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土神

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つかず離れずでも最終的には距離が近くなるストーリー

神楽に対して思わず恋心が芽生える

大人を理由に戸惑う男の心揺れ


magnet.:01/土神(リクエスト)

 

 ワイパーが雨を弾き、そしてまたガラスを濡らす。土方はパトカーのハンドルを握りながらあまりの視界の悪さに険しい表情を浮かべていた。

「梅雨とは言え、こう毎日降るか? 普通」

 ブツブツと文句を垂れながら信号待ちでタバコに火をつけた。僅かに開けた窓。その向こう側でまるで踊るように通りを渡る派手な少女を見たのだ。真っ赤なチャイナドレス。あんなものを着ているのは大都会の江戸であれ万事屋の神楽くらいのものであった。

「ガキには梅雨も関係無えのか」

 ふぅっと息と共に煙を吐きだせば、少しだけ気分も回復した。雨の中、傘も差さずにはしゃぐ少女。それを見てどこか心が洗われた気になったのだ。

 

 また別の日。土方は炎天下の中、パトカーのハンドルを握っていた。茹だるような暑さ……は、車外にあって土方の顔は随分と涼しそうなものだ。外を見るも皆が同じような溶けきった顔をしており、アスファルトにそのまま吸い込まれていきそうだ。

「……ご苦労なこった」

 どこか他人事であり、我関せずと言った態度を取っていた。

 パトカーが赤信号で停車する。ふと窓の外を見れば大きな番傘に身を隠す神楽の姿を見つけた。夏の陽射しに怯えるその姿は、いつもに増して彼女を小さく見せた。夏には不釣り合いな白い肌。それが焦げないようにと気を遣って歩いている。

「オイ! ポリ! 信号青だぞコラァ!」

 突然、クラクションと怒号が聞こえて土方は舌打ちをすると車を出した。神楽を横目に見ながら。

 通り過ぎて遥か向こうへと神楽が消えるも、土方に芽生えた罪悪感は拭えなかった。少しは『乗せてやれば良かった』そう思うのだ。だが、今更引き返して拾うことはしない。そもそも、そんな事をしてやる義理はないと屯所へと走るのだった。

 

 また別の日の事だ。沿道は赤や黄のモザイクで埋め尽くされ、そろそろ頬を撫でる風に肌寒さを感じる。

 この日、土方は見廻りで街を歩いていた。落ち葉を踏みつけ、タバコを咥えながら。歩くにはそう悪くない気候であった。少し前まで猛暑だったとは思えない程だ。そんな土方の真横を一台のスクーターが通り過ぎて行った。木刀をぶら下げた男の後ろでチャイナドレスの女がしがみ付いていた。土方はこの二人がどこのどいつか知っていた。相変わらず仕事にあぶれているのだろう。それにも関わらず暢気なものだと思わず口角を上げた。

「……いや、あいつ。ヘルメット被ってなかっただろ!?」

 しかし、もうその姿は見えなくなっていた。

 

 これもまた別の日だ。吐く息が白く、土方の鼻先もやや赤くなっていた。先ほど買ったばかりの缶コーヒーを停車中のパトカーで飲みながら一服していた。昨晩降った雪が路面を覆い、運転に神経をすり減らすのだ。タバコとコーヒーがそんな体に染み渡っていく。今日は早いところ引き上げて屯所へ戻るかと考えていた。そんな時、目の先にある公園から沖田が飛び出して来たの。

「あっ! 総悟ォ!」

 またいつものように公園でさぼっていたのだろうか。だが、たださぼっていただけではないようで……巨大な雪玉を頭上に掲げた神楽に追い回されていた。

「……あいつら」

 土方は思わず項垂れると額に手を当てた。そして沖田の断末魔と思われる叫び声を聞かなかった事にすると、土方はパトカーを出すのだった。

 

 

