっとこの胸を押しつぶさんとする想いはバレてしまっている。上手く説明出来るようになるまでどこかで落ち着きたいと思っているのだが。その時だった突然怒号が飛んできた。

「もう我慢ならねェ! 総悟、今すぐ荷物まとめて出て行け!」

 聞こえてきたのは土方の声だ。そして煩く戸が閉まったかと思えば沖田が何か叫んでいる。

「言われなくても出ていってやらァ。あとで泣きついても俺は知らねーからな!」

 神楽と新八は表の襖を開けると顔を出し、声の聞こえた方を覗いていた。

「アイツら、喧嘩アルカ?」

「うん。近藤さんが真選組を抜けてから、局長の座を巡って毎日この調子でさ。でも今日はさすがに普通の喧嘩ってわけじゃないような」

 そうして見ていると当の本人――沖田が神楽を見つけたらしく、何を考えているのかニヤリと笑うとこちらへ向かって来たのだ。

「見てたのか?」

「見んなって方が難しいくらいの騒ぎダロ」

 すると沖田は大きな鞄をドンッと置くと神楽に言った。

「なら話が早くて良い。金ならある。少しの間、万事屋に置いてくれ」

「はぁ?」

 神楽と新八は口をあんぐりと開けて沖田を見上げた。

「そっちもメガネが抜けて人材不足だろ?」

 どうやら沖田は真選組を追い出され、行き場を探しているようなのだ。

「いや、沖田さん。よく考えましょうよ!」

「給料なら期待してねぇから安心しろ」

「そういう問題じゃねーんダヨ!」

 何故、沖田を受け入れなければならないのか。と言うか今は沖田に構っている暇はない。こちらこそ今夜の寝床を探すのに必死なのだ。神楽は新八に別れを告げるとダメ元で友人宅を当たってみようと屯所を出た。するとどういうワケか沖田が後を付いて来るのだ。どこかで撒こうかとも思ったが、先程沖田が言った《金はある》との言葉に少しだけ気持ちが揺らいでいた。一晩のホテル代くらいなら、この男から掻っ払えるのではないかと……。

「お前、無駄アルヨ」

 細い路地で神楽が立ち止まると、数歩後ろを歩いていた沖田も足を止めた。

「万事屋へ向かわねーのか?」

「帰るつもりはないアル」

 すると沖田は神楽の正面へと回り、顔を覗き込んだ。

「テメーも……ああ、そういう事か」

 沖田は神楽の顔色を見て察したらしいのだ。自分と同じように神楽もまた帰る場所がないことを。それが沖田に伝わりどうも腹が立ったが、何も言い返さない事にすると神楽は民家の塀に背中をつけた。

「どうするつもりネ? お前、謝って戻った方が良いんじゃないアルカ?」

 そうすれば今沖田が持っているお金を少しは借りれるんじゃないかと、そんな浅はかな悪知恵が働いた。しかし、沖田は当分真選組に戻るつもりはないらしい。

「いざとなれば、どこぞの姫様をたらしこんで城主の座を頂くまでだ」

「そ、そよちゃんの事かー!」

 神楽はなんて男だと呆れて溜め息を吐くも、それくらいの覚悟がなければやっていけないのかもしれないと思った。銀時を頼らずに生活する。こうなるなど夢にも思わなかった。だが、元々はある組織に飼われていた鉄砲玉だ。手を汚すことなど……

「だ、誰かぁあああ!」

 突然の悲鳴。神楽と沖田は声のする方へ向かうと、どうも路上強盗にあったようで中年男性が腰を抜かしていた。

「どっちだ!?」

「た、タバコ屋の角を!」

 沖田は男性から犯人が逃げて行った方角を聞き出すと急いで後を追った。神楽はと言うと軽く準備体操をすると民家の屋根の上へ飛び上がり、犯人を先回りした。沖田が袋小路へ追い詰めて、神楽が上から襲いかかる。そうして無事に男性の鞄を取り返した二人は男性から名刺を受け取るのだった。

「本当に御二方にはなんとお礼を申し上げれば良いか。今は手持ちもないので、何かありましたらすぐにご連絡下さい。いつでもお力に……」

 そう言って男性が差し出したのは《不動産会社》と書かれた名刺だった。神楽は思わず身を乗り出すと、男性に言った。

「今すぐにでも借りれる部屋ないアルカ! 出来れば家具付きの! ちょっと困ってるアル」

「今すぐに!? そうだねェ……」

 困ったような顔をしていたが、男性はぽんと手を打つと、一つこの近くに借り手がつかない物件があると言った。

「ちょっと一家心……夜逃げをした部屋でしてね」

「おい、オッサン。今、どんでもねー事言わなかったアルカ?」

 だが、今はそんな部屋でも銀時の居る万事屋よりはずっと住み心地が良いように思えた。

「あ、でも部屋はすごく綺麗だから! まるで昨日まで誰かが住んでたくらいには綺麗だから!」

 尚更、生々しくて借りられないと思いつつも、綺麗であるのなら問題ないと思っていた。

「それで、いくらで貸してくれるネ」

「お嬢さんには助けてもらったからタダで、と言いたい所だけど……ひと月三千円って言うのはどうだい?」

 するとそれまで神楽の隣で黙っていた沖田だったが、突然口を挟んだ。

「大将、その部屋すぐに案内してくれ!」

「ああ、良いよ。さぁ、こっちだ」

 神楽はなんとなく嫌な予感がしたが、とにかく部屋を見てみようと男性の後について行った。

 



 

ワン!ラブ:02

 

 古いアパートの一室(※画像参照)とても一家心……夜逃げをしたようには思えない程に整頓されていた。

「ひと月三千円なら十分でィ。大将、この部屋貸してくれ」

 神楽はあっと小さく声を上げると沖田に詰め寄った。

「お前、どういうつもりアルカ! 私が借りようと思ってたアル!」

 なかなか三千円で借りられる部屋などない。ここを逃せば後がないと思ったのだ。

「おほほほ、お熱いことで」

 空気を読まずにオッサンがそんな事を言ったので神楽はイラッと来たが、沖田の思いがけない発言に少し冷静になった。

「テメー、万事屋追い出されたんだろ?」

「違う。愛想つかして出てやったアル」

「料理と洗濯くらいできんだろーな?」

 さすがに洗濯は洗濯機のスイッチを押すだけだし、料理だって卵をご飯の上に掛けたり、醤油を垂らすだけだ。神楽は頷いた。

「あと、フンの後始末とゲロの後始末も出来るんだろうな?」

 神楽は顔を真っ赤にするとなんて事を言うのだと怒った。

「ひとをペット扱いするナヨ!」

「大人しく出来るってなら、一部屋貸してやる。その代わり毎月三千円分、たっぷり奉仕しろ」

 言い方は気に入らないが悪い案ではないと思った。それに今はどうとでも言ってろと強気であった。後々、どちらが《主人》であるか、しっかりとその体に思い知らせてやれば良いだけだと思ったのだ。

