レディバード:08
神楽は震える膝に立っているのがやっとであった。街灯が照らす範囲まで遂に新八がやって来ると、神楽は足を一歩踏み出したのだ。
「新八!」
しかし、次の瞬間神楽はみぞおちに重い衝撃と痛みを感じた。喉の奥が熱くなり呼吸も苦しい。神楽はその場へ崩れ落ちると同時に、何者かによって担ぎ上げられてしまった。全ての感覚が一気に鈍くなる。視界も狭まり、聞こえてくる声も遠くの方で響いてる。
「神楽ァア!」
だが、その声は懐かしい、よく知っている男のものであることは知っていた。 新八の声だ。
しんぱちぃ……
神楽は朦朧とする意識の中で追いかけてくる新八にどこか喜びを感じた。まだ終わってはいなかったんだと。しかし、その辺りで意識は薄れ、結局何も分からないままブラックアウトしたのだった。
次に目が覚めたのは、妙な揺れの中であった。ぼんやりと見えるオレンジの灯り。それが天井からぶら下がる古臭いランプである事に気が付くと、神楽はハッとして寝ている身体を起こした。
「ここは……」
すると、すぐに背後で声がした。
「船の中だ」
その声に振り返れば――――そこには新八がいたのだった。壁に背をもたれさせ、片膝を立てて座っている。神楽はどれくらいか振りに近くで見る新八に、感動にも似た想いを抱いていた。
「新八」
神楽が名前を呼ぶも新八はニコリとも笑わない。それどころか冷めた表情で神楽を睨むように見ていた。
「貴様が連れ去られなければ、今頃姉上の側についていられたものを……」
「どういう意味よ?」
既に戦いは終わり、新八によって助けられた後ではないのか? 神楽は新八の言葉が理解できなかった。だが、その意味を神楽は先ほどの新八の言葉で知るのだった。
「さっき、船の中って言ったわね!?」
神楽は揺れる船内を移動するとドアを開けて甲板へと出た。辺りは真っ暗で、遠くの方に寂れてしまったが江戸の町の灯りが見える。顔色を変えた神楽は今度は操舵室ヘ向かうと、赤く点滅している機器に目をやった。
「自動操縦……!?」
あと三十分は港に戻らないように設定されていた。神楽はそこで気が付いた。土方に嵌められたのだと。元々、神楽を殴って連れ去るなどと言った話ではなかった。それがどう言うわけなのか突然気絶させられ、気付いたら新八と二人っきりにされていたのだ。神楽は仕方なく新八のいる船内へ戻ると、少し離れた位置へ腰を下ろした。新八がここにいると言うことは、多分助けに来て一緒に流されたのだろう。神楽は礼を言ったのだった。
「あ、ありがと」
しかし、新八は何も言わない。頑固なところがあるのはよく知っているが、この状況になってもまだ意地を張り続けるのだろうか。笑えない状況ではあるが、神楽はどこか新八らしいと口角が上がった。
「そっち行ってもいい?」
神楽が尋ねるも新八はやはり何も答えなかった。だが、嫌なら来るなと言うだろう。腰を上げると神楽は新八の隣へと移動した。
「……何の話があって俺を呼び出した?」
案の定、新八は嫌がらなかった。神楽はそれに嬉しくなって頬を染めると、新八に静かに笑いかけた。
「忘れちゃった。バアさん、他に何も言わなかったの?」
「あぁ、聞いてない」
どうやらお登勢も土方同様に余計な計らいをしてくれたようだ。この機会を逃してはいけない。神楽は強く思うのだった。
「でも、話したいことならたくさんあるわ」
フンっと新八は神楽から顔を背けたが、耳はきちんとこちらを向いていた。神楽は久々に新八と二人っきりにりっきりになれた事にその心は踊っていた。何から話そう。くだらない話から真面目な話まで、喋りたいことはいっぱいあったのだ。その中から神楽は一つだけ選び出すと、膝を抱えて話すのだった。
「ちゃんと眠れてるの?」
新八の顔色は血色の良いものではなく、伸びっぱなしになっている髪が余計に不健康そうに見えたのだ。
「貴様こそ眠れてるのか?」
自分を気遣う言葉が新八の口から紡がれて、神楽は胸の奥が僅かに震えた。
「眠れるわけないじゃない」
神楽は新八にそばにいて欲しい想いを込めてそう呟いた。しかし、新八の返事はなく船内は静寂に包まれた。それが神楽の胸の温度を奪って行き、震えていた心臓もピタリと動きを止めたのだった。
やっぱりもう距離は埋まらない。
神楽はそれを再認識すると口を閉じたのだった。だが、やはり棒には振れない。しつこいと思われてもいいから今日くらい、今この瞬間くらいは貪欲にいきたいのだ。
「ねぇ、コンテストの話は聞いてる?」
新八はいやと短い返事をした。お登勢も新八にはどうやら話しをしなかったようだ。
「バアさんがたまにはイベントも良いだろうって、ベストカップルコンテストをね……」
すると、それまでこちらを見ることのなかった新八の顔が軽く神楽を見た。
「神楽は……出るのか?」
「出るわけないじゃない。私に釣り合う男なんて……いないんだから」
そうなのだ。銀時と新八以外にはいないのだ。ハッキリとそう言ってしまおうかとも思った。しかし、言ったところでどうなるワケでもない。きっと新八は何も言わずに終わるのだ。
「いない……だと?」
だが、新八の口から出た言葉は意外なものであった。少々苛立ちの感じる声と表情。神楽は額に汗をにじませた。
もしかして、あんただって言って欲しいの!?