 そしてこれも別の日だ。雪が雨に変わり、外気もそろそろ穏やかなものへ変わろうとしていた。それでもまだこの時期の雨は冷たい。打たれれば体を冷やすだろう。土方は路肩にパトカーを停めてハザードを焚いた。カッチカッチと規則的な拍子が聞こえ、雨の音と――――そして、土方の心音とが絶妙な重なりをみせていた。

 土方は目を閉じたままタバコの煙を吐き出すと灰皿へと押し付けた。窓ガラスの向こうで少女が一人しゃがみ込み、雨に濡れているのだ。いつか見たを踊るように通りを渡る快活さは皆無だ。土方は小さく舌打ちをするとドアを開け傘を差した。そして、神楽の元へ駆け寄ると二人がひとつの傘へと収まった。

 

 後部座席で顔を伏せている神楽に土方は何も尋ねられずにいた。何故傘も差さず濡れていたのか。何故今にも泣き出しそうな顔をしているのか。

「……万事屋まで送ってやる」

「今は帰りたくないアル」

 か細い声で言った神楽に土方は面倒臭い事になったと小さくため息を吐いた。だが、その後に聞こえた神楽のクシャミに仕方がないと、とりあえず屯所まで連れて行く事にしたのだ。

 

「総悟も山崎も居ねェのか?」

 屯所に着くも非番の二人は出掛けているらしく、神楽を押し付けようと思っていた当てが外れた。だが、連れて来た手前放ってはおけないと、まだ立ち直っていない神楽を連れて私室へと向かうのだった。

「とりあえず着てるもの全部脱げ」

 そう言って白いシャツをクローゼットから取り出した土方を神楽は軽蔑するような目で見ていた。

「なんだその目は? 風邪引いても良いつうなら……」

「お前が居ると……着替えられないダロ」

 神楽が言った言葉にようやく見えていた表情の理由を知ると土方は慌てて廊下へ出るのだった。すっかりと抜け落ちていたが、神楽は子どもとは言え女の子であった。男所帯のせいか、そんな当たり前の事すらも忘れてしまっていたのだ。

「……着替えたアル」

 その言葉に襖を開けた土方は、もう一つ忘れていたものに気が付いた。だが、それは気のせいであると唾と一緒に喉の奥へと飲み込んだ。

「なら、脱いだものを貸せ。乾燥機にかけて来てやる」

 神楽からチャイナドレスと小さなパンツを預かった。そして汗が吹き出る。今、この俺の部屋でこの俺のシャツを着ている少女は下着を身につけていないと知ったのだ。だが、何でもないふうを装うと土方は預かったものを乾燥機へとかけにいった。

 

 部屋へ戻れば神楽は隅の方で膝を抱えて丸まっていた。シャツが大きいせいか体がすっぽりと隠れてはいたが、それでもそのポーズが土方を落ち着かなくさせた。あまり見てもいられないと文机に向かった土方は神楽に背を向けこう切り出した。

「……万事屋で何かあったのか?」

「別に」

 言いたくないのだろうか。それ以上何も追及しない事にすると、土方は机の上の書類を手にした。すると、神楽の方が尋ねて来たのだ。

「なんで声かけたネ?」

 土方は目を閉じると息を吐くように言葉を出した。

「別に」

 そして部屋は静かになると、神楽がこちらへ近づいてくる畳の擦れる音が聞こえた。

「銀ちゃん達は関係ないアル。でも、顔合わせたくなかったネ。今だけは」

「……そうか」

 傘も持たずに家を飛び出して来たのかと思ったが、どうやらそうではなかったようだ。ならば傘はどこへやったのか? ひとつの疑問が浮かび上がる。

「傘は?」

「どっかいっちゃった……」

「失くしたのか?」

 神楽は答えなかった。もしかすると思い当たることがあるのかもしれない。だが、無理に訊き出す事はしない。これは取調べでもなんでも無いのだから。土方は再び意識を書類へ戻すと、神楽のことはもう気にしない事にしたのだ。タバコを口に咥え、火をつけた。