「ってことで、大将。今月分だ」

 不動産会社の男性は沖田から三千円を受け取ると嬉しそうに帰って言った。だが、すぐにドアを開けるとこう言った。

「他の部屋、誰も住んでいないんで、声を抑えなくても大丈夫だからね! しっかり少子化に貢献して……」

 その辺りで神楽が思いっきりドアを閉めると、沖田と神楽二人だけの空間が出来上がった。

「テメー、声でけェのか?」

「し、死ねェェエエ!」

 この沖田と上手くやっていける自信はほぼゼロであるが、しばらく寝食に困らない生活を確保することが出来たのだった。

 

 この夜はカップラーメンで腹を満たし、その後風呂に入った。妙な緊張。改めて考えれば銀時以外の人間……それも男と生活するなど初めてであった。脱衣場に鍵を掛けてほっと一息つくとこれからの生活を考えた。先程、食事をしながら話したのだが、沖田は知り合いの店で女をたぶらかし、貢がせるなどと言っていた。そうすれば一晩で何十万円もの大金を手にする事が出来るらしい。神楽もどこかの店で雇ってもらおうかと考えたが、銀時以外の男に媚び、笑顔を見せ、自分を売るような真似はしたくなかった。それに沖田も《テメーには向かねェだろーな》などと言っていたので、神楽は他の手段でお金を得ようと考えていた。飲食店でのアルバイトなら、まかないもつくだろう。明日は早速仕事を探しに出ようと予定を立てた。それを一応伝えておこうと、風呂から上がった神楽はパジャマ姿で沖田の部屋……玄関から向かって左側の和室の襖を叩いた。

「おい、まだ起きてんダロ」

「入れ」

 襖一枚で隔てられた沖田と神楽の部屋。それでも襖を開ければその空間は神楽のものと大きく違う。空気感だとか匂いだとか、雰囲気だとか。何よりもそこに沖田が居ると言う事が神楽の部屋との違いであった。襖を僅かに開けた神楽は畳の上に座ったまま布団に寝転がる沖田を見ていた。すると突然、沖田が布団をめくって敷布団をパンパンと叩いた。

「来いよ。旦那が居なくて寝付けねーんだろ」

 神楽はその発言を無視すると、明日仕事を探しに行くから昼間留守にすると伝えた。だが、沖田は驚いたような顔をすると布団の上に胡座をかいた。

「なんで働く必要があるんでィ。テメーはお利口に留守番も出来ねぇのか」

 飽くまでもペット扱いらしい。神楽は長い髪を揺らすと胸の前で両腕を組んだ。

「じゃあ、お前がお小遣いくれるアルカ?」

「酢昆布買うくらいの金はやる」

 ちょっと怪しい。神楽を住まわせ、小遣いもくれるとは……あの沖田がこうも親切なのは何か裏があるからだろう。神楽は組んでいた両腕で自分の体を抱いた。

「お、お前ッ! もしかして……なんか変な事考えてんじゃないだろーナ!」

 すると沖田は首を傾げた。

「変な事ってなんでィ?」

「だから《ああいう事》ネ……」

 しかし沖田はまだ分からないと首を捻っている。神楽の頬が徐々に赤らんできた。

「何かあるなら具体的にはっきり言え」

「はっきりって……その……触ったりとか……なんか……変な事アル……」

「触る? テメーをぶん殴るって意味か?」

 だからそうじゃないと神楽は首を振った。

「お前いつも言ってんダロ? メス豚がーとか、なんか調教がーとか……」

 そこで沖田は合点がいったと頷いた。

「ああ、そういう事が。俺がテメーの×××に×××をぶっ刺したり、××を使って××××……」

「もう分かったから何も言うナ!」

 神楽は真っ赤な顔で沖田を睨みつけると、沖田は何食わぬ顔でこちらを見ていた。

「勘違いするな。俺にも奴隷を選ぶ権利がある」

「誰が奴隷ネ!」

 神楽は勢い良く襖を閉めると電気を消して布団へ入った。沖田が神楽に対して何か思っているなど考えるだけ無駄なのだ。普段からあんなふざけた事ばかり言っている。それでも今回はさすがの沖田も堪えただろう。真選組から追い出されるなど。しかし、変わらない様子に少し安堵した。そうしてどれくらいかぶりに安心して眠れるような気になると、神楽は目蓋を閉じた。だが、暗い目蓋裏に浮かんできたのは銀時の顔であった。自分の白い腕を掴んだ手と驚いた瞳。責め立てるようなその眼差しに息苦しくなって……神楽は飛び起きた。僅かな時間だと言うのに激しい動悸と尋常ではない多量の汗。首を絞められたかのような呼吸の不自由さを感じるのだ。神楽はおもむろに首へと手を伸ばしてみた。すると手に長い女の髪が絡みついたのだ。

「ぎゃあああああー!」

 神楽は飛び起きると襖を開け放ち、沖田の布団へと潜り込んだ。

「なんでィ。テメー、本当に声でけーな」

「で、でででで、出たアル!」

 沖田はアイマスクを頭に上げると薄っすらと目を開け神楽を見た。

「何が出たって? 屁か?」

「違う! 女の、長い、髪!」

 すると沖田は胸元で震えている神楽の髪をすくった。

「まさかとは思うが……自分の髪の話じゃねーだろーな」

 確かに言われて見れば自分の髪の毛だったような気もする。神楽は顔がカァっと熱くなった。だが、まだ体の震えが止まらない。

「狭えー。もう戻れよ」

 沖田に横腹を押されると神楽は布団からはみ出されてしまった。いくらさっきの髪の毛が自分のモノだったとしても、どこかジメッと感じる空気に一人で寝るのが躊躇われた。

「ケチ臭い男アルナ。男なら黙って受け入れろヨ!」

「なんでィ。その理屈」

 神楽はこちらに背を向けた沖田に引っ付くように布団へ入ると、沖田が逃げないように背後からしがみついた。

「観念しろヨ。お前はここで大人しく寝ればそれで良いアル」

「テメーこそいい加減、大人しく寝ろ」

「フン、お前は銀ちゃんと違ってギャアギャアうっさいアルナ」

 銀時なら神楽がビビって布団へ入ってきても慣れたものであった。そんな事を考えていると沖田が急に体勢を変えてこちらを向いた。

「なら、旦那のとこへ帰れよ。なんで出て来た?」

 言わなければいけないのだろうか。確かに沖田に世話になる身ではあるが、全てを洗いざらい話す気はない。神楽は寝たフリをすると結局その晩は本当に寝てしまうのだった。

 