神楽は再び心臓が震えだし、呼吸が浅いものへと変わった。だが、そんな言葉は喉から出て行こうとしない。顔が熱くなるのだ。
「貴様には……似非抜刀斎がいるだろう」
しかし、新八の答えはそうではなかった。今の発言。“似非抜刀斎”神楽はどちらの意味も分かっていた。その男が居るのだから、その男となら釣り合うのだから――――コンテストに出場しろ。そういう事なのだろう。
「な、何言ってんのよ! あいつのこと嫌ってるのは、あんたが一番知ってるでしょう!」
神楽が新八に詰め寄ると、新八も負けじと神楽に詰め寄って二人の額はぶつかりそうになった。しかし、どちらも全く引く気配がない。
「何が嫌っているだ! ベタベタと引っ付いて酒を飲んでいただろう! あれのどこが嫌いな男に対する態度だ!」
「はぁ!? 何よ! アレは……って言うか見てたの!? 文句があるならその場で言いなさいよ!」
結局、険悪なムードになってしまうと二人はソッポを向いてしまった。一体、何の為に土方の協力を得てこの作戦を立てたのか。喧嘩をする為ではない。なのに、これではその為にわざわざ時間を作ったようなものだ。
「これで分かっただろう。俺をこんなところに閉じ込めても貴様とはもう分かり合えないと――」
神楽は新八の方を見ると耳を疑った。
「知ってたの……!?」
すると新八は溜息混じりに笑ったのだった。やはりそうだったのかと。
「どうりでおかしいと思ったが、やはり貴様の企みか。あの賊は神楽への復讐だと言っていたが、それならば俺の目の前でさらうなどと言う愚行をおかすはずがないだろ。ましてやその辺の賊が、あんなに上手く刀を使いこなせるものか」
神楽は俯くと小さく頷いた。
「そう、あれはトシ。でも、こんなところに放り込まれるなんて私も知らなかった。それはホントよ」
もう新八は何も言わなかった。神楽もこの沈黙に静かに目蓋を閉じた。船が港に戻るまであと十五分はある。だが、二人は会話を交わすこともなくただ波に揺られて過ごすのだった。
その後、二人を乗せた小型船は港へ到着すると、新八は神楽に一瞥くれることなく降りて行った。その背中を神楽は遅れて降り立った波止場で眺めていた。徐々に暗がりへ、闇へ溶けるように消えて行った新八の姿に心の中が激しく掻き乱された。何をやっても二度と取り戻せないのだと現実を叩きつけられたのだ。
力なく立っている神楽はもう限界であった。誰かの手を借りても、もう自分が立っていられないことに気付いたのだ。
私はこんなにも弱かったの?
悪を蹴散らすことや、力で相手を押さえつけることはとても容易いのに、大切なものを胸に抱くことはなんて難しいのか。大切で大事にしたいのに握り潰してしまいそうになるのだ。護りたいものを護れない自分は決して強くなんかない。神楽は自分の無力さを思い知らされたのだった。
「諦めんのか?」
磯の匂いに混じって煙草の匂いが鼻についた。いつから居たのか傍らに変装を解いた土方が立っていたのだ。
お前が余計なことをしたから。
神楽はそう言って掴みかかろうと土方の正面に立った。もし、土方が二人を船に放り込まなかったら新八と上手く行ってたかもしれないのだ。しかし、それですら飽くまでも憶測であった。不確かな未来なのだ。それは願望と言う言葉となに一つ変わらなかった。
「あんたが……あんたがッ!」
神楽はそう言って土方を睨みつけると、胸ぐらに掴みにかかる手で口元を抑えたのだった。嗚咽が漏れる。視界はグシャグシャで溢れ出る涙が頬を伝って顎にまで流れ落ちる。新八を諦めたくなんかない。もう一度、新八と万事屋を――――神楽は土方の胸へと身体を預けたのだった。
「こんなのおかしいって、自分でも間違いだって分かってるから」
神楽はしゃくり上げながら喋った。側に居る誰かの胸を借りるなど、今まで一度だってしたことがなかった。それは弱さを認める行為だとずっと思っていたからだ。だが、今夜は違う。神楽は自分は弱いことを知ったのだ。大切な万事屋を護れない非力で弱い存在なのだと。
土方は煙草を足元に投げ捨てると靴底で捻り潰した。そして、神楽の震える肩に手を回すと胸へ押し込めたのだった。
「別に泣くことは間違っちゃいねェ。ただ借りる胸をテメェは間違えただけだ」
正解など分らない。だが、土方の胸を借りてしまったことに後悔はしていなかった。逞しくて温かい胸。こんなにも安心できるのなら、もっと早くに頼っていれば良かったと思う程だ。
このまま眠ってしまいたい。神楽は土方の胸の中でそんな事を考えていた。
月明かりが暗い海を照らし、波立つ度に煌めいていた。そんな景色を背景に、二人は波の音を聞きながらしばらく抱き合っているのだった。
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