「なぁ、お前……ファーストキスいつだったネ?」

 思いもよらない言葉に土方は咳込んだ。なんてことを聞くのかと驚いたが、これくらいの年齢の少女なら普通なのかもしれないと落ち着きを取り戻した。

「聞いてどうするつもりだ?」

「別に」

 さっきからそればかりである。土方は目を閉じると大きく溜め息を吐いた。

「なら黙ってろ」

「……でも、暇アル」

 確かにこんな自分と二人だけでは神楽も暇ではあるのだろう。土方はどうするかと頭を軽く掻いた。こんな格好である以上、この部屋からおいそれと出すわけにもいかない。

「普段、万事屋で何して遊んでんだ」

「テレビ観たり、オセロしたり、そんなんネ」

「オセロか」

 しかし、子どもが遊ぶようなものを土方は持っていなかった。

「なら、テレビでも観てろ。分かったら邪魔だけはするな。いいな?」

 そうしてようやく大人しくなった神楽だったが、夕暮れ前のドラマの再放送が別の問題を引き起こすのだった。

 

 テレビは背後にあり見えないのだが、音声だけは嫌でも飛び込んでくる。

『どうして……抱いてくれないの……?』

『ごめんでゴザル……拙者は……他に好きな人が……』

『いや! 今すぐここで抱いて! めちゃくちゃにしてよ』

 土方はすっかり集中が削がれると真剣にドラマを観ている神楽に怒鳴った。

「ンなもん観てんじゃねェ! 教育番組を見ろ! 教育番組を!」

 しかし、神楽は冷ややかな目をこちらに向けると軽く頭を振った。

「教育番組より、よっぽど人生勉強になるネ。恋愛なんて誰も教えてくれんアル」

 そう言われると確かにそうだ。恋愛など、誰かが教えてくれるわけではない。だが、それにしては少々過激な内容に思えるのだ。

「まだ……そこまでのもんは必要無えだろ?」

 しかし、神楽は土方に眉をひそめると小馬鹿にしたような表情になった。そして、四つん這いでこちらに近づいて来たのだ。

「お前、私をいくつだと思ってるネ? あと二年で嫁にもいけるアル」

「だったら何だ?」

 神楽の顔がマジマジと土方を見上げると少々の居心地の悪さを感じた。ボタンが僅かに外れていてシャツの胸元が土方の視線を吸い寄せる。

「行く先なんて……まだ無え癖に……」

「そんなの分からんダロ? それに今日も……」

 そこまで言って神楽は畳の上にペタンと座った。

 今日、神楽を拾った時の事。道の端にしゃがみ込み、雨に濡れていたのだ。その時思った。神楽は泣いているのだと。だが、顔は伏せられており、それを確認することは出来なかった。今の彼女の頬はすっかりと乾き、反対に桜色に染まっていた。