 顔を射す日差しに神楽は意識を取り戻していくのを感じた。身を包むような温もりと安心感。頭がそれらを理解する前に言葉が溢れる。

「……銀ちゃん」

 そして手を伸ばして目の前の温もりを掴むと聞こえてくる寝息に耳をすませた。腿の辺りにぶつかる異物と熱。神楽はわけも分からずそれを掴むと指を添わせて形を確かめた。棒状の硬い不思議な物体。それをギュッと握ってみると聞こえている寝息に変化が表れた。

「んっ……ふぅ……ぅ……」

 一体何だろう。神楽は薄っすらと目を開けた。すると視界に飛び込んできたのは沖田の寝顔で、そこでようやく昨晩の事を思い出したのだ。だが、見えている顔はどこか苦しそうで眉間にシワが寄っている。神楽はどんな夢を見ているのだろうと考えながら、手の中の異物をまた軽く握りしめた。

「うッ……ふぅ……」

 どうやら連動しているらしい。神楽の額に汗が浮かんだ。

「ま、さか……」

 ゆっくりと布団の中を覗く。そして自分の手の中のモノを確認すると――――――寝間着の薄い生地を押し上げた《沖田の起きた沖田》であったのだ。神楽はバレない内にゆっくりと布団から出ると、急いで洗面所へ向かい石鹸で手を洗うのだった。

 

 

 この日は沖田が昼から派手なスーツで出ていき、神楽は《留守番》を言いつけられ、大人しく部屋に居た。しかし、だからと言って暇ではない。今夜の夕食を任せられている。昨日、カップラーメンを買いに出かけた時に沖田が言っていた。カレーが食べたいと。そしてちゃんと作れるだけの材料を買ってきていたのだ。神楽は冷蔵庫を開けて食材を前にどこか恐々とした気持ちであった。

「こいつらを……華麗に昇華出来るアルカ?」

 しかしカレーなどそう手強い相手ではないのだ。カレールーのパッケージ通りに作れば簡単だろうと意気込むと、前の住人が残していったエプロンを身につけるのだった。

 そこから格闘すること二時間。どうにかカレーは完成した。味も見た目も……香りだってまずまずである。どこにでもある家庭のカレーが出来上がった。しかし、改めて考えると初めての料理の完成にどこか感動にも似たような気持ちが溢れる。すると不思議な事に早く沖田が帰って来ないかなどと、待ち遠しくなったのだ。沖田にこのカレーを食べさせ認めさせてやりたい。そんな事を思っていた。だが、それと同時に銀時にも食べてもらいたいと思った。だが、銀時なら既に誰かの手料理に口が慣れてしまっているかもしれない。これを美味しいとは思ってもらえないだろうと勝手なのだろうが悲しくなった。今頃、銀時はどうしているのだろうか。神楽の事を心配しているだろうか。それとも神楽が居ない事を良い事に――――――出てきたのは自分だ。逃げ出して銀時の側を自ら離れた。銀時が何をしてようが辛くなる権利すらない。そんなふうに思い直すと、自分を戒めるように神楽は黙って沖田の帰りを待った。

 しかし、こんな時に限って沖田の帰りは遅い。お腹も空かない上に何もする気が起こらない。こんな日は早く寝るに限ると神楽は暮れ始める窓の外に風呂へ入る事にした。そうしてすっかり寝支度を済ませた神楽は布団へ寝転がると、襖の向こうの沖田の部屋が気になった。昨晩はビビっていたとは言え、二人で一つの布団で眠ったのだ。よくよく考えればおかしな話である。他人同士である男女が一つ屋根の下で共に眠る。これが十代特有の好奇心の強い女の子であったら、何か違ったのだろうか? それとも相手が沖田である限り何も起こらないのか? 神楽は沖田と言う男がよく分からなかった。時折、下ネタを入れてくるが、だからと言って銀時や新八のような女性に対するギラついたものを感じない。それはもしかすると《モテる》と言う特殊能力がそうさせているのかもしれない。神楽は思わず笑った。沖田のどこに女子は惹かれるのだろうかと。見た目で言えば……まぁ、たぶん美男子だ。それに剣の腕は立つ。これだけは神楽も密かに認めていた。あとは金を持っていて、更に女性に対して強気で、何だかんだ言って扱いに慣れている節がある。そう考えると町娘がのぼせ上がってもおかしくはないのかもしれないと思った。そんな沖田と同居していると誰かに嫉妬される事もないとは言い切れない。何となく先程から感じる視線はそのせいなのかとゾクッとした。

 そうこうしているとようやく沖田が帰って来た。神楽は玄関へ思わず出ていくと台所でカレーの入った鍋を覗いている沖田に声をかけた。赤ら顔で少々酒臭い。

「飲んできたアルカ?」

 だが、酔いでも覚めたのか沖田がこちらを軽蔑するかのような目で見た。

「テメー、これはどういう事だ?」

「カレーアル。作ったネ」

「いや、そうじゃねーよ。なんでこんな少ないのか聞いてんだ」

 鍋を覗けば鍋底に少しだけカレーが残っていた。しかし、神楽はカレーライスを食べた覚えはない。これは一体どういう事かと首を捻った。もしかすると誰かが部屋へ入りこんで……いや、神楽は少し考えて分かったと手を叩いた。

「味見したアル!」

「丼鉢で味見でもしたのか? 味見の域を超えてんだろ。まー良いや。今日はもう風呂入って寝る」

 折角美味しく出来たのにと神楽は面白くない気持ちになった。だが、どこか疲れて見えた横顔に何も言わずに部屋へ戻ると布団へと入った。

 昨夜とは違い、部屋は随分と静かなものだった。沖田も既に夢の中のようで寝息が僅かに聞こえてくる。よほど疲れたのだろうか。酒を飲んでいる所を見ると飲み屋で管を巻いていたのか、それとも本当にホスト・クラブ辺りで女性客相手に金を巻き上げて来たのか。どちらにせよ神楽には関係のない事だと目蓋を閉じた。今の問題は銀時との関係である。もう二日も連絡を入れずに外泊している。さすがに心苦しさはあるが、今戻った所でまともに顔を見ることも出来ないのだ。キスをしようとした理由。それを追求される覚悟はまだ出来ていない。神楽は寝返りを打つと胎児のように身を丸めた。

 こんなに想っていても、銀時がこちらに振り返る事はない。どれだけ思いが強くても愛される可能性とは結びつかないのだ。あんなに近くに居たと言うのに銀時の心を掴む事は出来なかった。そうだとしたなら今後、一生無理なのかもしれない。すごく弱気だ。神楽はこみ上げる悔しさに下唇を噛み締めた。

