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唇の温度:04

 

 観覧車はゆっくりと一周すると、また地上へと戻って来た。

 空気の悪いゴンドラからようやく降りた近藤は、深呼吸をして新鮮な酸素を補給するとケータイを取り出した。そして、総悟と登録してある電話番号へダイヤルすると、あの後どうなったのかを聞き出そうと思っていた。

 呼び出し音が数回鳴ると、沖田が電話口に出た。

「どうだい近藤さん。チューは出来たか?」

 近藤は思わず笑うと、言わねぇと口にした。

「それより、さっきの男はどうした? まさか殺ってはねェだろな?」

「あぁ、さっきゴンドラに括り付けて、江戸の街を観覧させてやりましたぜィ」

 その言葉に近藤は上を見上げると、ちょうど戻って来たゴンドラに張り付けられている長谷川を確認した。

「あー……分かった。じゃあな」

 近藤は電話を切ると、急いで長谷川を解放してやった。すっかり失神して気を失っている長谷川を近藤は遊園地の医務室へ連れて行くと、いつからか神楽の姿が見えない事に気が付いた。

「そういや、チャイナはどこに行った?」

 近藤は急ぎ足で観覧車へと戻ってみたが、神楽の姿はどこにもなく、どうしたもんかと途方に暮れていた。

 迷い子として呼び出してもらうと言う手もあったが、子供じゃないんだから泣いているという事はないと、先に帰りでもしたんだろうかと思っていた。

 近藤は適当なベンチに腰を掛けると、周囲を見渡した。園内は夕方ということもあり、あちこちに明かりが灯り始めていた。それがいつもの江戸の街中とは違い、どこか幻想的な雰囲気であった。どこを見ても家族連れやカップルばかりで、自分がそんな場所にいる事がなんだか可笑しく思えた。普段はお妙に振られ、店の女の子にも嫌われている男が、神楽とデートをしたのだ。まるで恋人同士のように手を繋いで。

 近藤は、ふと観覧車から降りる前に言われた神楽の言葉を思い出した。

“なんで欲しがるのか”

 お妙に惚れている癖に、どうして神楽のキスを求めたのか。その理由を近藤は考えていた。しかし、その答えは明確過ぎた。清々しいほどに下劣な言葉を選ぶなら、寿司も焼肉もどちらも美味しい。それと同じであった。

 ただ、自分は選べるような立場にはおらず、身の程を弁えろと言う神楽の言葉はもっともな意見であった。

 それにしても今日は色々とトラブルはあったが、近藤は楽しかったと思っていた。神楽が食欲以外は普通の女の子で、今まで抱いていたイメージとは随分と違ったのだ。

 忘れられない経験になった。

 近藤はそんな事を考えていた。

「そろそろ帰るか」

 暗くなり始める空を仰ぎ近藤はベンチから立ち上がると、右手の方からこちらへと駆けて来る女の子の姿を見つけた。

「いたアル!」

 神楽はこちらへ小走りでやって来ると、乱れた前髪を直してから近藤の顔を見上げた。

「お前、いい歳して迷い子になってんじゃねーヨ!」

 そう言った神楽の目がやや赤く見えた。

 まさか泣いていたか? いや、欠伸でもしたんだろ。

 近藤は頭を掻いて謝ると、神楽と遊園地を出たのだった。

 

 遊園地を出て、電車に乗ってかぶき町に着いて。その間、2人は会話を交わさなかった。神楽がどこか近藤を無視するように俯いているのだ。その原因がなんなのか。全く分からない近藤は、声を掛けようにも何を言えば良いのか、ただ神楽を見ているだけであった。

 駅から万事屋へと続く道、2人は何を喋るわけでもないが並んで歩いた。その様子から近藤は、神楽が何か自分に対して怒っているわけではないと気付くと、出来るだけ自然に話しかけてみた。

「色々あったが、楽しかったな。まァ、イメージアップ作戦は失敗だったけどな!」

 近藤が頭を掻きながら笑うと、神楽は肩から斜めに掛けているポシェットの紐を握った。

「うん、そうアルナ」

 その声は肯定している者の出す声のトーンとは程遠く、楽しくなかったと言っているようだった。

 近藤はやはり作戦失敗が尾を引いてるのかと、額に汗を滲ませた。

「お前が気にする事じゃねぇだろ。あれは……まァ、総悟が悪い」

「うん、そうアルナ」

 あれ?