「……お前、私に傘のこと聞いたダロ?」

 急にどうしたのだろうかと思ったが黙って聞いてやることにした。

「ああ、聞いた」

「あれは……どこに落として来たか……分かってるアル」

「…………つまり、てめェで取りに行けない場所か」

 神楽は頷くと膝を抱えて顔を埋めた。神楽が訳あって取りにいけない場所とはどこだろうか。それも泣くほどの事があったのだ。良い思いをした場所でない事は確かである。

「なら、万事屋にでも言って取ってきてもらえ」

「そんなん、無理アル……」

「じゃあ諦めろ」

 しかし、次の瞬間には神楽の手が土方の上着を摘んだ。その意味を何となくだが分かっている。この俺に取ってきてくれ、そう言っているのだろう。

「他当たれ」

「でも、お前にしかこの話してないアル」

 拾ってきた自分にも多少の責任はあるのだろう。自ら面倒事に首を突っ込んだのだ。土方は完全に書類から意識を逸し、神楽へ向き直ると新しいタバコに火をつけた。

「言っておくが、てめェが思ってるほど俺は暇じゃ無え。用があるなら手短に済ませろ」

「本当アルカ?」

 神楽は喜ぶと土方に紙と鉛筆を求めた。そして、何かを描き始めると――――どうやら地図のようであった。

「これ分かるアルカ?」

 あまり丁寧とは言えないが、確かに見覚えのある地形であった。

「で、ここの家の前で落として来たアル」

「……まさかとは思うが、妙なバケモンがいるわけじゃねえだろうな?」

 神楽は真顔で首を横に振ると、鉛筆で描いた地図を指しながらボソっと言った。

「まだバケモンの方が良かったネ……」

 一体、この家に何が居ると言うのか。何度も通っている家だと思うが、特別変わったことはないように記憶していた。

「今から取りに行って来てやるから、てめェはここで服乾くまで待ってろ」

 そう言って土方が立ち上がると神楽は跳ねて喜んだ。

「トシ! ありがとう!」

 自分の腕を掴み喜ぶ神楽は、どこにでも居る一人の少女であった。そんな少女が怖がり、恐れているものとはなんだろうか。傘を取ってくると言う目的よりも、今はそっちの方が気になっていた。今までパトカーの中から・外から見てきた少女をより深く知ることが出来るのだ。不思議な気持ちであった。土方はパトカーを私用目的で使うと、神楽の地図にある家を目指すのだった。

 


 

magnet.:02/土神(リクエスト)

 

 至って普通の民家の前に着いたが……傘は見当たらなかった。もしかするとこの家の住人が拾った可能性がある。土方はパトカーから降りるとその家の呼び鈴を鳴らしてみた。

 すると勢い良く引き戸が開いて――――――年の頃、十代中頃と思われる少年が出て来た。

「あっ、えっと……何の用ですか?」

 土方はこれが傘を取りにこられない理由だと分かった。この少年が関係しているのだと。

「ちょっと良いか? この辺りに傘が落ちてなかったかと思ってな」

 土方は玄関の中を目だけで確認すると、紫の番傘を見つけた。きっと少年はその傘が誰のものなのか知っている筈だ。

「傘ですか? 知りません」

 これは嘘だ。土方は遠慮なく玄関の中まで無み込むと、紫の番傘を手に取った。

「これは何だ?」

「そ、それは母のもので……」

 しかし、土方は知っている。神楽がこの傘を普段どんなふうに使っているのかを。傘の先端を覗き見て、銃口である事を確認した。

「良いか。嘘を吐くなら相手を選べ。こっちは、てめェに縄かける事だって出来んだ」

 嘘を吐かれたからだろうか。軽く苛立ちを覚える。それともこの鬼の副長を舐めきった態度に腹が立つのだろうか。いや、この少年の卑劣さに胸糞が悪くなったのだろう。

「てめェで傘を返すつもりだったのか? 何か条件でも出して」

 少年は引きつったような顔でじっと動かず黙ったままだ。土方はそんな少年を鼻で笑うと、傘を持って背を向けた。

「何したか知らねえけどな、随分と傷ついたみてェだ。惚れてるなら、あいつの喜ぶことしてやれ」

 そうして戸を閉めると、土方は傘を持ってパトカーへ乗り込むのだった。

 

 神楽の傘を玄関へと置き、土方は部屋へ戻った。すると襖を開ける土方を不安そうな顔で見つめる神楽が居たのだ。これはきっと傘を心配しているわけではない。あの少年と神楽の間に起こった出来事を知られてはいないかと心配している顔だ。