 そう言えばとある時、誰かに言われた言葉を思い出した。

《神楽ちゃんって美人だし、可愛いけど……》

 何となくで集まったグループでお喋りをしていた時の事だ。神楽を入れて四人の少女がファミレスで他愛のない話に花を咲かせていた。少し離れた所に座る少し年上の男性の四人組のグループ。その男性達の視線を感じた一人の女の子がこんな事を言ったのだった。

「ねぇ、多分うちらの話してるよ」

 神楽はその言葉に男性グループの方を見た。すると全員と目が合ったのだ。それでもこちらが見ているから見てるだけかもしれないと思った。

「何か勘違いじゃないアルカ?」

「ううん、絶対違うよ。神楽ちゃん、そういうの疎いよね」

 少しだけ傷ついたが、確かに《テレビドラマ》以外の恋愛には精通していなかった。

「多分、優子ちゃん狙いだよね」

「あ、わかる!」

 どうやらこの四人の少女の内、一番パッとしない女の子狙いとの話だった。しかし神楽にしてみると男性がイイと思うのは、基本的に顔とスタイルの良い女の子だと思っていた。

「えっ、私? そうかな~。神楽ちゃんの方がずっと可愛いし、美人だし……あっ、私ちょっとトイレ行ってくるね」

 優子ちゃんと呼ばれる少女は席を立つとトイレへ向かった。すると、残った女の子達が愚痴るように話し出した。

「確かに神楽ちゃんって美人だし、可愛いけど……ああ言う年上の男の人って、そういうの求めてないでしょ?」

「そうそう。優子ちゃんみたいな娘の方が遊び甲斐あるんだと思う」

 結局、優子ちゃんは席に戻ってくる事はなく、こちらを見ていた四人組の男性もいなくなっていた。

「ほらね。優子ちゃん、やっぱり行ったでしょ?」

 神楽はどういう事だと首を捻った。

「優子ちゃん、帰ったアルカ?」

「違うってば! ついて行ったの!」

 つまり優子ちゃんは、四人の男性とどこかへ遊びに消えてしまったらしい。その意味を神楽も何となくは分かっていた。

「でも、よくやるよね。四人相手にさ~」

「結局、男の人って優子ちゃんみたいに大人しそうに見えて《やらせてくれる》女の子が好きなんだよね~」

 つまりは優子ちゃんにあって、神楽にないもの。それは男性へのガードの緩さと色気であった。男のカラダを知っている優子ちゃんはどうすれば惑わすことが出来るのかを知っているのだ。いくら神楽の見てくれが良くても、その宝を使わずに守り固めていては色気も出ないと言うこと、らしい。そんな事を思い出した神楽は、男を知れば銀時を惑わす色気を出す事ができるのなら、やはり腹をくくるしか無いのだろうかとまで考えていた。いつだって自分が女を見せるのは銀時だけ。そう思っていたのだが、それではいつまで経っても銀時を惹きつける事は出来ないのかもしれない。男を誘う練習が必要なのだろうか? 頭で考えてみるも自分の中にある《女》を意識しなければ何一つ分からなかった。どうすれば引き出して来る事が出来るのか。神楽は自分の中の女を探してみる事にした。だが、それは明日から。今夜はもう寝てしまおうと眠りに就くのだった。

 

 


 

ワン!ラブ:03

 

 翌日。沖田が昼過ぎに出ていった事を確認すると、神楽はある計画を実行に移した。前に新八の部屋で確認済みなのだが、男性の部屋にある可能性の高い《18禁DVD》の捜索にあたった。それを観て《女》を知る参考にしようとおもったのだ。

 沖田の部屋へ入ると、持ってきた荷物の中を探った。着替えに落語のCD。それからお菓子、酒……そして、謎の棒。神楽はこれに見覚えがあった。アダルトな玩具屋で見たことがあるのだ。しかし、何故男である沖田がこんなものを持っているのか。少々背筋が寒くなると静かに鞄の中へとしまった。だが、そこにあったのは謎の棒だけではない。謎のマッサージ機や謎の××××。どれもこれもまだ箱に入った状態ではあったが、アダルトな玩具で溢れていた。

「アイツ、一体何考えているアルカ!」

 沖田がよく《調教》などと口にしていたが、あれは冗談ではなさそうだと身震いを起こした。こんなものをもし使われてしまったら……神楽は頭を振ると、今は《18禁DVD》の捜索が最優先だと探索を続けた。

 あった。見つけた。見つけた事には見つけたが、そのパッケージからして何の参考にもならない気がした。

「野外……調教……羞恥……ペット!?」

 犬のように首に鎖を付けられた女性が縄で縛られ、あられもない格好をしている。これは特殊過ぎると神楽はそっと鞄へ戻した。もしこんな格好をして銀時に迫っても恐れられるだけである。惹きつけるどころかドン引きだ。全く参考にならなかったと神楽は沖田の部屋から玄関側へ出ると、ちょうど帰ってきた沖田と目が合った。

「テメー、俺の部屋で何してた?」

「あっ、えっ、そ、そう! 掃除してたネ!」

 咄嗟に嘘を吐いた神楽に沖田が迫った。

「俺の荷物、いじってねーだろうな?」

 神楽の目が分かりやすく泳ぐ。

「見たな」

「見てねーヨ……」

「そうか。なら、使ったのか?」

 神楽は顔を真っ赤に染めると沖田に食って掛かった。

「誰があんな玩具使うアルカ!」

 そこでようやく失態に気がつくとその場に正座させられた。

「躾のなってねぇペットだな。飼い主の面を拝んでみてーもんだぜ」

「誰がペットダヨ!」

「ああ、確かにペットってよりは、猛獣か」

 どっちにしても沖田から見る神楽は人間ではないらしい。

「あれはな、隊の野郎どもが餞別だと言って、ふざけて渡して来ただけだ」

 いやいやいや、それには無理があるだろうと神楽は首をブンブンと横に振った。自分でこう言うのもなんだが、神楽との同居が決まり何かを期待して購入したと言った方がまだ納得できるのだ。だが、この神楽を人間だとも思っていない沖田がそんな事を考えたとは到底思えない。神楽は考え過ぎだと沖田の言い訳を信じる事にした。

「それでテメーはなんで俺の鞄を見た?」

「何か食べ物がないかと思って……」

 これも苦しい言い訳だ。冷蔵庫にはまだプリンも鎮座している。まさか沖田も神楽が銀時を振り向かせる為に《18禁DVD》を探していたとは夢にも思わないだろう。黙っていればバレはしないだろうと少し余裕ぶっていた。