 近藤は神楽を見て固まると、沖田に腹も立てない神楽が異常だと足を止めてしまった。普段なら借りを返すだのムカつくだのと、沖田へ対する憎しみで溢れているのに、今日はそれを微塵も感じないのだ。

 そこで近藤は、何か別の事由が神楽から元気を奪ったのだと気が付いたのだった。

「もしかしてお前、腹が減ったのか? 昼間、あれだけ食ったのに?」

 しかし、神楽は近藤より数歩先の所で足を止めると頭を左右に振った。

 じゃあ、理由は何だ?

 近藤は神楽がショボくれている原因を探してみたが、何一つ思い当たらなかった。沖田でもない、空腹でもないとすれば――やはり、分からなかった。

 かぶき町の見慣れた町並み。街灯が道を照らし始め、地面には影が浮かび上がっていた。神楽はそれを見ているのか俯いており、近藤はそんな神楽を真面目な表情でただ見ていた。

「言ってくれねぇと俺は分からん。正直、何も思い当たらねぇんだけど」

 すると神楽は元気のない顔を向けた。そして、近藤の真正面に迫ると、こちらを見上げた。

「結局、お前のいい所、皆に……姐御に伝わんないアル」

 思いもよらない神楽の言葉に、近藤は目を大きく見開いた。この少女が何に悲しんでいたのか、その理由がまさか自分を想っての事だとは思いもしなかったのだ。

 近藤はフッと小さく笑うと、闇に消えそうな程に弱い光で輝く星を見上げた。

「たった1人でも見てくれてる奴がいれば十分だ。誰かに褒められたくて俺は、この仕事をしてるわけじゃねぇからな」

 我ながらなんて臭いセリフなのか。そんな事を思っていたが、案外神楽はそうではないようだった。同じように小さく輝く星を見上げながら、神楽はポツリと言った。

「でもそれじゃあ……私が独占してるみたいダロ?」

 そんな一言に近藤は胸の鼓動を速めた。どんな意味で言ったのか。それは分からないが、近藤は嫌な気分ではなかった。

 ふと神楽の顔を見れば目が合って、しばらく2人は道端にも拘らずその目を逸らせなかった。胸の奥が熱くなる。そのせいか吐く息まで熱い。

 近藤は神楽相手にこうなってしまった事を仕方がないと思っていた。普段は辛口でとても食べられたものじゃないが、今自分の目の前にいる神楽は可愛い顔を下げた甘い少女であるのだ。

「独占されたって、困る事はねぇけどな」

こ の少女に独占されるのも悪くないかもしれない。たとえばの話しだが、近藤の頭にそんな事が浮かんでいた。

 その言葉に一瞬神楽の頬が赤く染まったように見えたが、それはある女性の声で消えてしまった。

「あら? 神楽ちゃん? 近藤さんも?」

 近藤の背後から聞こえてきた女性の声。今までに何百回と耳に入れて来た澄んだ声。その声に引き寄せられるように近藤は後ろを振り返ると、そこにいたのは出勤途中のお妙だったのだ。

