[MENU]

レッスン!:02

 

 あれから新八は気が重かった。

指切りをしただけで顔を赤くさせるなど、自意識過剰や気持ち悪いなどと暴言を吐かれるに決まっているのだ。しかし、そうやって自尊心を傷付けられる事は出来るだけ避けたい。とは言っても、神楽に会わないわけにはいかなかった。

 新八は神楽の自宅へと向かいながら、その重い足をどうにか引きずると、約束の時間に珍しく遅れたのだった。

 インターホンを押してドアの前で項垂れていると、少しの間もなく制服姿の神楽がものすごい勢いでドアを開けた。

「遅い!」

 あちらもどう言うわけか珍しく、新八が来るのを待っていたようだった。

 神楽は頼りなく立っている新八の腕を掴んで引き入れると、自分の部屋へと引っ張って行った。

 新八は自分の前を歩く神楽を不思議に思うも、先日の事で何か言われるのではないかとビクビクしていた。

 ついにヤル気になったのか?

 そんな事を考えながら新八は神楽の部屋に連れて来られると、突然ベッドへとぶん投げられた。その勢いで眼鏡はずれ、ピンク色の枕に顔が埋もれた。

「何のつもりだッッ!」

 新八は枕や布団に残る神楽の匂いを見つけると、先日のように顔が熱くなった。だが、眼鏡を直してベッドの上に胡座をかくと、乱れた髪のまま神楽を睨んだ。

「言いたいことがあるなら、ハッキリと言え」

 しかし、神楽はほんのりと頬を赤く染めて、その目を泳がせていた。

 そんな神楽の異様さに新八は眼鏡をゆっくり押し上げると、瞬きを数回した。

「言ったでしょ? 教えて欲しい事があるって……今しか出来ない事があるって」

 そう言った神楽は、新八の隣に静かに座ったのだった。

 狭いベッドの上に二人だけ。いつもなら机に向かって並んでいるのだが、今日はピンク色のシーツの上だ。そのせいか、隣に座った神楽がどこか違って見える。ほんのりと赤い頬はもちろんだが、新八との距離の近さ、落ち着かないのかスカートの裾を掴む弱々しい手。

 新八は息を飲むと、胡座から正座へとその座り方を変えた。

 神楽の雰囲気と今居る場所。その二つから導き出されたのは、神楽が教えて欲しいと言っていることが――新八には教える事が出来ないような事なのではないかと言うことだった。

 新八は心臓を激しく震わせると、歯がガチガチと音を立て口の中で鳴らした。

「あんたは先生なんだから、ちゃんと教えなさいよね」

 神楽はそう言うと、新八のスーツの袖を軽く摘まんだ。

「数学とか国語だけじゃなくて、恋愛も教えられるんでしょ? 先生?」

 新八はついに体まで震わせると、その落ち着かない手で眼鏡を何度も何度も押し上げた。しかし、汗が酷く眼鏡は滑る。だが、いつもの調子はどうにか崩さず涼しい顔で神楽を見た。

「恋愛だと? フン、あまりにも簡単で分かり過ぎて、丁度論文にまとめようとしていたところだ」

 新八はわけの分からない事を言うと、スーツの上着を脱いだ。そして、締めていたネクタイを緩め、シャツのボタンを少し外した。もう暑くて堪らないのだ。しかし、そんな新八を見て勘違いしたのか、神楽は赤い顔で頷いた。

「それは良かったわ。とりあえず、脱げばいいのね」

 そんな事を言ってセーラー服のリボンを解こうとした神楽に、新八は待ったをかけた。

「何よ? あぁ、分かった。脱がせない派なのね」

 新八はブンブンと頭を振ると、そうじゃないと神楽の腕を捕まえた。

「違う! そうじゃないだろッ! 飛躍し過ぎだ!」

 新八の知っている恋愛は、まずは手を繋ぐところから始まって――いや、名前の呼び方を決めるところから始まって、それから何だったか。

 新八はどんなに頑張って思い出してみても、恋愛の記憶だけがゴッソリと抜け落ちている事に気が付いた。いや、抜け落ちているのではない、元からないのだ。恋愛など人生にあったかどうかも不明なほどに、経験が少ないのであった。神楽に教えてやれる立場ではないのだ。だが、今更経験が無いなどと言えない。自尊心がそれを許さない。