「正直に言え」

「本当のことアル」

 すると沖田は薄笑いを浮かべて自室へと入った。そうして戻ってくるとその手には禍々しい姿形の玩具が握られていた。それはウネウネとよく分からない動きをして回っている。

「良いか、本当の事を喋らねーとコイツを突っ込むからな」

 神楽はその玩具の奇妙な動きに恐怖を感じた。だが、正直に話す事はしたくない。この状況を切り抜けるにはどうすれば良いか。神楽はこんな時にこそ、自分の中にある女の真価が問われるような気がしたのだ。逆に男を手玉に取れるくらいでないと銀時を振り向かせるなど夢のまた夢なのだ。神楽は強気な表情をすると立ち上がった。こんな所で経験がないからと焦ってはいけないと僅かに口角を上げてみせた。

「そんな玩具しかお前は突っ込む事が出来ないアルカ? もしかして不能って奴ネ?」

 突然の神楽の口撃に沖田もたじろいだ。想定外の反撃だったのだろう。だが、そう簡単に怯む沖田ではない。額に汗を滲ませ不敵に笑ったのだ。

「その言葉、挑発と受け取って良いんだな?」

 神楽もさすがにこれ以上沖田を刺激してはいけないと感じていた。気付いたのだ。沖田はペットだ、猛獣だと言ってはいるが、神楽に《女》を見ていると。このまま強がって沖田の売り言葉を買ったら……戻れなくなるような気がしたのだ。不能だとバカにされた沖田は、きっと体をもって神楽に教えるだろう。オレのモノは機能するのだと。

 神楽は場の空気を変えようと沖田へ拳を打ち込むと……それを沖田は手のひらで受けた。

「なにマジになってるアルカ? お前らしくねーアルナ」

 すると沖田は神楽の拳を離すと、黙って部屋へ戻っていった。

「変なやつ」

 そう呟きはしたが、内心バクバクだ。心臓が激しく脈を打ち、まるで怖かったとでも言うように震えている。あの沖田にビビる事なんて今まで一度もなかったのに……それなのに今はほんの僅かだが、勝負に勝てない怖さを感じたのだ。もしあのまま沖田の言葉に頷いていたら一体どうなっていたのだろうか。その先を想像すると体が熱くなるのだ。きっとイヤらしい事を二人でしたのだろう。そんな事を考えていると初日の夜、二人で眠った事を思い出した。あの時はすごく邪魔だと言っていたが、本心ではイヤらしい事をしたかったのだろうか? 神楽はアクシデントで握ってしまった沖田の硬い性器を頭に思い浮かべると、居ても立ってもいられない程に恥ずかしくなった。神楽は慌てて部屋へ戻ると畳の上を転がり回った。アレを女性の膣へ挿入する行為の事は知っている。沖田がこの自分とそういう事がしたかったのだと思うと、襖一枚を隔てたこの空間が世界中でもっとも危険な場所に思えた。今夜から安心して眠ることが出来ないと、神楽は初めて沖田を男と意識するのだった。

 

 その後、沖田は夕方頃出ていくとその晩は戻らなかった。どこかの女の家にでも泊まっているのだろうか。そしてイヤらしい行為に思う存分耽っているのかもしれない。一瞬、頭に嫌な映像が流れた。銀時が月詠と肌を重ねている景色が見えたのだ。動悸が激しくなり、息も苦しい。どうして銀時は神楽の心をここまで苦しめるのか。だが、当の本人は何も知らないのだ。それはとても無責任であり、しかし誰にもそれを責める事は出来ない。何故なら銀時が願った事ではないからだ。きっと銀時は神楽に愛される事を望みはしないだろう。それでもここまで惚れさせた責任はあるのだと神楽は思っていた。好きになっちゃいけないなら、優しくしないで欲しかった。自分勝手で自己中心的な考えなのだろうが、それが恋スルと言うことなのだろうと神楽は受け入れるしかなかった。

 

 

 翌日、沖田が戻ってきたのは昼過ぎであった。前回よりも酒臭く、この時間まで飲んでいたのだろうかと少々嫌悪感も抱く。一体何の仕事をしているのか。やはり本当に女性をたぶらかすような仕事をしているのか。しかし、今は良いだろうがいつまでもこんな仕事をしていれば、いずれ体を壊すだろう。神楽は玄関で倒れ込んでいる沖田を引きずると布団まで運んでやった。すると沖田が神楽の腕にしがみついた。

「客と勘違いしてるアルカ? お前、少しは考えて飲めヨ」

「俺は、俺はな……剣の道でしか……生きられねーんだよ」

 その言葉に神楽は引き剥がそうとしていた沖田の腕をそっとしておいた。それは昨日、勝手に鞄を見た事への罪悪感からではない。純粋に同情したのだ。万事屋という唯一無二の居場所を無くした自分と重なった。沖田も素直ではない男だ。土方に頭を下げて戻ることは今はまだ出来ないのだろう。神楽もその気持はよく分かった。

「近藤さんが結婚しちまって、あの野郎がエラソーに俺に指図するようになって……気に食わねーんだよ」

 神楽は沖田の傍らで正座をすると、沖田はすがるように神楽の腰を抱き、膝に頭を乗せた。こうして弱い部分を見せる沖田に神楽はどこか安心した。誰しも脆い心を持っていて、それをギリギリまで見せずに生きている事を知れたからだ。神楽は自分ひとりが逃げ出して、弱いわけでないと少し心が許せた。

「現状を受け入れろなんて、そう簡単に出来ないアルナ」

「……そうだ。俺は足掻きてェ」

 神楽は思わず見えている頭に手を伸ばすと髪を撫で付けた。すると沖田の赤い顔がこちらを向いた。そしてニヤリと笑っている。

「おい、チャイナ娘。俺と結婚しねーか」

「は、はぁ!? なんでお前と!?」

「近藤さんが結婚したくらいだ。きっと結婚って奴にはスゲー力があるに決まってる」

 そんな理由で結婚など出来るわけがない。それも沖田となど。

「じゃあ、他の人としろヨ」

 沖田はその言葉にどこか冷めたような表情をすると、神楽の長いツインテールの髪先を指に絡めた。

「そうだった。テメーは旦那に惚れてんだ」

 その言葉を否定しようとして、沖田のやけに強い眼差しに言葉が出なくなった。

「フラれて出てきたのか?」

「……似たようなもんアル」

 もう哀れだと思われても構わない。本当のことなのだから。それにこれだけ酔っているなら、明日には忘れているだろうと思ったのだ。それなら尚のこと都合がいい。少し吐き出せば、この胸の苦しみもラクになるだろう。