「お、お妙さんッッ!」

 神楽は途端に笑顔になると、2人を不思議そうに見ているお妙に言った。

「たまたまそこの角でサイフ拾ってもらってアル! こいつもたまには役に立つアルナ! じゃあナ、ゴリ! 姐御!」

 神楽はそう言って近藤とお妙に背中を見せると、あっという間に雑踏に紛れてしまった。

 残された近藤は、急の事にまだ気持ちが追い付いてはいなかったが、お妙を放っておく事も出来ず立ち尽くしていた。

「近藤さん? どうしたんですか?」

 そう言って心配してくるお妙に、近藤は笑いかけてみた。だが、愉快だとは思えない。先ほどまで温かかった胸が痛むのだ。あのお妙が自分を心配してくれていると言うのに、嬉しいという感情は湧き上がって来なかった。

「今日もお店には来るんですよね? それなら同伴はどうですか?」

お妙のその言葉に近藤は我に返るも、顔は神楽の歩いて行った先に向いていた。

「すみません、お妙さん。店にはまた今度行きますんで、今日は――」

 近藤は挨拶もそこそこに駆け出すと、人混みを掻き分けながら神楽を目指すのだった。

 

 分かっている。

 あんなにも惚れているお妙を置いて走り出すなど、どうかしている。だが、神楽を放っておけないのだ。そんな理屈では説明のつかない想いが、近藤の足を動かした。

 近藤は万事屋近くの路上で遂に神楽の腕を捕まえると、路地裏へと引っ張った。

「チャイナ娘!」

 神楽は急に民家の外壁に背中を押し付けられた為か、その顔はやや不機嫌であった。

「なんで追いかけて来てんダヨ」

 神楽は正面に立つ近藤から視線を外すと、ぶっきらぼうに言った。

「どうしても放っておけなかったんだ。お前の事がな」

 近藤がそう言えば、神楽の表情が少しだけ柔らかくなった。

「……これだからお巡りは、ホントお節介アルナ。私の他にも困ってる奴いるダロ? そういう奴のところ行けヨ」

 神楽はそう言って逃げ出そうとしたが、近藤が進路を塞いだ。

「いいや、今俺はお前だけが気になってる。真選組の局長としてじゃねぇ、近藤勲個人としてな」

 神楽はポシェットの紐を両手で握ると、顔を下へと向けた。それを見て近藤は、神楽が泣くのではないかと焦ったが、どうやらそうではないようだった。

「お前、馬鹿ダロ」

 神楽は柔らかい声でそう呟くと、近藤の逞しい胸にパンチを一発お見舞いした。だが、それは手加減されたもので、近藤は神楽のとった行動に戸惑っていた。吐いた言葉と行動と、僅かに見える神楽の表情がどれもチグハグなのだ。

 どれが本当のチャイナ娘なんだ?

 多分、答えはどれも本当の姿なのだろう。颯爽と登場して子供の為に木に登ったは良いが、落ちてパンツが丸出しになった所も、借りを返したいと人の金で遊園地へ行くような所も、ニッコニコで次々に食べ物を胃に収める所も……そして、たまに見せる照れた顔や、近藤を気遣う言葉を掛ける所も全て。

 近藤が今まで知らなかっただけで、神楽にはたくさんの魅力があったのだ。それを知った今、近藤は素直に神楽を“いい女”だと思っていた。

「姐御を放ったまま何してんダヨ。もう、ほら行けヨ! 私は良いから」

 神楽は顔を上げると近藤を見てそう言った。しかし、近藤はそんな気にはなれないのだ。普段のストーカー行為の方がずっと病的にも拘らず、今の自分の方がおかしいと感じていた。