「傘なら玄関にある。忘れずに持って帰れ」

「…………傘、どこにあったアルカ?」

 土方は一瞬迷ったが、目を閉じると言った。

「道の端に……放置されたままだった」

 だが、神楽は何も言わずにこちらを見ている。それは嘘だろ? とでも言うように。だが、ここはそれでも嘘をつき通してやる方が神楽のために思えたのだ。

「……そうアルカ」

 神楽は諦めたようにそう言うと、部屋の隅で丸まった。

 興味があるわけではない。だが、ここまで首を突っ込んだのだ。気にならないとは言えば嘘になる。土方はどうするかと悩んだ。本当の事を言えば満足だったのだろうか。何故自分がこんな小娘の事で頭を悩まさなければならないのか。正直腹も立ってはくるが……それでも目の前でこうして気を落としている所を見ると、無視することは出来なかった。

 土方は神楽に背を向け畳の上に胡座をかくとタバコを口に咥えた。

「……何があった?」

 神楽が答えるとは思えないが、寄り添う姿勢を見せたのだ。それに甘えるか甘えないかは分からないが、それでも手を差し伸べる。払いのけられても別に傷つくことなんてないのだから。

「会ったんデショ? あいつと」

 神楽もこちらに背を向けて丸まっている。互いに互いを見る事はないが会話が途切れることはなかったのだ。

「知り合いか?」

 関係性はなんとなく見えている。ただの知り合いではないのだろう。あの少年と神楽の間には人には言いたくない何かが在るはずだ。

「…………キスされたアル」

 そこで土方は思わず振り返ると、神楽もこちらを見ていた。雪のように白い頬には紅が散らされ、今彼女を包む感情は《照れ》と言う恥じらいだろうか。戸惑った土方は神楽から視線を畳へと移すと言った。

「あれは、テメェの男か?」

「違う!」

 神楽は勢い良く体を起こすと、土方に迫る勢いで否定したのだ。そのせいか少女特有の甘酸っぱい香りが鼻腔に広がった。

「違うアル。好きじゃないネ」

 そう言って悔しそうなカオをした神楽に先の口づけが望んだものではなかったのだと知った。無理矢理に唇を奪われたのだろう。そして驚いた神楽は傘をほっぽり出して逃げた。その先で土方と会ったのだ。どうりで泣いていたワケかと土方は納得した。あれだけ普段無邪気に走り回っている少女でも、こうしたトラブルには人並みに傷つくようだ。それもそうかと土方は不安げな顔でこちらを見る神楽を見つめた。こうして見るとどこにでも居る一人の少女なのだ。揺れている瞳が戸惑いを映し出していた。

「初めてだったアル」

「そうか……」

 土方はタバコの煙を吐き出すついでにそう言うと、どうするべきなのかと考えた。傷害罪で引っ張ってくる事も出来るが、それは神楽が望まなければ動けない。ただの事故で終わらせるつもりなら介入するつもりもない。

「銀ちゃん達には言わないでネ……」

 それは銀時達が知れば、相手の男を殺すかもしれないからなのだろうか。土方はふとそんな事を考えた。

「俺が野郎に言うわけ無えだろ」

「そうアルナ」

 ふっと笑った神楽だったが、それは心からの笑みではないだろう。まだ不安と恐怖を感じているのかもしれない。

「話くらいなら聞いてやる」

 その言葉に神楽はもう少しだけ柔らかい表情をすると、膝を抱えて丸まった。

「あいつとは……ただの友達だったネ。別に好きとか嫌いとか、そんなこと考えた事もなかったネ」

「まぁ、普通はそうだろうな」

 よくある、巷にも溢れている類の話だった。

「でも、最近あいつがうるさくなったネ。一緒に住んでるのは誰だとか、お前んとこのバカサドとの関係もしつこく聞かれたネ」

 これもよくある話だ。神楽に惚れた男が、嫉妬に取り憑かれたのだろう。

「それで……しばらくして……好きだって告られたアル」

「だが、てめェにその気はなかったって事か」

 神楽は頷いた。

「……だって、よく分からんアル。それにあいつと居ても銀ちゃんの事とか新八の事、悪く言うから遊びたくなくなったネ」

 そして、今日に繋がるらしい。神楽が離れていく事に焦った少年は神楽を見つけ、問い質した。『何故、逃げるのか』と。だが、益々神楽の心は離れていく一方だ。それに耐えられなかった少年は、神楽の腕を掴み――――――