「じゃあ、なんのシガラミもねーだろ? 俺と結婚しろ」

 神楽はおかしいと笑った。

「なんでそんな自信に溢れてんダヨ。お前と結婚するメリットは何ネ?」

 神楽は酔っぱらいの戯言だと聞き流してはいたが、先程からこちらを真っ直ぐに見つめる沖田にどこか気持ちが落ち着かなかった。

「旦那のこと、忘れさせてやる……」

 卑怯だ。神楽は視線をそらすと畳を見つめた。こんな弱気な時にそんな言葉を投げかけられては、いくら相手が酔っぱらいであっても、いくら相手が沖田であっても揺らぐのだ。

「お前、酔いすぎダロ」

 誤魔化してみるも、高鳴る鼓動は胸の留め金を外そうと震えている。沖田がゆっくりと体を起こして、目の高さが揃うともう逃げ場はどこにもなかった。

「酔ってる時にしか言えねーって事が分かんねえのか」

 そんなふうに言われてはもう神楽も逃げ回ってはいられない。沖田のこの言葉が嘘でないのなら、それに対して真っ直ぐに気持ちを伝えるべきなのだろう。不慣れな状況ではあったが、今まで胸の中に押し込めていたものを神楽はポツリポツリと吐き出した。

「でもきっと、どんな事をしても銀ちゃんの事は忘れられそうにないネ……」

 沖田は黙って神楽を見つめていた。

「馬鹿だって思うだろうけど、銀ちゃんといつかは……なんて心の奥でまだ思ってるアル」

「お前のこと、探しにも来ねーのに」

 求められていない事などわかっているが、それでも希望をいつまでも捨てきれない。本当は落ち込んで家から一歩も外に出られないんじゃないのだろうかとか、都合のいい考えが頭を埋め尽くす。

「はっきりフラれたのか?」

 神楽は小さく首を横に振った。何か言葉で言われたわけではない。総合的な判断からもう無理だと悟ったのだ。

「勝負もしねー内に尻尾巻いて逃げ出したってわけか? テメーらしくねーや」

「そう言うお前もトシにヤラれっ放しで黙ってんのカヨ」

 すると沖田は神楽にぐっと詰め寄ると目を細めた。

「誰がヤラれっ放しだって? 分かった。良いだろう」

 沖田はそう言うと、着ているスーツのジャケットを脱ぎ捨てた。そして、ズボンのベルトにも手を掛けた。神楽は急に何事かと驚いて見ていると……沖田は真選組の隊服に袖を通したのだ。

「今から土方さんに話つけに行く。だからテメーも旦那と勝負しろ」

 そう言って沖田は刀を帯刀し、引き締まった表情を作ると部屋から出て行った。それを神楽は惚けた顔でただ見ているだけであって。不覚にも心臓がときめいて、格好いいだなんて事を思ってしまったのだ。

「……アイツ」

 神楽は沖田の見せた背中に自分にも向きわなければならない現実がある事を自覚した。いつまでもこの部屋で沖田に飼われているわけにはいかないのだ。

 神楽は数日ぶりに外へ出ると、陽の光を浴びた。もうそろそろ夕暮れだと言うのに、空の向こうに沈みゆく太陽はまだまだ影響力を持っている。月が昇る前に、太陽の光がある内に……神楽は万事屋を目指すのだった。

 

 万事屋の戸の前に立った神楽は開けることも出来ず、ただジッと震える手を握りしめていた。だが、戸の前に大きな影が見え、中から玄関が開けられた。思わず目を瞑るも、大きな舌が神楽の頬を舐め、それがすぐに定春のものであると分かった。

「ごめんアル……」

 神楽は定春を抱きしめると、暗い室内にゆっくりと足を踏み入れた。玄関に銀時の靴があって、他には誰もいない。だが、こちらに顔を見せないと言うことは眠っているのか――――神楽は覚悟を決めると廊下を歩き居間へ向かった。

「よぉ」

 居間へ入ればソファーに寝転び漫画雑誌を読んでいる銀時が居た。あの日と何も変わらず、時間など一秒も経っていないかのような錯覚に陥った。だが、銀時は月詠と過ごした日々があり、神楽も万事屋を飛び出して沖田と過ごした。それは間違いなく存在しているのだ。

「新八、心配してたぞ。おめぇが黙って外泊してるもんだから」

 銀時はどうなのか。神楽は突っ立たまま仰向けに寝転んでいる銀時を見下ろしていた。すると顔の前に掲げていた漫画雑誌を退け、銀時と目が合った。その瞬間、神楽の心臓がズキンと痛み、思わず顔が歪んだ。

「まー、少しは悪いと思ってるみてーで安心したわ」

 銀時の顔には何の感情も表れていなかった。それが恐怖でもあり、再びこの自分を受け入れてくれるような優しさも感じる。だが、もう《なあなあ》では済ませない。一度しっかりと結末を迎えた上で今後どう生きるのかを決めたいのだ。もう子どもと言う殻を脱ぎ捨てる時期なのだろう。

「あの日……万事屋を出てった日。私、銀ちゃんにキスしようとしたアル」

 銀時はソファーの上に体を起こすと何食わぬ顔でこちらを見ていた。

「それで?」

 少しも驚きもしない。こうなる事は想定していたが、目の当たりにするとやはり傷つく。だが、神楽は沖田との会話を思い出し、ここで逃げてはいけないと握りこぶしを作った。

「でも銀ちゃんにバレちゃって……怖くなって逃げ出したネ。それにもう我慢出来なかったアル……銀ちゃんとツッキーのこと……」

 そこまで喋ってようやく銀時の瞳が揺れると、銀時はガシガシと髪を掻いた。

「なんだよ、知ってたのかよ」

 銀時の口から出た言葉は否定ではなかった。やっぱり二人はそういう関係だったのだ。今までは神楽の想像に過ぎなかったのだが、この瞬間それは事実となった。自分は銀時に選ばれなかったのだと。神楽は俯くと足元を見つめた。ここで泣いてはいけない。泣いたって銀時の心を動かせるわけではないのだ。神楽は奥歯をキツく噛みしめると顔を上げて髪を揺らした。

「本当に……ムカつくアルナ!」

 突然の神楽の大声にさすがに銀時も驚いたようで顔を引きつらせていた。

「ツッキーと付き合ってる事、なんでずっと黙ってたアルカ! それ知ってたらお前みたいな毛玉のモジャモジャなんて好きにならなかったアル! もっと金持ちで臭くなくて、よく働くいい男捕まえて今頃幸せにケンタの皮食べてる所だったのに! それなのに!」

 そこまで神楽はまくし立てるように喋った。そして銀時の胸ぐらを掴みにかかると、ゆっくり空気を吸い込み、そして言った。

「こんなにも好きにさせるなんて、ヒドいアル」

 言いたい事を言ったからだろうか。気持ちが軽くなり、今なら笑える気がしたのだ。それになんだかお腹も空いてきた。神楽は銀時の胸ぐらから手を離すと、立ち上がり背を向けた。