「良くねぇからお前を追って来たんだ。その……わっかんねぇけど、俺はお前ともう少し一緒に居たい……なんてな」

 近藤は照れ隠しに頭を掻くと目線を下に落として言った。さすがにこんな言葉を口にするのは照れるのだ。胸の中が騒ぎ立つ。

「無理アル」

 しかし、恥ずかしさを堪えて言ったにも拘らず、呆気ない程にバッサリと斬られてしまった。

 分かっている。自分は所詮、ゴリラ顏のゴリラなのだ。女性を――ましてや美少女を口説こうなどと何万年も早かった。

「あ、あはは。いや、今のは冗談だ。忘れてくれ」

 近藤は傷付いていない振りをすると、もう潮時だと神楽の進路を空けた。

「でもな、僅な時間だが、お前と居て楽しかったのは事実だ。真選組のイメージアップは出来なかったが、俺個人としては……ぶべッッ!」

 突然、神楽があごに頭突きを食らわせた。いや、違う。そうではなかった。

 ふわりといい匂いが漂って、胸が今にも燃えそうな程に熱を放つ。その原因は頭突き――ではなく、勢いよく近藤の胸へと飛び込んで来た神楽だった。

「だから言ったダロ。無理だって」

 神楽は近藤の胸へ頬を寄せると、白い腕をその逞しい体幹を包むように背中へ回した。

「お前と一緒に居ると、隠してられなくなるアル。誤魔化してる気持ちとか色々」

 神楽はそんな事を言うと熱でもあるのか、頬を薔薇色に染めて近藤を見上げた。

 嘘だろ……

 そんな神楽の表情と言葉が信じられない近藤は、瞳を激しく揺らすと唾をゴクリと飲み込んだ。

「こういう事されて迷惑だって思うなら、もう追いかけてくんナ……お願いアル」

 神楽は顔を軽く歪めると、最後は消え入りそうな声で言った。あんなにも元気で辛口で手に負えないと思っていた少女が、実はこんなにも脆く儚い心を持っていたのだ。

 近藤はそんなガラス細工のような神楽を壊れないように、だがしっかりと腕の中へ閉じ込めた。

「いいんだ。迷惑だなんて思ってねぇ。全くな」

「そんな事言って。後悔しても知らんアル」

 後悔――

 近藤は神楽を抱き締めながら、その2文字について考えていた。だが、茹だった脳では動きも鈍く、何に対して後悔するのかまでは考えられなかった。

 すると、神楽は軽く背伸びをし、顔を近付けて言ったのだった。

「じゃあ、キスくらい出来るんダロナ?」

「えーッ!?」

 近藤は目を泳がせると額に汗を掻いた。

 観覧車と言う半密室ですら無理だったのだ。いつ誰が通りかかるかも分からない道端で、しかも自分から接吻などと――しかし、神楽と近藤の距離は、もう殆ど無いに等し

かった。鼻先がくっ付きそうな程の距離。だが、それでも近藤は、少しも動く事が出来ずに神楽の顔を見ているだけだ。

「迷惑じゃないって嘘だったアルカ?」

 目を細めて怖い表情をしている神楽だが、その頬はまだ赤く、近藤の熱を教えてくれと待っているようであった。

 そんな神楽に何か早く答えを見つけ出さなければと思うのに、ぐるぐると頭の中が回り始め、つられて目眩まで起こり始めた。

 どーすんだッッ!?

 真っ赤な顔でカチコチに固まってしまった近藤に、神楽は表情を崩して笑うと、情けない男だと軽く野次った。そのお陰か少し緊張の解れた近藤は、お前の言う通りだと白い歯を溢すと、再び2人は見つめ合った。だが、焦れったいその距離をなかなか詰めることが出来ない。あと数センチがもどかしい。

「こちらソーゴ。後ろから奇襲を掛ける。どーぞ」

「こちらザキ。了解! どーぞ」

 まさか民家の影でそんなやり取りが行われているとも知らない2人は、パチパチと瞬きをしながら、いつか知る互いの唇の温度を想像しているのだった。

 

2014/05/23


以下、あとがき。

リクエストありがとうございました。

少し子供っぽい神楽さんと、近藤という感じで話を作ってみました。

イメージ的には、前に書いた「愛故に」へ続くのを意識して書きました。

このまま2人は交際して、あの日を迎えると言った感じです。

ご希望に添えているかは分かりませんが、読んでもらえれば嬉しく思います。