「一瞬の出来事だったアル。好きでもない奴と……こんなの……嫌ネ」

 そう言った神楽はついに泣き出してしまうと、土方は慌てふためいた。どうする事が良いのか。こんな時に何も思い浮かばない自分は随分と冷静さを欠いているのだと、どこか嘲笑えた。

「でも、あいつ全然諦めないネ。ぶん殴っても良いけど、それくらいで諦める気がしないアル」

 だからと言って銀時達にも言えないのだろう。きっと神楽はこの小さな体で初めて触れる恐怖に苦戦している。ここでお巡りである自分が役立てないのであれば、治安を守ると言う名目で結成された真選組の名がすたる。神楽の後ろ盾くらいにはなってやれると思ったのだ。

「服が乾いたら行くぞ」

「えっ、どこにネ?」

 そんなものは決まっているのだ。あの少年の家である。一度どこかでガツンと言わなければ、ああいう諦めの悪い《近藤型ストーカ症候群》は己を省みる事もしないだろう。

「てめェにキスした野郎の家だ。文句の一つくらい言えねえでどうする? まさかビビってんのか?」

 片方の口角を上げて土方が言えば、神楽の顔にもいつもの負けん気が現れた。

「誰にモノ言ってるアルカ? 私はかぶき町の女王アル!」

 少し元気を取り戻した神楽に土方もひと安心するのだった。

 

 パトカーで先ほどの少年の家まで向かった。外はと言うと、すっかり雨は引いていた。

 道中、神楽も土方も黙ったままである。特に会話はない。大人しくしている神楽は緊張しているのか。それとも会話がないのは、ただ単にそういう間柄だからだろうか。土方は助手席の神楽を横目で見るも何もわからなかった。

 ほんの数十分程前に訪れたばかりの家を訪問する。だが、以前と状況が違う。こっちは怒っているのだ。呼び鈴を鳴らす指にもどこか力が入る。隣に立つ神楽の顔は不安そうで……だが、奥歯を強く噛みしめているのが分かる。

「そう堅くなるな。いつも総悟にやってるみたいにやりゃ問題無え」

「分かってるアル」

 だが、その目に余裕は見当たらなかった。戸が開き、中から少年が現れたのだ。

「神楽ちゃ……!?」

 神楽の隣に立つ土方を見てその顔は硬直した。全てを察したのだろう。

「私が……なんで来たかわかるアルナ?」

 土方はタバコを咥えて火をつけると煙を吐き出した。それがその場に留まって、視界を少々悪くさせる。

「ここで何が起きようが俺は知ったこっちゃねえ。ただ偶然そこで居合わせて、偶然ここでタバコを吸ってるだけだ。休憩時間に起きた事にまで俺は首を突っ込むつもりはねえ」

 その言葉に神楽が少年の頬をパーンと平手で殴った。その勢いに少年はよろめき、尻もちをついた。

「お前がやったことはこれと同じアル! 嫌がってる人に無理やりするなんて最低なクソ野郎ネ!」

 土方は目を閉じたままタバコを味わった。最後の《クソ野郎》に胸がスカッとしたのだ。

「ごめ……」

 謝ろうとした言葉を神楽は遮った。

「謝られたって許さんアル。もうお前の顔なんて二度と見たくねえヨ」

 そう言った神楽に土方はふっと軽く笑った。そして、突然目の前に神楽の顔が現れたと思ったら、タバコを取り上げられ――――――柔らかな唇が押し付けられた。これが何という行為かは知っている。唇に触れる熱に土方は心臓を爆発させるも、動くことが出来なかった。