「ちょっとばかし片付けてくるもんがあるから、明日には帰って……」

 神楽は背中に感じる熱に目を大きく見開いた。体の正面へと回される腕。頭の後ろにかかる息と甘ったるい懐かしい匂い。神楽の心臓は激しく震えた。

「神楽……悪かった……」

 ズルい。神楽は下唇を噛みしめると目蓋を閉じた。こんな事をされては簡単に許してしまいそうなのだ。思わせぶりな事ばかり。そして神楽の心を振り回す。謝って済む問題ではない。もう自由にして欲しい。どうして手放してくれないのか。神楽は胸が苦しいと浅い呼吸でフラフラになっていた。その体を銀時の逞しい腕が支える。それにすがってしまいたくなる。どうしてこんな事をするのだろうか。突き放したと思ったら優しくして。

「でもな、お前とそういう関係にはなれねえんだよ……神楽の事は大切だけど、別の野郎と幸せになってくれ……」

「そうアルカ」

 この抱きしめる腕は家族を抱く、また別の家族のものなのだ。父と娘。兄と妹。それと同じだと言うことなのだ。これ以上の進展はない。銀時にとっての神楽は大切な仲間であって、愛する女性ではない。神楽は最後の力を振り絞って銀時の腕から逃れると、沖田と暮らすアパートを目指して走った。

 

 暗い部屋に着くと部屋に籠もり、膝を抱えてひたすら泣いた。木っ端微塵に玉砕し、完膚なきまでに叩きのめされた。再起不能。神楽は泣き疲れるといつの間にか眠ってしまうのだった。

 

 

 どれくらい眠っただろうか。窓の外は暗く、だが隣の部屋からは明かりが漏れている。沖田が帰ったようなのだ。いつ帰って来たのかと思いながら体を起こすと、頭の近くにペットボトルが置かれていた。見れば炭酸飲料で、沖田が買ってきたものだと分かった。

「あのドS、気が利くアルナ」

 ボソリと呟いた神楽は沖田の気遣いに妙な照れを感じたが、その親切を素直に受け取った。沖田の方はどうだったのだろうか。土方と上手く話をつけられたのか。神楽はペットボトルのキャップを捻ってジュースを開けると――――

「ぎゃああー!」

 その瞬間、泡が噴き出し神楽は頭からジュースを被ったのだった。

「イマドキそんな古典的なイタズラに引っかかる馬鹿もいたもんだな」

 そう言って襖を開けた沖田は腹を抱えて笑っていた。だが、神楽はそんな沖田を見上げてただ呆然としていたのだ。笑えない。怒れない。ただただ悲しかった。感傷的になり過ぎているせいなのだろうが、いつもみたく沖田に仕返しなどとは考えられなかった。ペットボトルを持ったまま、神楽は真っ青な瞳でずぶ濡れのまま沖田をただ見ているだけであった。さすがに沖田も笑う事をやめると神楽の異変に気付いたらしくタオルを持ってきた。だが、神楽の髪も肌も服も下着もベタベタだ。

「……そんなに泣くことかよ」

 沖田は真面目な顔をすると神楽の腕を取って立ち上がらせた。そして、引っ張ると風呂場へ連れて行くのだった。

 

 沖田は靴下を脱ぎ、上着を脱ぎ捨てるとズボンの裾をまくり、神楽を風呂場へ引き入れた。その間も神楽は瞳から溢れてくる涙にどうする事も出来ずボーっとした顔で沖田を見ていた。

「ひでー顔」

 沖田はそう言って神楽の頭からシャワーのお湯を掛けると、長い髪は濡れ、服も下着もグッショリと濡れていった。その感触は気持ち悪いのだが、だからと言ってもう脱ぐ気力もない。神楽は風呂場の壁にもたれながら黙って沖田を見上げていた。

「なんか言え。気味悪いな」

 そんな乱暴な言葉を吐く癖に、神楽の涙を拭う手は温かいものであった。銀時の優しさとは違う、神楽を振り回すものではなかった。真っ直ぐで血の通った温もりだ。その手が頬を撫でる度に神楽の胸はくすぐられ、瞳も乾いていく。ゆっくりと瞬きをすると神楽は沖田の手に触れてみたいと手を伸ばした。すると二人の手は重なり……沖田が神楽の指に自分の指を絡めた。僅かに震えているその手は沖田の心臓を表しているようであった。

「……笑えよ」

 どこか赤く見える頬でそう言った沖田に神楽は僅かに微笑んだ。沖田の優しさがひび割れた胸に染み渡り、とても心地良いと感じはじめたのだ。そしてようやく気付く。沖田の想いに。素直ではない男故に分かりづらい事もあるが、それでも沖田がこうして神楽の世話を焼くのはただ単に《放っておけない》からではないと。先程も結婚しろと口にした事からもそれはよく分かる。神楽は静かに口を開くと銀時との事を話した。

「正式にフラレて来たアル」

「見りゃ分かる」

 これだけ泣いているのだ。誰から見ても神楽がフラれた事は分かるだろう。

「それでどーすんでィ」

 沖田の手が神楽の指をくすぐると、神楽は顎を引いて上目遣いになった。

「万事屋にはちゃんと戻るアル……」

 どこか沖田の目が寂しそうであった。

「でも、お前も屯所に帰るんダロ?」

「どうしても戻ってくれと泣きつかれちゃ無視もできねーからな。それにあの野郎を蹴落として俺は局長に収まるつもりでィ」

 いつも通りの沖田だ。それなのに先程から胸の高鳴りが止まらない。それは絡んでいる指のせいなのか。それともこちらを見下ろす緋色の瞳のせいか。

「じゃあ、今日でこの部屋ともおさらばネ」

「そういう事になるだろうな」

 つまりそれは二人で暮らす日々の終焉であった。初めは逃げ出した居場所の無い者同士の隠れ家だったが、今ではここが自分の居場所のようにさえ思える。このアパートを出たからと言って一生会えなくなるわけではない。それなのにどこか寂しさが身を包んだ。

 沖田が何かを言いたそうにこちらを見ている。だが、珍しくその口は言葉を遠慮し、謹んでいた。神楽だってそうだ。赤い頬で押し黙っている。ただ二人の視線だけが溶け合って、言葉よりも深く互いを感じていた。昼間、どうやっても銀時を忘れる事など出来ないと沖田には言ったが、今神楽の瞳の中に居るのは沖田だけであった。後ろから抱きしめた銀時と、正面から指を絡める沖田。グラグラと足場の不安定さに神楽の心は一気に沖田へと傾き出す。ひとはそれを《弱さ》と呼ぶのかもしれないが、沖田はそんな神楽をずっと期待して待っていたのかもしれない。神楽が銀時を想っていたように――――――