 新八は神楽の腕を離してやると、遠いところを見つめながら話した。

「と、とりあえず、ここから下りた方が良い。貴様の父親に殺されるからな」

 すると神楽は眉間にシワを寄せた。

「でも、パピーは言ってたわよ。ベッドの上から始まる恋もあるって」

「あのハゲ! 何を娘に教えてんだッ!」

 新八は取り乱す自分に気付くと咳払いをした。そして、再び落ち着いた素振りを見せると神楽に言った。

「こういうものは人に教わるな。自分で見つけ育てるのが恋愛だ。分かったか?」

 そんな誰かの受け売りのような言葉で誤魔化すと、新八はフラフラしながらベッドから下りた。だが、神楽は納得していないのか、そんな新八を後ろから羽交い締めにした。

「先生だってあんたが言うから、勇気出して教えてって言ったのに! もしかして逃げ帰る気? ふざけるんじゃないわよ!」

「コラ! 離れろ! 恋愛の醍醐味は自分で見つけ育てることだろう!」

 新八は女子高生に背後から抱き締められている事実に、緩みそうになる頬を必死に堪えていた。

 こんな事が明るみに出れば、間違いなく神楽の父親にこの世から葬り去られることだろう。それだけは絶対に避けたいのだ。

 新八は神楽の腕からどうにか逃れると、急いで帰ろうとドアに向かった。

「恋愛ならクラスメイトとすれば良いだろ。俺をからかうのもいい加減にしろ!」

 そう言ってドアノブに手を掛けた時、神楽の腕がまた新八の胸へと回って来た。しかし、今度は羽交い締めではなく、間違いなくこの身を包むような柔らかいものであった。

 新八はドアノブを回すのを躊躇った。

「新八が良いの。新八に教えて欲しいの」

 その小さく弱々しい声は、普段の強気な神楽からは想像出来ないものであった。

 新八はそんな神楽に胸の奥が痺れた。震えるのとは違う、電気が走ったような痺れ。ジッとはしていられない衝動を感じていた。

「……言っておくが、大した事は教えられないぞ。良いのか?」

 背中にある神楽の頭が揺れて、頷いた事が分かった。

 新八は息を吐くと、持っている鞄と上着を床へと置いた。それを神楽は確認したのか新八からそっと離れた。

 どうすればいいのか。

 新八は神楽を振り返る勇気がまだ出ないのだった。神楽と向き合った時、何をすれば良いか分からないからだ。教えてやると言った以上、何かしなければいけないのだ。

 やはり手を繋ぐという事から始まるのか?

 しかし、手を繋ぐ事が恋愛かと言われると難しい。何から教えればいい? そもそも恋愛ってなんだ?

 新八は目を閉じると必死に頭を回転させた。させたが、やはり分からない。

「何してるの?」

 いつまでも神楽に背を向けている新八に、神楽は気味悪いと思ったのか不安そうな顔をしていた。

 新八はこうなったらなるようになれと、自分の勘を頼りに答えを探し出すしかないと腹を括った。あの神楽に“新八がいいの”と言われたのだ。男としても大人としても、ここで引いていては情けないと感じていた。

「神楽、覚悟は出来ているんだろうな?」

 新八はそんな事を言って振り向くと、背後に立っている神楽を勢いで抱き締めた。

 柔らかいッ!

 新八は女の子特有の体の柔らかさと良い匂いに、軽く眩暈を起こした。自然と呼吸が荒くなる。

「覚悟? まさかあんた週刊誌に売り込むんじゃないでしょうね? 新八ならクラスメイトの奴と違って、私を売らないと思ったから頼んだんだけど!?」

 神楽の突然の告白に、新八の高揚していた気分が一気に地面に叩きつけられた。神楽が自分を選んだ理由。それがタレコミをしなさそうだと言うものであったのだ。

 どこかそれを残念に思っている自分がいることに新八は恥ずかしくなった。しかし不思議なもので、自分が求められている理由が全然別のものだと分かると、途端に神楽を雑に扱いたくなったのだ。

「貴様の覚悟があろうがなかろうが、どうでも良い。俺は家庭教師として、恋愛がなんたるかを教えるだけだ」

 新八はそう言って神楽から離れると、汚いものでも見るように冷めた目で神楽を見下ろしていた。

 恋愛を教えろとは言っているが、実際はキスやセックスが目的なのだろう。

 素人時代に遊びに遊び、アイドルになれば恋愛禁止などとくだらない規則を掲げるも、昔の癖が治らずアイドルになっても尚遊び続ける。そう言う現実を新八は知っていた。この少女もいずれそうなるのだろうか。そう思うと、性玩具と変わらないじゃないかなどと思っていた。

 一人遊戯なら悲しいが慣れている。恋愛は分からないが、男と女がする行為ならアダルトビデオで何百回も見て来たのだ。それをなぞるだけならば、自分にも教える事が出来ると思っていた。