「分かったダロ? 私、こいつと付き合ってるネ。だからもう付きまとうナ。行こう、トシ」

 そう言って放心状態の少年を置き、神楽は土方の手を引いてパトカーまで戻ったのだ。運転席に投げ入れられた土方は、今自分の身に起こった出来事にまだ混乱していた。

「さっきのアレは……何のつもりだ……」

 そう言ってハンドルを抱え込んだ土方だったが、助手席の神楽は何も言わない。こうでもしなければあの少年は諦めなかったのかもしれないが、それにしてももっと別の方法があったのではないか。そう思えてならないのだ。それにしてもキスひとつでこんなにも取り乱してしまうなど、自分が情けなかった。いや、それも仕方がないだろう。相手は成熟した大人の女性ではないのだから。一歩間違えれば犯罪だ。

「つうか、てめェ! 変な噂でも立ったらどうして…………」

 土方はそう言って神楽を見ると、顔を真赤に染めて苦しそうに呼吸をしている神楽と目が合った。

「し、知らんアル……」

 そう言って顔を背けた神楽に心臓はバクバクとうるさく音を立てている。神楽もきっとその場の勢いだったのだろう。それにしてもあの少年にキスをされて塞ぎ込んでいた人間と同じには思えなかった。

「クソッ……」

 土方はまだ震える心臓に手の力があまり入らなかったが、万事屋まで神楽を送っていくのだった。

 

 車の走行音に紛れて、神楽の苦しそうな呼吸が聞こえる。心配になるのだが、こちらに背を向けて丸まっていては、その表情を窺い知ることは出来ない。

 たかだかキスひとつで。そう思っているのだが、信じられない程に胸が熱くなり、吐く息すらも朱に染まる。参った。そういう手段を取るしか仕方がなかったとは分かっているし、簡単に割り切れる筈なのだが、隣の神楽がそれを全て無に変える。

「まだ……ダメか?」

 こちらを見ることも出来ないらしく、神楽はずっと小さな背を向けている。

「俺は気にしちゃいねえよ」

 ガキのキスひとつで何かを考え込むほど暇でもない。そうやって大人ぶってみてはいるが、実際は胸の中をひどく掻き乱されている。情けないほどに。

 そこからしばらくして万事屋に到着した。だが、まだ神楽は動かない。土方は仕方がなく、神楽の肩に手を置いた。

「寝てんのか?」

「今、降りるアル……」

 やはりこちらを向けないだけらしい。土方は真新しいタバコの箱を取り出すと、一本抜き取り口に咥えた。

「また何かあれば言え。てめェの彼氏の《フリ》くらいならしてやる」

 気休めの言葉である。それに再び神楽が頼ってくるとは思えないのだ。それで良いと思っていた。できればもう関わりたくないと。こんなに取り乱す自分を嫌いになりそうなのだ。

「…………うん、じゃあネ」

 最後にこちらを見返した神楽はやはり頬を赤らめ、気まずい雰囲気を出していた。咄嗟に思いついた策だったのかもしれないが、神楽から唇を引っ付けて来たのだ。それなのにこの態度とあの顔。冷静になって気付いたのだろう。とんでもない事をしたと。

 神楽が降りた後のパトカーで土方は震える指にタバコを挟めずにいた。

「本当にあのガキは……なんて事してくれたんだ……」

 頬が赤く染まっているのは、神楽だけではないのだった。

 

 

 あれから。神楽から連絡が来ることはなかった。もちろんそれを残念がってなどいない。こうなる事を望んでいたのだ。それにあれ以上、深入りはしたくなかったのだ。

 時折、夜寝る前に自分の唇に神楽の熱が触れた瞬間を思い出してしまうことがあった。その度に妙な火照りが体を支配し、心が疼く。その原因を探ることはもうしなかったが、それでも分かってはいた。執着し始めているのだと。だが、あの少年と土方は違うのだ。神楽が誰とどこで生きようが、嫉妬などという醜く蔑むべき感情とは無縁であった。

 