「お前、昼間言ったこと……覚えてるアルカ?」

 沖田の体が神楽へと近づいた。

「酔ってなんか言ったんだろーが……何言ったのか教えてくれ」

 神楽は沖田の目を覗き込んだ。これは本気で言っているのか、からかっているのか。しかしどちらであるのかは分からなかった。

「なぁ、チャイナ娘。教えろよ。覚えてんだろ?」

 そう言って更に迫ってきた沖田に神楽は遂に顔を横に向けた。これは絶対にからかっているのだ。神楽は赤い顔で言った。

「お前こそ覚えてんダロ?」

「いや、忘れた。だから言えよ。別になんの問題も無えだろ?」

 分かっていてこの態度。余裕があって強気で腹が立つ。神楽は沖田を睨みつけると……やけに赤い頬を見つけた。まさか沖田が照れているのだろうか。人並みに恥ずかしく思っているのか? 神楽はそれが不思議であった。こんなカオをするなど想像も出来なかったからだ。今まではずっと取っ組み合って、潰し合って、時には支え合って来たが何か直接的な言葉を交わす事はなかったが、それでも神楽がいつでも背中を預けられる男であった。それが今は向かい合い、同じようにシャワーのお湯で服を濡らして、こうして赤い顔で指まで絡めている。おかしな状況だとはわかっている。それなのに少しも嫌じゃない。神楽は沖田と二人で数日間暮らす事の出来た理由がようやく分かった気がした。

「結婚しろとか、銀ちゃんを忘れさせてやるとか……そんなふざけた事言ってたアル」

 小さく力のない声で神楽は言った。その言葉を思い出すだけで鼓動が速まり、繋がっている指先が熱くなるのだ。

「ふざけた事?」

「そうダロ! だって、あんなのは酔っぱらいの……」

 沖田の顔が神楽の耳元に近づいた。

「今なら信じるか?」

 沖田の吐く息が熱い。耳にかかる吐息はどこか苦しそうで神楽の呼吸もつられて浅いものへと変わる。胸が張り裂けそうな程に膨らんでいく。銀時を想っている時とは別の苦しみだ。それは胸の詰まるようなものではなく、何かが奥底から湧き上がってくるような不思議な感覚。キラキラとしていてそれでいて淡く、手に取ることのできないもの。それが胸から溢れ出ないように必死に押さえ込んでいるのだが、もう限界が近いようだ。神楽は沖田の手をしっかり握ると甘えるような、とろけるような瞳で言った。

「信じさせてみろヨ」

 沖田が赤い顔を神楽に寄せると神楽は目蓋を閉じた。それが合図とでも言うように沖田の唇が神楽へと付けられる。ヤケドしそうな程に熱い唇が神楽の小さな唇へと重なる。そうして沖田の空っぽの片手が神楽の腰に回されると二人の体は密着した。濡れた服の気色の悪い感触だとか、少しの肌寒さ、腫れぼったい目蓋。そんなものが気にならないくらいに神楽の頭は真っ白になっていった。軽く唇を吸われ、それがくすぐったくも心地よい。そうして軽い口づけを終えると沖田が顔を離した。

「……信じたか?」

 神楽はハァハァと息を切らしながら潤んだ瞳で沖田を見ていた。沖田も苦しそうに呼吸を乱している。心臓が痛い。

「たった一回くらいじゃ……分からんアル……」

 沖田の顔が僅かに歪んで、そして再び唇を奪われた。だが、今度は唇を吸われるだけではない。温かな舌が中の方へと入ってきた。それがヌルヌルと神楽の舌の上を滑り、舌先がビリっと痺れた。

「んッ……はぁッ……はぁッ……」

 鼻から声が漏れる。するとその声が沖田にも届いたのか更に呼吸を乱すと、激しく舌がうごめいた。風呂場にクチュクチュと卑猥な音が響き始める。沖田の唾液と神楽の唾液が口の中で混ざり、それが擦り合わされているのだ。神楽はどうする事も出来ず沖田にされるがままであった。すると沖田はそれに満足しないのか神楽に言った。

「テメーも舐めろ」

 そう言われてもこんな事は慣れてない上に恥ずかしい。だが、体は興奮しているらしく再び唇が重なると、分からないなりにも沖田の熱い舌を舐めるのだった。

 頭がフワフワとする。舌が気持ちいいのだ。もっとずっとこうしていたい。沖田とずっと引っ付いていたい。そうした欲求が生まれると、次はもっと過激な願いに変わってしまうような恐怖を感じた。

「ふんッ……んッ、ぁッ、はぁッ……」

 沖田の舌が絡まって、そして熱い息に染められる。神楽の体は燃えそうな程に熱くなっていた。いつの間にか指と指は離れ、沖田に強く抱きしめられていた。しかし、体の力はどんどんと抜けていく。もうダメかもしれない。そう思った時、沖田が唇を離したのだ。そして神楽の耳元に顔を埋めるとやや掠れた声で言った。

「頼むから旦那のこと、忘れてくれ」

 弱気だ。いつになく小さな声で、震えているようにも感じた。神楽はもう自分の気持ちが分かっていた。はっきりと見えていたのだ。幸せだと感じているのが誰の隣であるのか。神楽は沖田の背中へゆっくりと腕を回すと、唇を尖らせ、不貞腐れたような顔で言った。

「誰がお前の指図なんて受けるかヨ」

 しかしその頬は薔薇色に染まっており、口元に笑みが零れた。

「頼まれなくても……お前のことしか……考えられんアル」

 沖田の胸に顔を埋めながら神楽がそう言うと、沖田はニヤリと余裕ぶって笑った。

「俺のチュウがそんなに良かったか?」

 その言葉に顔を真っ赤に染めた神楽が沖田を睨みあげた。

「誰がそんな事言ったアルカ! 自惚れてんじゃねーヨ!」

 そう言って腹を殴ると沖田は悶絶し、床を転がった。

「殴ることねーだろ! さっきも同じとこ土方さんにも殴られたばかりで! ああああああッ!」

 どうやら真選組に戻るにあたりある程度のケジメはつけさせられたらしい。それでも再び沖田が真選組に戻れて良かったと思っていた。

「お前、私を嫁にもらう気ならそれくらい耐えろヨナ。あ~あ、なんかお腹空いてきたアルナ」

 そう言って神楽は沖田を尻目にチャイナドレスの胸元を摘むと、濡れている服をどうしようかと悩んだ。そこでちょうど涙目で転がっている沖田と目が合った。少しの沈黙が流れる。

「……しゃッ、シャワー浴びようカナ」

 すると沖田は急に立ち上がり、服を脱ぎはじめた。

「俺も今から風呂に入るところでィ。奇遇だな」

 何が奇遇ダヨと思いながらも神楽は甘い表情で沖田を見つめた。

「お前が服濡らしたせいで、脱げないダロ。どうしてくれんダヨ」

 そう言ってまだ熱の冷めない神楽がそそのかすと、沖田は白い歯を溢して笑った。

「しかたねーな。手伝ってやらァ」

 そうして風呂場の戸がしまると、しばらく二人は閉じこもるのだった。

 

2016/10/01