 新八は神楽をベッドの端に座らせると、その隣に腰を掛けた。そして、断りも無くセーラー服を押し上げる神楽の大きな胸を鷲掴んだ。

 途端に左頬にビンタをくらった。放物線を描いてぶっ飛ぶ眼鏡。

「な、な、ななな何してんだヨ!」

「貴様こそ何のつもりだ! ってエエエエ!?」

 顔を真っ赤にし、目には涙を浮かべ、その身を抱いて座っていたのは、ビッチビチなビッチではなく、穢れを知らない真っ白な肌の少女であった。

 新八は呆気にとられたまま動かずにいると、神楽は新八の胸ぐらを掴んだのだった。

「教えてとは言ったけど、それが違うってことくらい分かるアル! どさくさに紛れて乳触るなんて最低ネ!」

 神楽は全く余裕がないらしく、興奮しながらカタコトで喋ると、ようやく新八も思い違いをしていた事に気が付いた。神楽はキスやセックスがしたいわけではないのだと。そうなるとまた振り出しに戻った。

 じゃあ、何を教えればいいんだ!?

 新八は軽く腫れた頬を押さえると、神楽からその身を離した。そしてベッドから立ち上がり、学習机に片手をついた。

「貴様の父親も言っていただろう? こういった行為から始まる恋愛もあると。フッ、貴様にはまだ早かったか」

 格好をつけてそんな事を背中の向こうの神楽に言ったが、新八はそれどころではなかった。

 や、柔らかァ! 柔らかァ!

 今更、神楽の胸を触った事に興奮し、ぶっ倒れそうになっていたのだ。

「た、確かにパピーも言ってたわね。でも、私はあんたに愛とか恋とか、そう言うのを教えて欲しいって……」

 新八はそんな神楽の話など耳に入っていなかった。

 あの胸の膨らみをもう一度触ってみたい。そんな事を考えながら、新八は神楽の胸を触った手を見つめていた。

「分かったわ、新八。もう一度、やるわよ」

 神楽の話を聞いてなどいない新八だったが、その言葉には敏感に反応してみせた。

「いいだろう。その代わり、さっきのようにぎゃあぎゃあ喚くなよ」

 食い気味でそう返した新八は、床に落ちている眼鏡を拾うと再び神楽の隣に腰掛けた。

 神楽はと言うと、赤い頬のまま新八を睨みつけていた。

「初めてなんだから、優しくしてよね」

 新八は表情を崩さずに軽く頷くと、神楽の胸へと再び手を伸ばした。しかし、先ほどのように勢いのなくなった新八は、神楽の腹部辺りを触るのが精一杯であった。

「ちょっと何してんのよ? お腹は別に空いてないけど?」

「あ、あぁ、そうか。貴様のことだ。また腹でも空かせ暴れるんじゃないかと心配しただけだ」

「腹立つわね」

 神楽は新八を怖い顔で睨みつけたが、新八はそんな事を全く気にしていなかった。

 いつ、胸へと移動しようか。

 そのタイミングを図っていたのだが、新八の方こそ初めての体験に緊張しているのだった。だが、それを神楽に悟られてはいけない。馬鹿にされるのがオチだ。しかしそうは思っていても、神楽の腹を摩る手をいつまでも上へと移動させる事が出来ずにいた。

「ねぇ、いつまでお腹摩ってんの? なんか意味があるの?」

「貴様は本当に何も知らないようだな。何事にも準備が必要だ。これには……その……アレだ、暗示のような効果がある」

 新八はいつまでも神楽の胸に辿り着けない理由を、苦し紛れに話を作った。

「暗示? そう言えば、兄貴の部屋に落ちてたDVDに書いてあったわ。“暗示で敏感になった素人娘が大量○○○○”とか、そう言う話なの?」

 新八は神楽の兄がどういう経緯でそんなDVDを持っていたかは知らないが、話がそこへ流れてしまった以上乗らないわけにはいかなかった。

「あ、あぁ相違ない」

「そうなんだ。ふぅん」

 暗示など適当な話ではあったが、神楽は信用してしまったようだった。

「じゃあ、新八は私に敏感になれって暗示かけてるの?」

「そんな事も分からないのか?」

 とにかく質問には質問で返す。新八は何も本当は考えていない事を出来るだけ誤魔化した。

 実際は教えてやれるような恋愛経験などなく、ポーカーフェースを気取ってはいるが、腹を摩るのでギリギリなのだ。

 神楽の柔らかな胸の膨らみを、もう一度手のひらに感じたい。そんな事をずっと考えながら新八は神楽の腹を摩り続けたのだった。