 土方はこの日、パトカーで江戸の街を走行していた。並木通りには桜が芽をつけ、そろそろ気候も穏やかなものへと変わり始めていた。そうして信号待ちをしていると目の前の通りを一人の少女が傘を差して渡った。まだ日傘にしては早く、雨傘にしては随分天気と外れている。こんな陽気にも関わらず傘を差す少女など万事屋の神楽しか思い当たらないのだ。軽快な足取りと跳ねるような動き。神楽はすっかりと元気を取り戻し、日常へ帰って行ったのだと土方の表情も穏やかなものであった。そろそろ信号が青に変わる。以前、こうして神楽に目を奪われて後続車にクラクションを鳴らされた事があった。今回はそんなマヌケな事にはならないようにと、早めに神楽から視線を逸らした。だが、助手席の窓ガラスが叩かれて、神楽がこちらを見て微笑んでいたのだ。結局、土方はパトカーを脇に止め神楽を乗せると、次の信号で通りを渡るのだった。

 

「何の用だ?」

 神楽はニコッと笑った。

「別に用はなかったアル。見かけたから……でも……」

 神楽はこちらをやけに大人びた顔で見ると囁くように言った。

「ありがとナ」

 どうやらあの後少年は、すっかり気持ちを入れ替えたらしい。いつか神楽に惚れてもらえるようにと、心身ともに強い男になるため道場に通い始めたようなのだ。

「だが、諦めては無えんだな」

「でも、お前のお陰で解放されたアル」

 そう言った神楽の頬は並木通りの桜のような色をしていた。自分の為に今この瞬間、この笑顔が存在すると思うと胸が熱くなる。土方は神楽から視線を逸らすとタバコを咥えた。

「何もしてねえよ……」

 沈黙が流れる。二人して今思い出していることは、あの日の口づけかもしれないと急に居心地の悪さを感じた。だが、神楽はそうではないようだ。土方の口に咥えられているタバコを取り上げると――――――二人の視線が交わった。

「何かお礼させろヨ」

 土方は馬鹿げたことを考えた。神楽の時間を少し自分にくれないだろうかと考えたのだ。思わず首を横に振った。

「なんにも思いつかないアルカ?」

「別に感謝されるような事はして無えからな」

「それとも……迷惑ネ?」

 神楽の声のトーンが一気に下がった。慌てた土方は神楽の肩に手を置くと、神楽の瞳が僅かに揺れた。それを見て土方も揺れる。

「迷惑っつうことはねえが……何も思いつかねェってのが本音だ」

「じゃあ、思いついたら教えてくれるアルカ?」

 神楽と会う約束を取り付けろと言う意味だろうか? 土方は少し考えた。これはもしかすると……神楽の瞳に映る己を静かに見つめた。

「ああ、分かった。思いついたら教えに行く。だからそれまで待ってろ」

「いつになるアルカ? 明日? 明後日?」

 どうやら神楽は土方に明日にでも会いたいらしいのだ。思わず緩みそうになる頬に土方は歯を食いしばった。

「次の非番まで待てるか?」

「…………待てないって言ったらどうするネ?」

 探るような目つきと自信が萎んだような声。胸の奥をくすぐられて堪ったものではない。こんな純真な心を見せられては、こちらも妙な小細工はしていられない。

「これで待てるか?」

 土方は周囲に目をやり窺うと、一瞬の隙を突いて神楽の唇にキスをした。ダメなものはダメなのだろう。しかもまだ隊服を着ている。それにパトカーの中だ。だが、そんなものを取っ払ってしまう程に神楽に惹かれてしまっていた。

 泣き出しそうな顔で神楽はこちらを見ており、だがそれが《嫌だから》ではないと信じている。案の定、神楽は土方の首にしがみつくと顔を埋めた。

「待てるけど……待ちたくなくなったアル」

 その言葉にもう全てがどうでもよく思えた。思えたのだが、こちらを覗き込む銀時と新八の青ざめた顔にそう言うわけにもいかなくなったのだった。

 

2016/07/18